ミライミイラ
乾式人体保存が実用化されて十年になる。
SFの世界の人工冬眠や人体冷凍保存(クライオニクス)が冷凍時、解凍時の細胞破壊を克服できなか
ったのに対して、乾式はその名の通り水分を除去して乾燥状態で保存する技術だ。細胞へのダメージをほほゼロに抑えた点は革命的とも言える。ただし一般的になったかと言えばそうでもない。いわゆる人工冬眠が「問題の先送り」でしかないことに人々は遅ればせながら気づいてしまった。何十年後かに目覚めた人間をいったい誰が面倒を見るのか。冬眠開始時にはかけがえのなかった命も、解凍時には単なる時代遅れの厄介者でしかない。モラルでは現実は救えなかった。死の恐怖に駆られても、存在意義を否定される未来には賭けられない。ほとんどの人間にとって現実的な選択肢とはならなかった。
たった一つ例外がある。稀少例としてモルモット的な価値のある患者。単なる難病ではまだ弱い。少なすぎて難病指定にもならない疾患の持ち主は、むしろ政府の側から打診がある。
そして、私に声がかかった。慢性活動性EBウィルス感染症。症例が少ない上、患者が東洋人に限定されているため、西洋の医学界からは完全に無視されている。
悪性リンパ腫を発症してほぼ末期状態だった私はオファーを受けた。間断なく襲いかかる苦痛にぼんやりとした頭は、完治を思う暇もなく早く眠りたい一心で頷いた。高校に入ったところで異変に気づき、あっという間に進行してしまった。十七歳だけれど、友だちもいないし恋人だってい(たことも)ない。急激に衰える身体が重くのしかかってきて、呼吸すらままならない。
乾式人体保存、通称・ミライミイラの三番目の被験者。十七歳女子。名前ももう憶えていない。
ミライミイラの準備が始まった。私は何もできず仰臥していただけだ。服を脱がされて、身体のあちこちを調べられ、脱毛された。隠す体力もなく、陰部や口腔内を探られるに任せていた。赤の他人に触れられるのは初めてだった。恥じらいや期待、高まりに彩られることなく、私の初めてが機械的に進行していく。
気がつくと涙が流れていた。
スタッフが騒然とする。そんな余分な水分が残っているはずがない、と誰かが怒鳴る。
「やっぱり恥ずかしいんですよ。こんなにされるのは」
若い男の声だった。優しさは正しいと信じていて、それがかえって傷つけることもあるなんて考えてもみない、無神経な男の子。
「隠してあげるべきですよ」
初めて筋肉にほんのすこし力が宿った。殴り倒してやりたい、もちろん、そこまでは及ばない。しだいに睡魔に襲われてくる。苦痛に目をつぶる眠りのはずが、私は心の中でこう唱えていた。
「一発殴らせろ!」
目覚めたときには男の子は老人か、もしかするとこの世にいないかもしれない。それでも、この台の上で味わった怒りは衰えきった私の中に灯り続けていた。
薄目の間から無影灯が見えた。目を閉じる。なにかに憑かれていた気がするけれど、思い出せない。苦痛は嘘のように消えていた。劇的でしたね、新型免疫抑制剤、と誰かが言った。
「そろそろなにか掛けてあげましょう」
その瞬間、思い出した。身体に力を入れる。ふるふると震える。両肩に手が添えられ、ゆっくりと起こされる。薄目を開ける。大学生くらいの青年の顔だった。次の瞬間、私のこぶしは鼻先に命中していた。
後で聞くと私の眠っていたのは二年間だったそうだ。新薬が開発され、投与され、完治を確認の上、起こされたらしい。
「あの時のパンチは嬉しかった」
私の夫は時々言う。
私ははにかんでみせる。
あの時は蝿の止まったくらいの威力しかなかったはずだ。
でも今の私なら、浮気したあなたの鼻くらい一撃で潰せるからね。