魔法少女は終わらない!
平積みされた文庫本から、棚に詰め込まれた背表紙に視線を移したとき、足に軽い衝撃を感じた。
ぎ
ょっとして目をやると、見知らぬ女の子がわたしを見上げて、目をぱちくり。三歳くらいだろうか。髪の毛を二つに分けたその子がぶつかったらしい。誰かを探すようにきょろきょろ、まだ覚束ない足取りでよたよた歩き出す。
書架の間にこの子の両親らしき人はいない。女の子の顔は不安げで、今にも泣き出しそうだった。
「お嬢ちゃん。パパか、ママは?」
女の子の前に回り込み、しゃがんで目線の高さを合わせると、できるだけ優しい声で尋ねた。
「……いないの」
ひどく心細い声が返ってきた。迷子になったらしい。
本屋のどこかにこの子の両親がいたらいいのだが、ここは大型ショッピングモール内の書店だ。女の子がふらりとここへ迷い込んだのかも知れないし、親は女の子がいないのに気付かないまま、本屋を出て行ったのかも知れない。
「そっか。じゃあ、おねえちゃんと一緒に、パパかママがお迎えに来てくれるところに行こう?」
「……しらないひとについてっちゃだめって」
女の子はふるふると首を横に振った。その幼さにしては、なかなかしっかりしている。
インフォメーションセンターは書店からちょっと離れていたと記憶している。そこへ連れて行くのが一番手っ取り早いが、無理に連れて行くと、大泣きするかも知れない。それではなんだか自分が誘拐犯になった気分になりそうだ。
今度はわたしが当たりをきょろきょろと見回した。書架の間に、他に人はいない。
「よし、じゃあ、パパかママが見つかるおまじない、しよっか?」
おまじない、という言葉の意味がまだわからないのか、女の子が首をかしげる。
「おねえちゃんが秘密の言葉を言うから、その間、パパとママに会いたいって思うの。できる?」
こくこくと小さな頭が縦に動く。
「じゃあ、今から秘密の言葉を言うから、パパとママに会いたいって思うんだよ」
女の子が真剣なまなざしになる。よしよし、ちゃんと言われた通りにしているようだ。
「カフクハカフクハアザナエルナワノゴトシー」
痛いの痛いの飛んでいけ、と同じ調子で、この言葉を三度繰り返す。
「はい、いいよ。もうすぐ、ここに迎えに来るから」
「うん」
子供は素直でいいなあ、と思っている間に、通路からベビーカーを押す男女が現れた。
「あ!」
女の子は嬉しげな声を上げ、彼らに駆け寄っていく。
「離れちゃだめって言ったでしょう」
ちょっと怒りつつも、安堵した声で母親が言って女の子を抱き上げる。
ごめんなさい、と謝った女の子は、こちらを振り返って小さな指でわたしを示す。
「あのね、あのおばちゃんがおまじないしてくたら、パパとママが来たの」
「おねえちゃんでしょ!」
母親が慌てて訂正し、父親と二人で、すみませんごめんなさいと頭を下げる。見たところ、わたしと女の子の両親はそれほど年の差がないので、彼女にとっては「おばちゃん」でもおかしくはないのだが……。
「ありがとうございました」
「いいえ、特に何もしてませんから」
「ばいばい」
女の子に手を振り返し、わたしはその場をあとにした。
――さて、大変なのはここからだ。
本屋を出たわたしは、慎重に左右を見回す。駐車場の方向を示す表示はどこかにないものか。
そろそろ帰ろうかな、と思っていたときにあの子と出会ったのだ。そして、『おまじない』と称して迷子の女の子を助けるために『秘密の言葉』を唱えてしまった。
わたしは、元・魔法少女。秘密の言葉を唱えれば、みんなの願いを叶えることができるのだ。少女ではなくなった今も、その力は失われていない。なので今は、魔法成人とでも言うべきか。もっと歳を取れば、魔法熟女になり、ゆくゆくは魔法老女……なんてことは今はどうでもいい。
確かこっちから来たはずだ、とわたしは本屋を出て右に進む。エスカレータを下りて、近くにあった館内地図を確認する。車を駐めた場所は――思い出せない。ショッピングモールに入ってきたとき、近くにあったのはなんの店だったかも。
わたしは溜息をついた。
魔法を使うと、わたしは必ずその代償を支払わなければならない。
今回は、迷子の女の子を助けたから、わたし自身が迷子となる。ただ、一人で来たので、インフォメーションセンターに行っても、迎えに来てくれる人などいないのだが……。
誰かを助けて、わたしがいつも損するばかりではない。もちろん、逆だって可能だ。秘密の言葉で誰かに災いをもたらせば、その分わたしにいいことが起きる。ただ、そんなことをして後味がいいわけがない。たとえ、迷子というささやかな災いでも。
ささやかな迷子なので、わたしがここで迷子になる時間もさほど長くはない。わたしは駐車場へ向かうべく、館内地図から顔を上げた。そして、自分がどこから歩いてきたか、失念していることに気付いたのである。
家に帰るにはもう少し時間がかかりそうだった。
【次のお題】月曜日