青い瞳の魔女
むかしむかし、ある小さな国に一人の魔女がいました。
魔女の名前はマ=ルコ。彼女の瞳はきれいな青色をしていたので、青い瞳の魔女と呼ばれていました。魔女は国の西に広がる深い森の奥に住んでいました。何百年もず
っと独りで住んでいました。
ある秋のことです。
魔女が住む森にこの国の王子がやって来ました。お供を連れて狩りに来たようで、馬にはたくさんの獲物がぶら下がっています。
森に誰かが来るのは久しぶりです。たまに魔女の助けを求めてやって来る者もいましたが、ほとんどの人は魔女を恐れて森に近づきませんでした。
久しぶりの来客に、退屈していた魔女はニタリと笑いました。この国で青い瞳の魔女のことを知らない者はいません。姿を見せれば、いかにこの国の王子とはいえ逃げ出すに違いありません。
魔女は魔法で陽の光を遮り、風を起こしました。
森の中が急に薄暗くなったので、王子のお供たちは不安そうに辺りを見まわします。その頭上に、魔女の不気味な声が響きました。
「誰の許しを得て、この森に立ち入ったぁ! 命が惜しくば早々に立ち去れぇ!」
大きな木の上にいる魔女の姿を見つけ、王子のお供たちは騒然となりました。その場で腰を抜かす者、背中を見せて逃げ出す者もいましたが、
「ひるむな! 剣を抜けっ!」
お供の一人、長い髪の女が魔女を睨み付けました。
長い杖を手に呪文を唱え始めた若い女に、王子が声をかけます。
「よせ、ナ=オミ!」
王子はその場に膝をつき、魔女に向かって頭を下げました。
「私はこの国の王子でジョーと申します。あなたの許しを得ずに森に入ったことはお詫びします。けれど、このまま森で狩りをさせていただけないでしょうか?」
聞けば、今年は作物があまり取れず冬を越せそうになく、王子たちはわずかでも足しになればと狩りに来たというのです。
誰が飢えて死のうとも魔女には関係のない話でしたが、王子の態度は魔女にとっては新鮮なものでした。表面上は礼儀正しくても心の中では魔女を恐れたり蔑む者がほとんどで、真摯な眼差しをまっすぐ魔女に向けたのは王子が初めてでした。
気をよくした魔女は、王子たちに獲物が捕れやすい場所を教えてその場を立ち去りました。
その日から、魔女マ=ルコはジョー王子のことが忘れられなくなりました。
ずっと王子の側にいたい、できればこの森で一緒に暮らしたいと思うようになりました。
けれど、魔女はどうすればいいのかわかりません。何故なら魔女は今まで誰かを好きになることがなかったからです。一人で暮らしているので相談する相手もいません。これまで森に訪れた者から恋敵の不幸やかつての恋人の死を頼まれたことはたくさんありましたが、彼らの気持ちとはどうやら違うようです。
何日か考えて、魔女は城を訪れました。
王様に、ジョー王子がほしいと申し出たのです。
驚いた王様はあわてて断りました。王子は大切な息子であり跡取りです。いずれ王となりこの国を治める王子を魔女に差し出すわけにはいきません。
けれど、魔女は王子のことをあきらめられませんでした。
毎日のように城を訪れては、王子を差し出せと王様に言い続けました。
王様は困って家臣たちと相談し、魔女に三つの課題を出すことにしました。
一つ目は、この国の者たちが冬の間に必要な食べ物を持ってくること。
二つ目は、この国のまわりに広がる森を切り開いて畑にすること。
三つ目は、この国に三千の兵を与えること。
これらをすべてできたのなら王子をやろう、と王様は魔女に約束しました。
この年、この国では作物があまり取れず、冬を越すための食べ物が不足していました。
また、この国の畑は狭く、かろうじて国の者が食べる分しか作物が取れませんでした。天気によっては今年のように冬を越せない者が出ることもありましたが、畑を広げたくても国は深い森に囲まれていて容易ではありません。
そして、この国の隣にはとても大きな国がありました。何年か前に新しい王様になってから周囲の国を次々と攻め滅ぼしていて、次はこの国に攻めてくるのではないかと人々は心配していました。
ひとまずの食料、新しい畑、国を守る力。
この三つは国に住む者たちの心からの願いでしたが、いかに魔法でも何もないところから物を生み出すことはできません。それを知っていて王様は、魔女に王子をあきらめさせるためにこのような約束をしたのです。
けれど、青い瞳のマ=ルコは魔女でした。
何百年も生きた偉大な魔女でした。
魔女はまず隣の大きな国に行きました。
魔法と秘薬を使って住人たちの意思を奪い、何でも言うことを聞く下僕に変えていきました。魔女の下僕になると瞳が濁った青色に変わります。なので多くの人々はすぐに異変に気づきましたが、剣を向けても怯まない魔女の下僕に捕まり、次々と下僕に変えられてしまいました。
抵抗する者も逃げる者もいなくなると、魔女は下僕たちに言いました。
「食料を持って私に続け!」
