穴の底の巨大な顔
土地のガイドの話だと、この穴の底に巨大な顔があるという。
「大きな穴だな」
白い太陽の陽射し以外なにもない荒野に、ぽ
っかりとした巨大な穴があいていた。穴の縁に立って周囲を見渡す。崖のように切り立った反対側の穴の縁は遠く、その距離のあまりに霞んで見える。下を覗けば吸い込まれるように深いその穴の底は見えない。
「一周は三スツォリ、深さは千スツォリあると言われています」
ガイドが言う。スツォリとは人が一日に歩く平均的な旅程を示す単位である。一周するのに三日というのも相当であるが、人が千日歩く深さとなるともはや信じていいのかすら見当がつかない。それだけ深いということだろう。
「こんな深い穴の底まで行けるのかね?」
当然の質問をする。ガイドはこの穴の底に巨大な顔があると言ったのである。誰かが穴の底に行き、それを見て戻ってこなければ成立しない話である。ガイドは微笑んだ。
「はい。ここから飛び降りれば、誰でも底まで行くことはできます。帰っては来られませんが」
ジョークである。私は苦笑するしかない。
「おいおい。それだとキミの話にあった巨大な顔は、誰が見たというのだい?」
「それは多くの人が見ています」
ガイドが謎かけのようなことを言う。私の困惑を表情から読んだのか、ガイドが言葉を付け加える。
「正確に言えば、穴の底から巨大な顔がやってくるのです」
「やってくる?」
そう訊き返したときだった。不意に地面に影が走った。それと同時に地面が揺れ始めた。
「ちょうどよく竜が飛びましたね。そろそろ来ますよ」
地面の揺れには頓着せず、ガイドは手を翳して空を見上げた。太陽の輝きの中に黒い影が浮かんでいる。長い首に長い尻尾、そして大きな翼。地面に落ちた影の正体である竜だった。
立派な竜だな。そう思った瞬間に、それは現れた。
「顔です」
穴の底からものすごい勢いで何かが立ち上がった。長い、とても長い蛇のようなものが柱のごとく立ち上がり、空に飛ぶ竜へと伸びていく。そしてその先端が竜をサッと捕らえると、またものすごい勢いで穴へと吸い込まれるように戻ってくる。
「顔だ」
穴に戻っていくそれの先端の姿を私は見た。きれいに横に引かれた形のよい眉、くすみのない黒真珠のような澄んだ瞳、大きな竜をくわえた血のように赤くふくよかな唇。
男とも女ともつかない、その一周三スツォリもある巨大な人の顔が、穴の底へと消えていくのを私は見送る。
「顔だった」
「顔です」
呆けたように呟く私の様子に、ガイドが満足げにうなずく。
もう穴の底を覗いても、顔の姿は見えない。
けれど私の目には、あの黒真珠のような澄んだ瞳が動き、私の顔を見た瞬間が焼きついていた。
「……笑っていた」
そうだ。あの瞳は微笑んでいた。目を細め、私に微笑み消えていったのだ。
その意味するところなど分かるはずもなかった。
しかし私の心には、そこに穿たれた穴の存在が確かに残ったのだった。