てきすと怪 2015
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父の思い出 庭の女、イレブン
投稿時刻 : 2015.09.20 10:58 最終更新 : 2015.09.20 19:19
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- 2015/09/20 19:19:14
- 2015/09/20 19:14:21
- 2015/09/20 10:58:22
父の思い出 庭の女、イレブン
ドーナツ


 庭の生け垣に黒い影が揺らいでいた。立ち上り、縦横に広がりながら、少しずつ形を成していく。白いスカートとハイヒールを履いた足が見えた途端、俺は縁側をかけ出していた。子供だた俺は、父の姿を探す。座敷でテレビを見ている母の向かいに寝転がり、父は煙草を呑んでいた。
「お父さん! 変なのがいる」
「どこ?」
 父は煙草を灰皿へ押しつける。
「庭」
 俺の話を訝るでもなく、父は縁側へ付き添てくれた。俺と父のあとを追てきた母は庭を眺め、首を傾げる。
「誰もいないよ?」
 母は、俺の顔を覗きこんでいた。やおら置き放しのサンダルを突かけ、父が庭へ降りる。迷いなく柿の木の根元まで歩いていた。膝を折て屈み込み、拳を握たかと思うと地面を軽く叩き始める。それと同時に影は土の中に沈でいく。母の戸惑いを他所に俺は呆気にとられ、父を見つめていた。
「十一回。これで、もう大丈夫」
 父は笑顔で俺に、そう言た。

 それから、俺はたびたび、あれを見た。あれは決して家の中には入てこない。ただ庭の一角に佇んでいた。
 ハイヒールを履いた格好の良いふくらはぎ、服装はさまざまだ。上半身は黒く滲んでいる。頭部は髪に覆われていたが、長くも短くも見えた。顔はかげり、全体にうごめいていて判別しがたい。いくつかの影が折り重なりながら、ひとつの像を結ぼうとしているようにも見えた。
 あれは俺を好かないらしく、近づいてくることはない。父に頼めば、先日と同じ方法で追い払てくれた。影を沈めた父は苦しげに目を閉じ、縁側に座たまま小一時間、休んでいる。この調伏とでもいうべきものは、父をあきらかに疲弊させていた。
「お父さんが死んだら? 死んだら、あれ。どうするの?」
 恐ろしくなり、俺は父に尋ねる。
「どうもしなくていい」
「いいの? 何もしないで?」
「うん。そう」
 俺は、あれを見かけても父に伝えなくなた。

「ここでお父さん。変なことしてたよね?」
 俺は、母と二人で庭の柿の木を仰いでいた。
「うん」
「寂しい?」
 母が覗きこんでくる。子供だた俺は、大学生になていた。
「そうでもない。母さんは?」
 自宅を含む周辺地域に市街化の事業計画が持ち上がている。母は市から補償金を受け取り、土地を移譲する意向だ。俺も異存はない。
「寂しいけど、学費のこともあるし。生活を変えるのもいいかなと思てる」
 父が急死し、金策にあぐねている矢先の幸運だた。
「お父さんの部屋を片しちうから、欲しいものがあたら持て行て」
 頷きながら俺は庭の生け垣に目をやる。あれが、いた。こちらへ向かてゆるやかに近づいている。上半身は暗い色に沈み、髪が揺らいでいる様子だけがうかがえた。
「母さん。あれ、見える?」
「あれて?」
 俺が指さすほうを眺め、母は首を傾げている。
……中に戻ろう」
「え、でも?」
「いいから」
 驚いている母を急かして縁側を上がた。あれは、ハイヒールを履いた足を動かすことなく、柿の木の傍まで移動する。自ら地面に潜ていた。

 父の部屋には、仕事関係の書籍、ノートやメモの類、衣類、文房具がそれぞれに片付けられていた。埃はない。母が掃除しているのだろう。
 俺は読めそうな本を二、三冊、手に取た。事務机の引き出しを当てもなく引かきまわす。ほどなく型の古いデジタルカメラと未使用の座席指定券が二枚、出てきた。デジタルカメラは、電池が切れているようで電源は入らない。
 仕方なくパソコンを起動し、メモリーカードを差し込む。中には十六枚の画像データが納まていた。何ということはないスナプ写真である。犬や風景の他は、教室で撮た写真のようだ。中学生と思しき制服姿の男女が数人ずつ写ている。最後の一枚は、十三人の人間が横並びになていた。みな手にカードを持ており、そのうちの一人だけが中年の男である。教師だろうか。
「紅茶、淹れたから」
 声をかけ、母が部屋に入てきた。俺の脇にマグカプを置く。
「ありがとう」
「具合はどう? さきは、真青だたよ?」
 俺は、あれの挙動に動転していた。顔色を失ていたのだろう。
……うん。ちと頭が痛かた」
「そうなの? 熱は?」
「ない」
 即座に答えた。
「それなら、いいけど。そういえば、お父さんも頭痛持ちだたね」
 父は、調伏した際の不調を母に頭痛と説明していたのだた。
「これ。お父さんじない?」
 画面に表示されている写真を母が指さす。男子中学生が、同級生と思しき少年と肩を組んでいた。
「細いし、若いね。顔は、あんまり変わてないけど」
 俺にとては別人である。
「そうだ。この間、おまえのいない時に河野屋さんが来たのよ」
 庭木の手入れを頼んでいた造園業者だ。
「それで、あの柿の木を売てくれて言うの。なんだか珍しい木で枝ぶりもいいんだて」
「売ればいいじない」
「そう思う? どうしようかと思てたんだけど」
 市が整地してしまうのである。そうなれば、木もへたくれもない。
「じあ、話を進めるね」
 母は早速、玄関口で電話をかけていた。

