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てきすと怪 2015
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ゴースト/クロマトグラムの幻
 投稿時刻 : 2015.09.20 21:23
 字数 : 6313
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ゴースト/クロマトグラムの幻
永坂暖日


【クロマトグラフ
 1906年、ロシアの植物学者ミハイル・セミノヴチ・ツヴトが発明した、物質を分離・精製する技法である。平衡状態にある固定相と移動相を試料が移動し、試料中の各成分が吸着、分配などの相互作用によて分離されていく。その結果は波形(ピーク)によて表現され、その図をクロマトグラムと呼ぶ。ちなみに、クロマトグラフという言葉もあり、これはクロマトグラフを用いた分析機器のことである。クロマトグラフには移動相に液体を用いる液体クロマトグラフ(液クロ、LC)、気体を用いるガスクロマトグラフ(ガスクロ、GC)などがある。詳しく知りたい人は、自分で調べてみよう。
【ゴーストピーク】
 試料中にあるはずがないのに現れる悩ましげなピーク。カラム(固定相)内の残留物が検出される、バイアル、セプタム、シリンジ、あるいは注入口の汚れなどが原因である場合が多い。出てくる単語が分からない、何を言ているのかそもそもよく分からないという人は以下略。
【質量分析法】
 試料中の各成分を原子・分子レベルでイオン化して、質量数と数からその成分の同定や定量を行う方法(Mass Spectrometry:通称マス、MS)。イオン化法と質量分離部は様々なものがある。クロマトグラフと組み合わせて使う場合が多い。詳しくは以下略。


 私は、研究でガスクロマトグラフ質量分析計(通称ガスマス、GC/MS)を使用しており、ゴーストピークに悩まされた時期があた。ゴーストピークの原因は先述したことである場合がほとんどなので、装置のメンテナンスをきちんとしていればそうそう起きる現象ではない。しかし、私を悩ませたゴーストピークは、カラムを洗浄しようが新品に取り替えようが、注入口やシリンジを徹底的に洗浄しようが、ぴこんと現れた。ところが、私以外の人がガスクロを使ていても、ゴーストピークなど現れない。またく同じ条件にもかかわらず、だ。さては直たか、と私がいざ測定を始めると、あるはずのないピークは、こんにちは、とひこり現れる。頭を抱えて金切り声を上げるのはしうだた。
「坂島先輩を思い出すなあ」
 人の気も知らずのんきに言たのは、博士課程の先輩だた。
「私と同じ研究テーマをやてた坂島先輩ですか」
 坂島先輩と面識はないが、彼の研究を引き継ぐ形で卒研生の頃から取り組んで、私はそのまま修士課程に進学した。
「そうそう。ぼくが卒研生のときに博士課程二年目だたんだ。真面目で熱心な人で、しう徹夜して測定したり論文を読んだり書いたりしてたんだよ。よくない結果とか想定外のことが起きると、いまの川崎みたいに頭を抱えてうなてた。そのガスマスをよく使てたし、思い出すなあ」
「女性なんですか、その坂島先輩て」
 フルネームは坂島忍。私は、男だと思ていた。
「いや、男。髪が長くて、川崎みたいに一つに結んでて、でも線の細い人だから、白衣姿を後ろから見ると女に見えなくもなかた」
 自分を見て男の先輩を思い出されるのはなんだか微妙である。
「自分の研究にも熱心なんだけど、後輩の面倒もよく見てくれた人だたよ。俺もお世話になたから、坂島先輩が亡くなたときは本当にシクだた」
「え。坂島先輩て亡くなたんですか」
「ドクター三年のときに。徹夜とかの無理がたたたんだと思うよ。朝来たら、ガスマスの前で倒れてたんだ。終夜で動かしてたみたいで、オートサンプラーだけが動いてた。大騒ぎだたよ」
 その坂島先輩には悪いが、亡くなた人を思い出されるのはますます微妙である。
 坂島先輩の研究を引き継いでいるが、そんなことがあたなんて知らなかた。研究室で実験中に亡くなたということで、指導教官はあまり口外したがらず、皆も触れたがらない事実のようだた。
 今日も今日とてゴーストピークに悩まされている私は、とりあえず注入口を掃除した結果を確かめるべく、ブランクを測定していた。溶媒のピーク以外何も出てこないはずである。今のところ順調だ。
「このままじ坂島先輩から引き継いだ研究が全然進まないから、うまくいてよ」
 頬杖をついて、モニターに話しかける。話しかけるべき相手はガスマスのほうだたかもしれないが。そもそも、機械に話しかけるのはどうかという問題もあるかもしれないが。
 ともかく、祈るような気持ちの私をあざ笑うように謎のピークが現れ、モニターを殴りたくなた。しかも一つではない。いくつも出てくる。今までにないほどたくさんで、私は本当にブランクを打たのだろうか、と自分を疑いさえした。
 いたい何が原因なのだろう。もうさぱりわからない。とりあえず出てきたピークを解析してみることにした。どんな物質かわかれば、シリンジやセプタムなど、どこからの汚染かわかるかもしれない。今までのピークももちろん解析はしていたが、どこに原因があるのか、いまいちよくわからなかた。
