第24回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・紅〉
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メリークリスマス
大沢愛
投稿時刻 : 2014.12.13 23:59
字数 : 3920
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メリークリスマス
大沢愛


 近所の通りにはクリスマスのイルミネーンが灯ている。気恥ずかしくなる明るさが舗面を照らしていた。コートの温かさを抱えて坂を上る。耳朶が凍りつきそうだ。イヤーフルをつけて自転車通学していた高校時代のほうがよほど温かい。ブーツのヒールと坂の斜度がずれていて、わずかな油断で足首がこくんとなりそうだ。寒さで鼻水が出そうになる。左手には花束を捧げ持ている。右手に提げた紙袋からは、大学の近くにあるデパートのクリスマス包装のにおいがする。三つめの包みのリボンが指に触れる。形を壊さないように、持ち手を替える。
 灌木の向こうにカーテンに覆われた窓が見える。ぼんやりとしか見えないけれど、たぶんあの向こうには家族がいて、ケーキがあて、ツリーが飾られている。足首に力を入れて上ていて、呼吸も乱れているのに、なんだか涙が出そうになた。


 高校二年から、クリスマス前後にはアルバイトを入れてきた。「バイトで忙しいから」というのはほんのすこし格好悪いけれど、それ以上の追及を封じる魔法の言葉だた。お小遣いのため?(いやいや) 学資のため?(なんて殊勝な!) 家計を扶けるため?(重い、重いよ!) パー帰りの酔客がたむろするフミレスや、上の空の中学生たちが机に向かている塾の教室で、時間が過ぎるのを待ていた。クリスマスイブの夜には、バイト明けの遊びの誘いを断て、賑わう街を抜け出して寝静また家へと帰る。両親も、兄も、クリスマスという言葉さえ口にしなかた。

 私が高校一年生のときだ。サンタクロースの擬態なしのプレゼントも、人気のスイーツ店からお取り寄せしたクリスマスケーキも、なんとなく気恥ずかしくなていた。それでもクリスマスイブの夜には、控えめにごちそうを食べてキンドルのひとつも灯すはずだた。
 その日、私は学校が終わたあと、友だちの真菜と里世と待ち合わせしてプレゼントを買いに行た。買い物客でごた返すシピングモールで三時間、戦た。三つの包みと、こそり夜中に集まて行うパー用のプレゼントを用意して、いたん別れて家へと向かた。正直、家でのクリスマスデナーには鬱陶しさしか感じていなかた。夕食はささとすませてお風呂に入り、寝たふりをして午後十一時に家を抜け出す予定だた。坂道の両脇にはクリスマスイルミネーンが灯ていた。自転車を立ち漕ぎして、マフラーの内側で汗ばむ首周りに風を入れながら家の玄関にたどり着いた。自転車を止めながら、なにか違和感を覚えていた。門燈は消えたままだた。庭に面した玄関横のリビングのカーテンは開いているのに、明かりは消えていた。玄関のドアを開ける。ただいま、と声をかける。暗い廊下は静まり返ていた。靴を脱いでいいのか迷た。突然、暗がりの向こうから怒号が響き渡た。闇のなかに光が現われて、そこから人影が飛び出してきた。肩と肘を張る歩き方。お兄ちんだた。そのまま私の方に向かてくる。とさに身を縮める。ふわりとした風が私を迂回して、沓脱へと降りて行た。寒風が吹き込み、玄関のドアが閉まる。自転車のスタンドを跳ね上げる音がかすかに聞こえた。
 廊下の光が大きくなる。応接間の入口に母が立ていた。しくり上げている。廊下を素足で歩いてそばに駆け寄る。いつもの「スリパを履きなさい!」は聞こえない。光の向こう、ソフには父が座て、両手を握り締めてうつむいている。テーブルにはリボンのついたシンパンのボトルとグラスが並んでいた。そばに金色の包装紙が畳まれている。
「お兄ちんは?」
 やと、それだけ言う。とたんに父の硬直が解けた。
「ほとけ!」
 子どものときなら無条件に泣き出してしまう大きさの声だた。すんでのところで踏みとどまる。母は放心したように涙をこぼし続けている。
 鞄と買い物袋を廊下に放り出して、玄関に走り出す。父と母が何か言う。スニーカーに足を突込んで玄関を飛び出す。玄関脇に止めていたはずの私の自転車はなくなていた。
 
