君の名は?
鹿が水を飲んでいる。
我々は茂みの中に潜んでいる。
よく見なければ。
鹿の様子を観察する。
足の形。
向き。
肉の付き方。
毛が風になびく様子。
あの鹿は生きている。
ふいに後頭部へ痛み。頭をはたいてきた男と目が合う。周りの者とも声を立てず目で合図を送り合
った。いよいよか。鼓動がはやまる。
男たちが立ち上がった。石槍をかかげ大声をあげて囲み詰め寄った。鹿は暴れるが逃げられない。石槍が鹿の胴に刺さった。悲痛な鳴き声。
よく見なければ。
男が鹿の首に飛びかかる。
押さえつけ、喉元を割き、息の根を止めた。
男たちが歓声をあげる。こちらを見て言った。
「どうしたんだ。怖気づいたのか。狩りに連れてけなんて言ったのに石ころだったな」
男たちが笑う。
頭を下げながら近づいて行く。薄ら笑いを作る。
「すみません。あの、運びます」
足元に鹿の死体。しゃがんで体をなでる。まだ温かい。肉の感触。毛並み。足の先。形。
よく見なければ。
鹿の目。
血の匂い。
「おい、行くぞ」
「はい」
鹿を背負った。重い。よろける。なんとか持ちこたえた。
鹿の頭が視界の端で揺れていた。
集落に戻ってきた。
待っていた女たちと鹿の解体を行う。
「そいつは役に立たなかったから少しだけだ」男が言った。
「少しだけでもありがたいです」へりくだって笑みを浮かべる。
薄く尖った石で鹿の腹を切り開く。溢れ出た血を土の器に集めた。
「気持ち悪いな。血なんか集めて」
「すみません」
「いいでしょ。この人、肉さばくの上手だし」
「だから余計さ」
笑みを作る。
内蔵を取り出す。
よく見なければ。
足を切り離す。
よく見なければ。
毛皮を剥がす。
繰り返して作業を終えた。
「ほら、あんたの取り分。肉はこれだけでいいの?」
「大丈夫です。約束通り毛皮は多めです」
「いいならいいけどね」
笑みを作り頭を下げて人間たちから離れた。血の溜まった器と毛皮を持って集落から出ていく。
駆け出した。
はやくあの洞窟へ。
顔が自然と笑顔になっているのがわかる。
洞窟へついた。奥へ進み、開けた場所に出た。壁のところへ。
しゃがんで器の中で土と血を混ぜる。毛皮から毛を抜いて束ねて持ち、土と血の混ぜ物につけた。
「今日はあの鹿を描こう」
壁に毛の束を走らせた。
壁面に色がつく。
「足はこうだったような」
壁面に線が伸びる。
「うまくいかないなあ」
指で線をいじる。
「もっとこう動いてたよな」
地面から拾い上げた木の枝で線を太くする。
「ああ、たのしいな!」
洞窟に声が響いた。