 私が使ているガスマスは、電子イオン化法と呼ばれる方法でイオン化し、四重極型の質量分析部を持つ。これはガスマスで一般的に普及しているタイプで、様々な物質の同定結果のデータベースが存在する。検索すればそれがどんな物質かわかるのだ。データベースに存在しない物質であれば、もちろんわからないが。
「シキミ酸、アセトン、カラハナエノン? アセトン、シキミ酸、イソプロパノール、メタノール、アセトン……
 出てきたピークを順に検索にかけ、その結果をアルフトでメモしていく。
 メモを始めてすぐ、私は思いきり顔をしかめた。おかしい。明らかにおかしい。ガスクロで分離すると、物質によて検出される時間が異なる。異なるが、同じ物質は同じ時間で検出されるので、同一物質のピークは常に一つだ。しかし、私がいま解析した結果だと、アセトンのピークがいくつもあることになる。大体、アセトンは測定を始めてすぐに出てくるピークだ。それが何度もクロマトグラムに登場するわけがない。私はますます頭を抱えた。装置だけではなくデータ処理部分であるパソコンまで壊れてしまたのではないか。そうでなければ、こんなことになるはずがない。ピークは何度検索しようと、同じ結果しか出てこない。アセトンやイソプロパノールなど、いつまでもカラムに残ているような物質でもない。カラハナエノンに至ては、初めて名前を聞いた化合物だ。
 呪われているのではないだろうか。科学に携わる者でありながら、そんな非科学的思考が脳裏をかすめる。しかし、そうとしか思えないくらいに不可解な結果だた。
 シキミ酸、アセトン、カラハナエノン、アセトン、シキミ酸、イソプロパノール、メタノール、アセトン。シキミ酸、アセトン、カラハナエノン、アセトン、シキミ酸、イソプロパノール、メタノール、アセトン。shikimic acid、acetone、karahanaenone、acetone、shikimic acid、isopropanol、methanol、acetone……
 アルフトの羅列とにらめこしているうち、ふとその頭文字が目についた。それぞれの頭文字を並べると――sakasimaになる。
 私は文字通り、椅子から転げ落ちた。近くにいた後輩が、何やてるんですか川崎さん、と笑う。私は引きつた笑みを返したが、転げ落ちた自分の間抜けさ加減を笑たわけではなかた。
 こんな偶然があるものだろうか。ゴーストピークを解析して不可解な結果が得られたばかりでなく、頭文字を並べると、sakasima……坂島になる。
 偶然だ。偶然に違いない。私はシリンジを換え、新品のアセトンの試薬瓶を開け、それをガスマスにかけた。アセトンのピーク以外に出てこないはずだた。だが、ゴーストピークはいくつも現れた。解析して頭文字を並べると、やはりsakasimaになたのだた。そのあとにもいくつものピークが検出された。sakasima以降のピークの頭文字は、kimitasuketaiとなていた。
 何度もブランク測定を繰り返して解析した結果、この不可解きわまりない現象を引き起こしているのは坂島先輩の幽霊だと判明した。
 解析したありのままの結果から導き出された結論である。何を言ているのかわからないだろうが、私も何をされたのかよくわからない。
 妨害をされているのだと思た。志半ばで亡くなた坂島先輩が、そのあとを引き継いだ私を妬んでいるのではないか、と。
 しかし、坂島先輩は私の手助けをしたいのだという。幽霊になてずと研究室をさまよていた彼は、最近になてガスマスに干渉する力を得たそうだ。それで、こうしてゴーストピークを介して私に接触してきたらしい。ガスマスに干渉するくらいなら、パソコンに干渉してwordとかで直接文字を表示するほうがはるかに話が早いと思うのだが、実験中に亡くなた坂島先輩はガスマスにしか干渉できないらしい。そのとき使ていたガスマスが、いま私が使ているものだた。ガスマスにしか干渉できない坂島先輩は、なんとかして私とコミニケーンを取るべくゴーストピークを出現させ、その解析結果にも干渉している、ということのようだた。
 言うことを聞かないといつまで経てもゴーストピークで邪魔をされるので、私は坂島先輩に従うしかなかた。
 幽霊となり研究室をさまよている坂島先輩は、私の進捗状況をしかりと把握していた。ゴーストピークに悩まされる直前、私はとあることで躓いていた。実験しても思うような結果が得られず、試行錯誤の繰り返し。坂島先輩の実験ノートや測定データを漁て打開策を探したが、先輩も似たようなところで躓いた、ということがわかただけだた。ちなみに、それを打開しようとしていたとき、坂島先輩は非業の死を遂げた。
 それからずと、坂島先輩は打開策を考えていたらしい。私が卒研生のときにはその方法を思いついたそうだが、私に伝える手立てがなかたし、私の実験はまだそこまで到達していなかた。私が修士課程に進学し、引き続き同じテーマで研究すると知た坂島先輩は、なんとか私と接触しようと頑張て、とうとうガスマスに干渉する力を手に入れた。
