てきすとぽい
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a light to live
(
すずきり
)
投稿時刻 : 2015.02.14 16:23
最終更新 : 2015.02.15 16:15
字数 : 6109
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2015/02/15 16:15:37
-
2015/02/14 16:35:21
-
2015/02/14 16:23:05
a light to live
すずきり
1
「何も死ぬことはなか
っ
たわ」
ナオミは言
っ
た。長いまつげの先には涙の雫がイルミネー
シ
ョ
ンのように輝いている。悲しみのドレスを身にまと
っ
た女性を前に僕は心から同情を表さずにはいられなか
っ
た。とりわけ彼女の瞳は僕の瞳を貫いて視神経の上を走り、柔らかい脳みそを支配しようとした。彼女の痛ましいほど青い頬と黒いくまと赤い目尻を、僕は確かに哀れに思
っ
た。その長い黒髪を愛撫して深い眠りに誘
っ
てあげたいとさえ思
っ
た。けれど、「死ぬことはなか
っ
た」という彼女の言葉には同意出来ない。実は僕は、マルコは死ぬしかないと思
っ
ていたから。だから僕はただ
「悲しいね」
そう言う他なか
っ
た。そして内心ナオミに問うた。「や
っ
ぱり君はどうしてマルコが死んだのか、理解してやれないのかい?」
ナオミはただ、マグカ
ッ
プを握りしめて、いくつめかわからない涙を零した。僕はここ数日降り続いている雨を連想した。マルコが最後に見たロンドンは、晴れていただろうか?
2
僕はナオミをアパー
トに送
っ
た後、そぼ降る雨の中空色のビー
トルを走らせた。マルコを飲み込んだテムズ川の面を拝みに行こうと思
っ
た。
雨粒がヘ
ッ
ドライトを反射して白く光る。ナオミの涙よりはず
っ
とす
っ
きりして気持ちがいい。元々雨は嫌いじ
ゃ
ない。いつも天気の悪いロンドンでは雨に気分を鬱鬱とさせられはしなくなる。雨に濡れたレンガ造りの町並みも美しい。英国の建築は明るいことを最上とは考えない。床は黒い板張りか暗い色合いの絨毯が好まれ、壁も天井も純白よりは彩度を落としたものが良い。天井は高く、シー
リングライトで真
っ
白に部屋を照らすようなことはしない。そんな明るさが求められるのは公的な場所だけだ。必要な場所にだけ手元を照らすものがあれば良い。つまりソフ
ァ
の近くに読書灯を置き、机の上にテー
ブルライトを置けば良い。部屋全体は薄暗くて良い。太陽が照
っ
ているような明るさは、この国にはふさわしくない。
それは性格にも同じことが言える。特にマルコは、「陰気なイギリス人」のイメー
ジを具現化したような男だ
っ
た。青い瞳はいつも懐疑的に世界を捉え、ひげを蓄えた口はどんな喜びも皮肉に変えた。一緒にいて楽しい男ではなか
っ
た。しかし一方で、英国建築の様に落ちついて、年代物のクラブソフ
ァ
に座
っ
ているような安らぎがあ
っ
た。人間も明るいのが最上ではない。必要なだけの薄明かりが、少なくとも僕には丁度いい。
マルコを失
っ
たことで僕が最初に感じたのは悲しみというよりも寂しさだ
っ
た。子供の頃、寝付きの悪い僕にいつもお母さんは子守唄を歌
っ
て聞かせた。僕は瞼を閉じて、眠りに就いたふりをする。するとお母さんは僕の額にキスをした後、ゆ
っ
くりと僕の部屋を出て行く。僕は瞼越しに、扉が閉じてリビングから差し込む灯りが遮断されるのをいつも感じた。マルコの存在がいなくな
っ
たことは、そんな寂しさを与えた。気がつかない程優しい光が閉ざされた時や
っ
と気付く。諦めて朝日がのぼるのを待つしか無い。
3
ミレニアムブリ
ッ
ジの下を泥の様な水がのろのろと流れて行く。小鳥が頭に乗
っ
ても動じないカバみたいにテムズ川は打ち付ける雨に無関心に見えた。そこにマルコは飛び込んだ。き
っ
とこの無数の雨粒と同じ様に、マルコも飲み込まれたんだろう。
僕はビー
トルの中でタバコに火をつけた。オー
デ
ィ
オをかけようとして、ボリ
ュ
ー
ムのスイ
ッ
チに青い汚れがついているのに気がついた。爪でひ
っ
かくとぼろぼろとはがれた。マルコの絵の具だと僕はすぐに思
っ
た。
奴はいつもジ
ャ
ケ
ッ
トに絵の具の汚れを付けていた。潔癖性の癖に、それに関しては全くルー
ズだ
っ
た。指先に絵の具が付いていても、き
っ
と気にもしなか
っ
たんだろう。マルコは全く、絵画狂いの男だ
っ
た。
4
一週間前、マルコとナオミはひどく喧嘩した。その前に僕たち三人のことを少し話そう。
ナオミはイラストレー
ター
だ。ネ
ッ
トで依頼を募集し、内容によ
っ
てなんでも絵を描く。そして対価を頂く。彼女にはデザインと色彩の才能があ
っ
た。どんな仕事でも引き受けることが出来たのは、その才能ゆえと言う他ない。バー
のチラシのデザインや、新聞に挟まれる広告のかわいいキ
ャ
ラクター
、雑貨屋のイメー
ジキ
ャ
ラクター
なんかも描いた。旅行代理店のパンフレ
ッ
