第35回 てきすとぽい杯
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王女さまのお婿さま
投稿時刻 : 2016.10.15 23:40
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王女さまのお婿さま
塩中 吉里


 砂地にぶざまに転がていた少女が、涙目のまま顔をあげて、サと手を振り上げた。その途端、カンカンカンカン! と鐘が打ち鳴らされて、ヒドルはうんざりした。またかよ。
 円形闘技場に詰めかけた数万の群衆も、さすがに三度目の「待て」がかかればブーイングも凄まじかた。たとえヒドルの対峙する相手がかのご高名な〈海神の娘〉、〈戦姫〉、〈ドラソの槍〉……さまざまな異名を持ち、海王国中の敬愛を集めるうら若き乙女であたとしてもだ。
「今度はなんだいお姫さま」
 ことさらバカにした口調でヒドルは言た。だが少女は怒た様子もなく「おぬし、右手を使たな? それは反則であるぞ」などとのたまた。もしかすると、観衆のブーイングがうるさすぎてヒドルの皮肉が耳に届いていないのかもしれない。
「そうかあ右手を使ダメだたのかあ知らなかたなあ」と返して、ヒドルは右の手をひこめた。つい数分前に、目の前の少女の頬をひぱたいた右手だた。
 この日は快晴で、薄曇りと長雨が交互に続く海王国にはとても珍しい一日だた。雨の日には波打ち際から黒い怪物たちが王国の土地を削て波間に引き込もうとしてくるのでその防衛に忙しいのだが、怪物たちは太陽の光には弱いようで、こういた晴れ日にはピタリと浸食が止む。
 そんな貴重な日を、彼は王の肝いりのご提案である「王女の婿選び闘技大会」とやらで浪費しつつあた。前述に挙げた数々の異名のとおり、王女さまははねかえりのおてんば娘なのだた。王の子どもは七人いたが、娘はたた一人で、わがまま放題に育てられたという背景もあたかもしれない。だがヒドルにとては知たことではなかた。王様がノリノリなのに当の王女は大反対で、まだまだ結婚なんてしたくないと喚き散らしていると門衛から聞いたときも自分には関係のない話だと思ていた。雇われ傭兵連中とメシをかくらているときに、王女さまが闘技大会を勝ち抜いた勝者と一騎打ちをして、それで敗れたならば諦めて結婚するつもりらしい、という話を聞いたときも、ヘエそうですかという感じだた。何も関係がなかた。王女さまの持参金が天地がひくり返てたまげるほどの金額だと聞かされる前までは。
 ヒドルはそんなに大した腕のある傭兵ではなかた。生まれも海王国の外で、王国が黒い怪物に領土を侵食されているという噂を聞きつけてはせ参じた純粋な金の亡者だた。曰くこいつは金になる匂いがする……。仲間内で声を掛け合て、正規の応募者を闇討ちして、彼の手のものを潜り込ませて八百長させたのだから、王女のもとまで勝ち上がるところまでは簡単だた。なにせ、勝ちさえすれば有り余るほどの金が返てくる。問題は王女さまご本人の戦闘能力だたが、海王国王家の本領は水中で発揮されるので、地上の彼女はお話にもならなかた。円形闘技場の真ん中に、大槍をかついでよろよろと進み出た少女を見たとき、ヒドルは計画の成功を確信したのだた。王女さまがよくわからないルールを持ち出してくるまでは。
 開始早々、鐘が鳴り短剣を取り上げられ(刃物は反則であるぞ)、小盾も取り上げられ(盾は反則であるぞ)、そして右手もダメというわけだ。
「覚悟!」
 王女が幾度目かの突進を仕掛けてくる。例のクソでかくて重い槍〈ドラソ〉を正面に構えて、子どもでもひらりと避けられるような、なまくらの突進を披露されて、ヒドルは苦笑した。群衆の応援も、なんだか子どもの遊戯大会でも見守るような、暖かい拍手すら入り混じているようである。チシ狂うなあ、とヒドルは思い、とりあえず王女のおみ足を払た。
「あ」王女さまは転んだ。ズザーと砂地で顔面にやすりをかけている。さぞひどい流血具合だろうとヒドルは思たのだが、ぱと振り返た王女の顔は軽いかすり傷しかないようだた。
「王家の方々はご尊顔というだけはある。面の皮の厚さも一般の民草と違うようだ」
「そのとおりだ、王家の威光がわかたら降参するがよい、勇敢なる傭兵隊長よ。おぬしが畏れいたと尻尾を巻いて逃げたとて、ここまで勝ち残た武勇が消えるわけではないぞ。それはそれとして」と、王女はまた手をサと振り上げた。カンカンカンカン! 鐘が打ち鳴らされて、ヒドルはうんざりした。
「今度はなんですかあ?」
「足払いは反則だ!」
「知りませんでしたなあ」
 はははと笑て、ヒドルは少し考えた。剣と盾と手と足。そのうちヒドルは身動きすらできない状況に陥るだろう。その前に、このバカげた茶番をささと終幕させねばならない。
「王女さまはおれと結婚するのがそんなにイヤですか?」
 まずは下手に出てみる。王女は吟遊詩人たちに歌われる英雄の槍〈ドラソ〉を杖替わりに立ち上がり、観衆の拍手喝さいを浴びたあと、
「おぬしが嫌なのではない。結婚が嫌なのだ」と叫んだ。ヒドルは勝ち戦だ、と思た。
「なぜイヤなのです?」
「傭兵隊長ならわかているはずだ。海王国は異形たちの手で領土を海に割られ、遠からず沈むだろう。皆希望が持てなくなている。だから、こんなバカバカしい娯楽のために、万の観衆が集まてくる。慰めを求めて」
「おやおや、茶番とわかてらいましたか」
「あたりまえだ!」
「そうでしうか? さておき、王国の崩壊は、昨今は他もどこもそんな感じらしいですがね……。知てます、王女さま? あの東の果ての大樹の国も、国中が石になちまたそうですよ。大勢の騎士が守ていた神聖王国も、明けない夜に飲み込まれたそうですよ。だからおれも他所を諦めてこちに流れてきたわけですが」
「うん、そこは他国に感謝しなくてはな」
 王女さまは冗談のわかるクチらしい。ヒドルは機嫌がよくなた。そして、気が付いた。いつの間にか円形闘技場は静まり返ていた。数万の国民が、彼ら二人の話を、一挙手一投足を、耳を澄ませて、目を凝らしていた。
「この国は沈むかもしれない。だが私は戦うぞ。ならば、沈みゆく国の姿より、平和を取り戻したあとの姿を子どもたちに見せたいんだ」と王女は言た。「だから結婚はもうちと先にするんだ」と。
「王女さま」とヒドルは言た。「結婚しても、別に子どもが生まれるわけじないんですよ」と。そしてびくりしている王女さまに、すばやくキスをした。戦に勝たら捕虜には優しくしないと、とヒドルは考えていた。
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