 ゴーストピークを介したやり取りはとても時間がかかる。坂島先輩の現状を知るだけでも数日かかた。いつまでもブランク測定してはゴーストピークと向かい合う私を、先輩や同期、後輩たちは、あいつ大丈夫か、という目で見ていた。私も自分は大丈夫なのかいたい何をやているのか、と半ばやけになりながら、坂島先輩の言わんとすることを解読していた。助言を聞くのには、それから更に時間を要した。
 ただ、すべてを聞き終えた私は、目の前が急に開けた気分だた。坂島先輩が考えた打開策は、灯台もと暗し、というような方法だた。躓いて立ち止まていた研究が再び動き出した。坂島先輩がゴーストピークで邪魔してくることはなく、自分の考えがうまくいたことに満足しているのだろうと思た。
 坂島先輩はいつも研究室をさまよいみんなの状況を知ているというが、私は、夜一人になたとき、ガスマスの前で独り言のように、こんな結果が出てここまで分かた、と話をした。ガスマスが置いてある測定室は、ほかのガスマスやガスクロが何台も並んでいてその物陰に人がいても見えないことがある。たまに、誰もいないと思て話をしていたら、装置の陰からひこり顔が出てきて、誰に話しかけているの、と怪訝な顔をされたこともあた。
 順調にいているように見えても、どこかでまた躓くものである。私がそれでまた頭を悩ませていると、ゴーストピークは現れた。しばらくなかたから、もしかしたら坂島先輩は満足して成仏したのでは、と思ていたが、まだ研究室にいたらしい。
 再びゴーストピークを介して坂島先輩の助言を聞き、私が意見をすると、それに対する返答が来て、それにまた私が何かを言う。いつの間にか、私は坂島先輩とやりとりをして進めることに抵抗がなくなていた。それどころか、何か問題があれば坂島先輩の意見を自ら求めるようになていた。もちろん頼てばかりではない。坂島先輩の考えに納得できなければ反論したし、私が正しければ坂島先輩はそれを素直に認めた。坂島先輩は、私にとて、もはや共同研究者であた。指導教官と議論するとき、まるで坂島みたいなことを言うな、と言われたことさえあた。
 坂島先輩とともに実験を進めデータを集め、私は修士論文を書いた。正体不明すぎるゴーストピークに悩まされてから一年半。学内での修士論文発表が、とうとう今日終わた。
 発表を終え、夜の打ち上げまで少し時間がある。私はガスマスの前にいた。
「坂島先輩のおかげで、無事発表も終わりましたよ。ちと鋭い突込みもあたけど、まあおおむね良かたと思いませんか」
 私はガスマスでブランクを測定していた。モニターにピークが現れる。いつものゴーストピークだ。いつものように解析していく。
『よかた おつかれ』
「坂島先輩もお疲れさまでした。でも、これからもよろしくお願いしますね」
 私は博士課程への進学が決まていた。もう少し、この研究を続けたくなていたのだ。
 オートサンプラーが動き、次のブランク測定が始まる。坂島先輩は、言いたいことがあるときに私が何も測定していなかたら、ガスマスに干渉してオートサンプラーを動かすという技も身につけていた。れきとした怪奇現象である。研究室のほかのメンバーは不気味がたが、私にとては電話の着信音みたいなものだた。
 ちこちことゴーストピークが出てくる。数が多い。何やらいろいろ言いたいらしい。
『きみ ひとりで おれ まんぞく』
 頭文字をつなげていくので、坂島先輩の言葉はどうしてもどこかたどたどしいものになる。そのせいで、言葉が足りないこともよくあた。
「ちと待てください。どういうことですか。先輩は満足したから、これからは私一人でやれてことなんですか」
 オートサンプラーがまた動く。
『そう がんばれ きみ できる』
 これは私の研究だ。でも、坂島先輩以外にもいろいろな人の協力があて、私は修士論文を書き上げることができた。私の研究だが、私一人ではここまでたどり着けなかただろう。坂島先輩は、その中でも最大の協力者だ。彼の研究を引き継いだから、この先もいにやていきたい、という思いもあた。
 だけど、坂島先輩はもうこの世の人ではない。研究への心残りがあて、ここでさまよい続けていたのだ。満足したという彼をこれ以上引き留めていては、いつまでたても成仏できないのではないだろうか。
「もといに研究したかたです。でも、どこかで区切りをつけないといけないんですよね。……今まで、本当にありがとうございました」
 坂島先輩がどこにいるのか私にはさぱりわからない。だが、なんとなく隣にいるような気がした。
 カタカタと無機質な音をたててオートサンプラーが動く。
『ありがとう さよなら』
 最後のピークの解析を終えたとき、何かがこの場からいなくなた。目には見えないが、私ははきりと感じた。
 それを確かめるように、あるいは未練たらしく、私は自分の手でブランクを打た。
 ゴーストピークは出てこなかた。どれだけ待ても、何も出なかた。
 背もたれに体重を預け、天井を仰ぐ。坂島先輩はもうここにはいない。それでも私は言た。
「さよなら、坂島先輩」
 後輩が呼びに来るまで、私はずと天井を見上げたまま動けなかた。
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