「すぐ帰てこれる? 私、一人じどうしていいかわからなくて」
 母から連絡があたのは、デジタルカメラを発見してから二週間ほど経た平日の午後だた。
「帰れるけど」
「良かた。なんだか変なことになちたのよ。なるべく早くね」
 明日の講義の予定を確認し、大学を出る。空に飛行機雲が流れていた。

 自宅の庭で俺は、ようやくあれの全貌を目にした。
 すらりとしたふくらはぎとハイヒール。俺が知ていたのは、そこまでだた。ふくらした二の腕と美しい掌、指は、とても長い。上向いた尻を見ても体型はあきらかにコーカソイドだが、胸のサイズと顔立ちは日本人よりだ。
「気味が悪い」
 母は身震いしている。
「俺たちもビクリしましたよ。それじ、息子さんも心当たりはないんですね?」
「ありません」
 マネキンへブルーシートをかけ直している造園業者に俺は答えた。マネキンは、根元の掘り出し作業中に見つかたのだという。なぜこんなものが庭に埋まていたのか。皆目、謎だ。
「どうする?」
 困惑した顔で母は俺を見上げている。
「捨てるしかないよ」
「そうだよね」
 作業を再開する造園業者を残し、二人で縁側へ上がた。

 庭に横たわているだろうマネキンの姿が頭から離れない。
 マネキンの足とハイヒールは、あれと同じだた。だが、相違点もある。マネキンは何か所にもわたて、英数字が落書きされていた。
 気を紛らわそうとパソコンを起動する。差し込んだままにしていたメモリーカードの中身を確認した。データは無事である。その時になて俺はデータが分割されていることに気がついた。
 一覧が画面に表示されている。ホルダーには、十枚の写真が納まていた。どの写真にも同じ少年が写ている。父が肩を抱いていた少年と同一人物だと思い至たのは、かなり時間が経てからだ。
 彼は裸で教室に佇んでいた。体のいたるところに文字が書かれている。すべて卑語、罵倒だ。劣悪な絵や記号も散見される。写真は、さまざまな角度から撮影されていた。中の一枚の彼の表情を何と表現すればいいだろうか。
 カメラは正面から彼を捉えていた。彼は目じりを下げ、口角を上げている。笑顔を作ろうと果敢に挑んでいた。しかし、頬を流れる涙は、その努力を完膚なきまでに裏切ている。

 俺はホルダーを閉じた。デジタルカメラの入ていた引き出しを探り、列車の座席指定券を二枚、取り出す。先日のホルダーを改めて開いた。男女が立ち並んでいる写真を拡大する。彼らが手にしていたカードは、座席指定券だた。データを携帯端末に移し、庭へ出る。ビニールシートを剥ぎ、マネキンの傍に屈み込んだ。
 英数字は全部で十一か所、マジクで書かれている。そのひとつひとつを俺は、写真と照らし合わせた。十三枚の指定券のうち十一枚の座席番号と、英数字は一致している。除外されている二枚は、父と少年が掲げていた指定券である。引き出しにあた未使用の指定券と同じものだ。
 父は、いたいどんな男だたのだろうか。朴訥とした父の笑顔が白茶けていく。
 いつの間にか目の前にあれが立ていた。マネキンに書かれていた英数字が震え、ほどけて、あれの足を這い上がていく。あれの上半身は、以前より鮮明だ。服装は白いワンピースに固定されている。肩から上は、やはり暗く沈んでいるが、英数字を取り込むたびに像を結び、男女の姿が浮かび上がていた。それは、デジタルカメラに納められていたスナプ写真の映像である。
 英数字をすべて吸収し、あれは滑るように庭を横切た。直立の姿勢で生垣を飛び越える。そのまま街灯の点る電信柱を過ぎ、夕闇に紛れて見えなくなた。

 ブルーシートをかけ直し、俺は父の部屋に戻た。携帯端末の写真を削除し、メモリーカードをスチール製の定規で叩き壊す。座席指定券は細かく裂いてごみ箱に捨てた。(了)
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