下僕たちは近くの家や店から持てるだけの食べ物を持つと、馬に乗った魔女の後を歩き始めました。ひとりでは動けない者たちを置き去りにして、魔女の後に続きました。
隣の国とはいえ、城がある町まで数日かかります。山をいくつか越えるその道を、馬に乗った魔女は下僕たちを引き連れて歩きます。長い長い列となった下僕たちを引き連れて休まず歩きます。途中で倒れる者もいましたが、魔女はそのまま歩き続けました。
そして城の前の広場に着くと、下僕たちに持ってきた食料を積み上げさせました。
「冬を越すための食料を持ってきたぞ! 受け取るがいい!」
けれど、食料を運んできたのは濁った青色の瞳をした下僕たち。人形のように表情を失った人々が運んできた食料に手をつけた者はほとんどいませんでした。
「さあ、次は森を切り開くぞ!」
魔女は下僕たちに命じて、木を切り倒し、切り株や草や石を掘り起こし、森を畑に変えていきました。道具が少なかったので、下僕の多くは手で石を掘り起こし土を耕しました。手が血で赤くなるのも構わず耕し続けました。倒れて動かなくなった下僕は、できたばかりの畑に埋められました。
見事な畑があたり一面にできあがった時、生き残った魔女の下僕の数はちょうど三千でした。
「さあ、これが三千の兵だ! 王よ、すべての約束は果たしたぞ! これでジョー王子は私のものだ!」
魔女はすぐさま城にいる王子のもとへ飛んでいきました。
「王子よ。私は王が言ったとおり冬を越すための食料を持ってきた。広い畑を作り、三千の兵を与えた。さあ、私と共に来るがよい!」
「黙れ、悪しき魔女め!」
ジョー王子は腰の剣を抜きました。
「人々をあやつり多くの者を死なせたことは許されぬ! その上、国の跡取りである私を寄越せとは、次はこの国を滅ぼすつもりか!」
王子は魔女に近づくと、剣で魔女の胸をつらぬきました。
魔女は驚いたように一瞬その青い目を大きく見開きました。けれど、すぐに笑みを浮かべ、ジョー王子の左手に触れました。
魔女が倒れた時、ジョー王子の左手の薬指には見たこともない金色の指輪がはまっていました。あまりにも禍々しい気配にジョー王子はあわてて指輪を外そうとしましたが、指の皮に貼りついてしまったかのように抜けません。
「王子!」
近くにいた側仕えの魔術師ナ=オミが駆けつけました。呪文を唱えながら、魔力を込めた小剣を指輪に突き立てます。指輪は砕けて地面に落ちましたが、王子の左手の薬指には傷のような痕が残りました。
「青い瞳の魔女マ=ルコよ! いったい王子に何をした!」
長い黒髪の魔術師ナ=オミが問いただすと、血溜まりの中で魔女はうっすらと笑みを浮かべました。
「あの指輪は私と王子をつなぐ絆。たとえ砕けようとも、もう王子は私から離れられぬ」
そう言い残し、青い瞳の魔女マ=ルコは動かなくなりました。
ジョー王子は悪しき魔女を倒した英雄として人々から讃えられました。
けれど魔女が死んでから、王子の体調はすぐれません。栄養がある物を食べさせたり、効くという薬をいろいろ飲ませてみましたが、王子の体調は良くなりません。ひと月もすると、王子はベッドから起き上がれないほど弱っていました。
「これは、おそらく青い瞳の魔女の呪いでしょう」
遠くの国から呼び寄せた魔法使いに王子を診てもらうと、彼はこう言いました。
「青い瞳の魔女の体は死にましたが、その魂は滅びておりませぬ。どこか別の地に生まれ変わり、そこに王子の魂を呼び寄せようとしているのでしょう」
「呪いを解くことはできるのか?」
王様の問いに、魔法使いは首を横に振りました。
何百年も生きた偉大なる魔女の呪いです。強い呪いの力に、魔法使いはどうすることもできなかったのです。
「父上、気を落とさないでください」
痩せこけた王子はベッドの中で毅然として言いました。
「魔女が私を呼び寄せようとしているのなら好都合。生まれ変わった先で、必ずや魔女を倒してみせましょう」
「しかし、殺しても魔女は別の場所で生まれ変わり、ふたたびお前の魂を呼び寄せるのではないか」
「それならば魔女の魂を滅ぼす方法を探します。そして、いつか魔女を滅ぼし、必ずこの国に帰ってまいります」
王子の決意に、王様もまわりの人々も涙しました。
そして、
「私も一緒に戦います。どうかお供させてください!」
一人の若い女が王子の前に進み出ました。
魔女の指輪を外した長い髪の女魔術師ナ=オミです。
「しかし、どうやって王子のもとに行くつもりだ? お前には魔女の呪いはかかっていないのであろう?」
王様の問いかけに、魔術師ナオミはきっぱりと答えました。
「探します。そして必ずや王子を見つけ、共に魔女と戦います」
王子は口元に微かな笑みを浮かべ「ありがとう」と呟くと、目を閉じました。その目が開くことは二度とありませんでした。
誰もが王子の死を悲しみました。最後のお別れをするために、たくさんの人が城 に向かいました。
城に向かう人々の長い長い列の横を、一人の女が歩いていました。長い髪をなびかせながら、国の外に向かっていました。
長い長い旅の始まりでした。