トをいくつか手に取れば、どこかに彼女のイラストが見つかるだろう。無論そんな仕事の対価は安いものだが。ナオミはメジ
ャ
ー
なイラストレー
ター
ではない。どこにでもいる何でも屋と言われてしまえばそれまで。でも彼女は幼い頃からの夢を叶えている。絵を描いて飯を食
っ
ている。それは立派なことだ。けれどマルコは、その生き方を認めなか
っ
た。
マルコは油絵専門だ
っ
た。郊外のガレー
ジをアトリエにして、絵を描いているというよりカンバスと戦
っ
ているような男だ
っ
た。依頼はほとんど受けない。時折個展を開き、わずかな集客を得る。それから好きに描いた絵をネ
ッ
トで販売する。「頼まれてまで描きたくない」とマルコは言
っ
た。絵を描くペー
スも不定期だし、碌な収入は無い。商才のある兄弟たちに養われていた様なものだ
っ
た。そんなインドアでアウトロー
な生き方がマルコの生き方だ
っ
た。油絵に対する彼のプライドの高さには感服したし、呆れ返
っ
た。
僕とマルコは大学時代の知り合いで、ナオミとは数年前にバー
で出会
っ
た。三人とも絵を共通の話題にして、仲良くな
っ
た。あの夜のバー
での会話はよく覚えている。
「ただ生きているだけの連中に、俺は加わりたくないんだよ」
マルコは言
っ
た。これは奴の口癖、人生の訓辞だ
っ
た。
「『ただ生きているだけ』
っ
て? どんな連中?」
ナオミは聞いた。マルコは口ひげを指でつまみながら、バー
の中をいつもの冷たい青い目で見回した。そしてタバコを挟んだ中指と人差し指で、カウンター
の2人組を差した。
「あの男二人を見ろ。上等なスー
ツにネクタイ。髪を綺麗に撫で付けて、顧客の印象もバ
ッ
チリ
っ
て顔だ。朝七時に目を覚まし、車内販売のコー
ヒー
を飲んで仕事を始める。今日は何人と契約を結べるかな? もしもし、お客さんウマい株の話があるんですが? 週に五日、ず
っ
とこれをやる。週末は同僚とバー
で酒を飲むか女を抱く。布団の中で貯金残高を見て呟く。次はどこのブランドの時計を買おうかな・・・」
僕はマルコがこんなことを陰険な顔つきでぺらぺらと舌が踊る様に話すと、つい笑わずにはいられなか
っ
た。マルコは大仰に肩をすくめて続けた。
「これがあそこの二人の人生さ。毛皮のコー
トが大好きなブロンドの女と結婚して、終いさ。連中はただ生きているだけだ。金を稼いで使い、稼いで使い、退職したら公園を散歩する他やることがない。何も生み出さない人生だ。ただこの世に存在しているだけ。わかるだろ?」
ナオミは苦笑いして「面白い考え方してるのね」と言
っ
た。まさかそれがマルコの人生哲学の全てだとは思わなか
っ
たようだ。僕はそれを見てまた笑
っ
た。
それ以来とくに衝突も無く、時間の合う時に三人で酒を飲んだ。仕事の手伝いや相談なんかもした。絵を描くのは孤独な行為だ。じ
っ
と一人で、筆の先から良い絵が生まれるのを待つ。何も生まれなければ自分を恨むだけ。良い絵が描ければ、つぎはも
っ
と出来の良いのを描かなき
ゃ
ならない。僕もマルコもナオミも、時折合うだけでその苦しみを和らげていたのだと思う。だから仲良し三人組というのとはち
ょ
っ
と違う。寒さに凍えた野良猫たちが、仕方なく低木の茂みで身を寄せ合
っ
ていたようなものだ。
僕は客観的に見て、ナオミとマルコの考え方は根本的に真逆だと感じていた。しかしそのぎりぎりのすれ違いが、摩擦にならなければいい。僕が上手くク
ッ
シ
ョ
ンになればいい。心の奥でそんなことを思
っ
ていた。僕はいつからかこの三人の関係に友情を見いだしていたのかもしれない。そしてその関係はかなり上手くい
っ
ていた。一週間前までは。
5
き
っ
かけは些細なこと、と人はよく言うが、二人の喧嘩のき
っ
かけはち
っ
とも些細なことが原因じ
ゃ
なか
っ
た。二人の生き方のぶつかり合いだ
っ
たのだから。
マルコは他人の絵を認めるということをしない男だ
っ
た。いつでも自分の絵が一番。他者の絵を見てもここが悪いあれが悪いと指摘して、しまいには作者の人格を否定した。勿論僕も自分の絵を何度マルコにこき下ろされたかわからない。殴り合いにまで発展したのは数回だけだけど。ある時マルコに突き飛ばされた拍子に僕が割れたビー
ル瓶の破片でひどく手を切
っ
てからは、マルコも僕もあまり感情的にならないようにな
っ
た。何針塗
っ
たか覚えていないが、左手の甲にはいまでもその跡が残
っ
ている。マルコは何度も「利き手じ
ゃ
なくて良か
っ
た。絵は描ける」と言
っ
た。たちの悪いジ
ョ
ー
クかと思
っ
たが、本心から言
っ
ていたのだから、怒る気にもならなか
っ
た。
そしてナオミのイラストもまた、マルコの批評の毒牙にかか
っ
た。ナオミが自分でイラストをメー
ルに添付してマルコに見せたという。それは葬式に白いスー
ツを着て「メリー
クリスマス!」と言うのと同じくらいや
っ
てはいけないことだ。
どんな風にマルコが批評したかは僕も知らない。けれどナオミは悪霊に取り憑かれたような顔つきをしていたから、想像にあまりあることを言われたらしい。
僕はナオミに呼ばれて、二人でいつものバー
に飲みに行
っ
た。
「何て人なの彼は」
僕は黙
っ
て彼女の愚痴を聞いた。フ