真美子
あなたは幸運ではなく呪われているのだと妻は助手席でうわ言のように呟く。繰り返す陣痛でこちらの心配をしている場合ではないだろうと呆れながらも、もうすぐ病院へ着くからと何度も囁いて僕は妻を落ち着かせようと努めていた。
10歳の夏、母と買い物を終え駐車場へ向かうと土砂崩れが起きて目の前で自動車が消えた。14歳の春、坂道を下る途中で自転車のブレー
キが切れ対向車とぶつかり茂みに投げ出された。22歳の冬、八ヶ岳を登山中に滑落事故にあい九死に一生を得た。病気や怪我を含めれば、毎年といってよいほど命に関わる事故にあった。そのたびに必ず生還する僕は、自分のことを幸運な男と自称していた。妻と出会ってからはそんな災いが降りかかることもすっかりなくなり、僕はよく笑い話として過去の事件を語るのだが、妻は幸運よりも災いに巡り合う確率が高過ぎるときまって不安になってしまう。そんな妻にいつも教えてあげるのだ。僕には守り神がついているのだと。
真美子というとても仲の良い幼馴染がいた。家が隣で生まれた年も同じ。一緒にいるのが当たり前でまるで兄妹のように過ごした。遊び相手が僕ばかりで他に対象はいなかったせいもあるけれど、彼女とは将来結婚しようと子どもじみた約束を交わしたこともある。あまりにもくっついてばかりいるので、小学校に上がるとませた同級生に僕たちはいつも冷やかされていた。なんで遊んでくれないのと友だちの手前、距離を取ろうとした僕と喧嘩になり、しばらく顔を合わせずに真美子を避けていた。そんな最中、9歳の夏、真美子は交通事故で死んだ。
妻のうわ言が心のどこかに引っかかっていたのか、それとも娘が産まれたからなのか、彼女が退院するまでの一週間、僕は毎晩真美子の夢を見ていた。楽しく二人で遊んでいた日々が記憶よりも鮮明に甦り不思議な気持ちになっていた。いまにでも隣家から真美子が遊びに来そうな気がしてそわそわしたり、娘のために両親が買ってきた玩具を床に広げてみたり、妻に落ち着いてと笑われて初めて我に返るぐらい、僕は自分でも理解できない行動をするようになっていた。だから自然に受け止められたのだろうと思う。娘の寝顔を見ながら横になっていると妻がトイレに立った。気を遣って静かに布から抜け出したのだが娘は目を覚ました。泣き出しそうな予感がして身構えていると、娘は僕をじっと見つめた。
「ねえ? あの子はだあれ?」
久しぶりに会えた。