 クリスマスイブの夜に街を走らなければならなくなたひとのために、忠告しておくね。
――マフラーは外しておいたほうがいい。
 マフラーの保温作用が地獄の苦しみになるのに五分とかからなかた。
 もうひとつ。
――手袋は必需品。
 風の中で振り回すことになるから骨のレベルで凍える。自転車に乗ているときには嵌めていたのに、迂闊だた。降りてからいつものように鞄に押し込んだ。その鞄は廊下の途中に置いて来てしまた。そこらのお店ですぐに新しいのを購入することをおすすめするよ。
 ちなみに私のお財布は、鞄の中だたけれど。
 仕方がないからマフラーを拳に巻いた。右と左に巻いて、真ん中は繋がたまま。走るたびにびんと張たマフラーが互い違いに揺れる。なんだかコントみたいだたけれど、笑うどころじなかた。坂道を駆け下りたあたりでいたん息が切れてしまた。舗道を歩いてくるひとたちが私を見つめているのが分かる。車のヘドライトに照らされた足元が急に歩みを緩める。声が降て来る前に再び走り出す。バレーボール部の外周走で、呼吸と足のリズムをキープすれば比較的楽になるのを学んだ。あのいやたらしい顧問の坂口先生に一瞬だけ感謝だ。走りながら、私の自転車を周辺視野でサーチする。
 お兄ちん、探して欲しいのがモロバレだよ。
 走て逃げられたらどうしようもないもん。
 ただ、妹使いは最悪だけどね。
 賑わうお店や、駐輪場のあるあたりはパスして走る。スカートは走ているうちにまくれるけれど、下に穿いたハーフパンツのおかげで恥ずかしさは感じない。むしろスカート余計じん? そのあたり分かているの、お兄ちん? またくもう、だよ。
 酔客が道を開ける。何人かを小突いてしまた。罵声が背後に遠ざかて行た。顎を引いて、開いた口の傍から涎が漏れる。川沿いの柳並木に差しかかる。柳の木から人類史上初の合成薬品・アスピリンが生まれたんだ。そう教えてくれたのはお兄ちんだた。
 柳が桜に切り替わた最初の一本に、私の自転車が立て掛けられていた。幹に手をついて、荒い息をつきながら土手下を見下ろす。見なくても分かるくらいだ。擁壁ブロクの上に、膝を抱いた後ろ姿が蹲ていた。
 ばさばさになた髪を手櫛で整えて、泥みたいに重くなた足で斜面を下りる。背中が大きくなるにつれて、何だか涙が出そうになた。すぐそばに立つ。お兄ちんの頭はうつむいて、膝の間に埋もれていた。
「お兄ちん」
 返事はない。マフラーの中で握り締めていた手のひらを、宙で開く。対岸の水銀灯に翳す。かすかに湯気が立ているのが見える。
「もしかして、ばれたの」
 川面から風が斜面を吹き上がてくる。お兄ちんのセーターの背中が見える。私のスクールコートの内側は汗びりだた。
「親父とお袋に、思い切て言た」
 マフラーを宙でぴんと張る。首筋の汗が急速に冷えてゆく。
「びくりしたでし
 首に巻こうとして、無意識に汗を拭こうとしているのに気づいた。体育の授業のあと、制汗ウターを塗たなごりがかすかに香る。
「何を言ても、聞いてもらえなかた。お前は異常だ、変態だて怒鳴られた」
 手のひらを合わせて息を吐きかける。白い靄が光に広がた。
「まあ、あのときにみつかた、とかじないからまだいいんじない。あれ、今から思ても絶対に変態だと思われるよ」
 中学の時、思いつめた様子のお兄ちんから、あることを頼まれた。断て当然だたし、何かの口実を疑うところだたけれど、結局、受け入れた。服を脱いで横たわた私に、約束通りお兄ちんは指一本触れなかた。目を瞑ていた私は、途中で異様な気配に目を開けた。
 お兄ちんは泣いていた。ちうど今みたいに、うつむいて、膝の間に顔を埋めて。馬鹿みたいだけれど、私はそのまま、お兄ちんが泣き止むまで頭を撫でていた。頼み事はそれきりだた。
「このままじいけない、と思たんだ。なんとか分かてもらいたかた」
 くぐもた声はせせらぎに重なた。
「なんか予知夢みたいに見えたんだ。俺のことを認めてくれて、お前と四人でクリスマスを祝う光景が。別にすごく楽しいてわけじないけれど、幸せな気がして」
 ばかだなあ、と思う。甘いよ。そんなの、親からすれば認められるわけないじん。
 汗の残る手のひらをマフラーで擦る。お兄ちんの頭にそと乗せた。ゆくりと撫でる。あのときよりも髪は柔らかくなた。耳朶に触れる。冷たかた。
「お兄ちんの予知夢は噓ばかりだよ」
 嘘だた。お兄ちんの予知夢は今まで外れたことなんかなかた。私が苛められそうになたときも、高校受験でD判定になたときも、お兄ちんの予知夢はちんと覆してくれたのだ。
 汗が冷え切て、じとしているだけで震えが来る。お兄ちんの頭に触れている右の手のひらだけが温かい。そのまま、クリスマスイブが終わるまで、私たちは川面を見つめていた。

 坂を登り切た。ブーツの中の足首は何とか持ちこたえた。息を整えて、花束とプレゼントを持ち直す。家までもう少しだた。玄関の門燈が灯ている。何年ぶりのクリスマスだろう。
 ドアが開いて、ニトのワンピースを着たミデアムボブが、肩と肘を張る歩き方で出てきた。思わず笑てしまう。
 きれいになても、それじ台無しだよ。
 お姉ちん? 
 ううん、私にとては、今でもお兄ちんだよ。
 花束を掲げる。お兄ちんが微笑む。両腕を差しのべている。
 予知夢、叶たね。
 小走りになりながら、私は心の中でメリークリスマスを唱える。
                                  (了)

 
 
 
 
 
 
 
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