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第10回 文藝マガジン文戯杯「気づいて、先輩!」
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たすけ舟の家
(
すずはら なずな
)
投稿時刻 : 2020.02.07 17:14
最終更新 : 2020.02.07 17:22
字数 : 4546
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2020/02/07 17:22:53
-
2020/02/07 17:16:45
-
2020/02/07 17:14:59
たすけ舟の家
すずはら なずな
その家は「こども一一〇番の家」だ
っ
た。子供が身を護る時に、頼
っ
ていいという「助け舟」になる家だ。
小学校の行きかえり、そのプレー
トと「大須賀」という表札の並んだ玄関を見るたびに、私は少し立ち止まり、駆け込む自分を想像した。そこには優しいあの人が居て、「どうしたの?大丈夫?」と話を聞いてくれる。私が落ち着くのを待
っ
て、温かな飲み物を差し出してくれる。ゆ
っ
たり流れる時間と安心できる空気、護られている実感を貰える、そんな場所を 私はず
っ
と求めていた。
遠慮のない他の子たちは 用も無いのに「せんぱい、せんぱー
い」と玄関先でよく声を掛けていた。玄関先に出て来る大須賀さんの奥さんは、いつも困
っ
たような恥ずかしそうな表情で手を振り返す。近隣の人と交流するという授業で、この奥さんが教室に来たことがある。「先輩」というのは、緊張して縮こまり口ごもる彼女に代わ
っ
て先生が言
っ
た言葉だ。
──ご夫婦とも地元育ちで 通
っ
た小学校も皆さんと同じ、ご夫婦共にこの小学校の「先輩」で、もちろん「人生の先輩」でもあり
……
*
もう「こども」とは言えない私がその家に駆けこんでしま
っ
たのは 追
っ
て来る郁生から隠れるためだ
っ
た。まさか実家の前で待
っ
ているなんて思わなか
っ
たのだ。
──結婚して、自分が上手くやれる自信がない。白紙に戻してほしい
理由を尋ねる郁生に、私は説明する言葉を見つけられなか
っ
た。部屋を飛び出したものの行き場も思いつかず、とぼとぼと実家にたどり着いた時、門のところで親しげに母と話している郁生の姿を見てしま
っ
た。
──もう私の味方をする人はいないのだ。私の気持ちを肯定する人はいないのだ そう思
っ
てしま
っ
た。
申し分のない恋人に巡り合え、どこが不満なのか、何が不安なのかと問われたら 私は自分の気持ちを説明することができなか
っ
た。郁生の見ている私は本当の私だろうか、疑問は急速に不安とな
っ
て広がりだし、何もかも自信がなくな
っ
てしま
っ
たのだ。
*
そ
っ
と建物に沿
っ
て庭に入
っ
た。死角にな
っ
て中までは見えないはずだが、家の前の道を通り過ぎる人影が見えると郁生ではないかと咄嗟に身を隠した。
硝子戸越しに赤い絨毯を敷いた和室が見える。留守だと思いこんでいた家の中に、テレビの画面が光
っ
て見え、大きなアー
ムチ
ェ
アに座るお年寄りの男性の横顔が見えた。き
っ
とこの家のご主人の大須賀さんだ。
これは立派な不法侵入だと判
っ
ている。通報されても仕方ない状況だ。
大須賀さんはテレビを消すと、ゆ
っ
くりとこちらを向き庭に面した大きな硝子戸に近づいた。気づかれたのだろうか。とにかく怪しいものではないと判
っ
てもらうために ひきつりながら笑顔で会釈する。おどおどした私の様子はどう見ても不審だ。けれど 大須賀さんは天気を確認するように空の方を眺め表情も変えない。
「あらま、あなたがアヤち
ゃ
ん
……
さん?」
後方から女性の声がした。吃驚して振り返るとエプロンをして両手にごみ袋を持
っ
た中年の女性だ。
「ず
っ
とお会いしたことなか
っ
たものね、初めまして、ヘルパー
の夏木です」
その人は私の手を握り、立て続けに喋り続ける。
「大須賀さんはいつも、娘や孫のアヤが来るから心配ご無用。気にせず帰
っ
ていただいて大丈夫
っ
てお
っ
し
ゃ
るの。奥様亡くされてからず
っ
とお独りだけど、寂しいことはない
っ
て。安心よね、ご家族の見守りがあ
っ
て」
返事を差し挟む間も与えず、ヘルパー
のナツキさんはし
ゃ
べり続け、ひとしきり喋り終えるとごみの袋を持
っ
て表に向か
っ
て出て行
っ
た。どうやら出入口は表だけのようだ。
外を窺う。今、郁生と顔を合わせてもうまく自分のことを話す自信がなか
っ
た。
ひらりと雪の欠片が手の甲に舞い降りる。寒さを急に意識した。胸がき
ゅ
っ
と締め付けられる。
郁生が好きなのは本当の私じ
ゃ
なく、私が一生懸命「作
っ
てきた」自分なのだと、今さらどう言
っ
たら解
っ
てもらえるだろう。郁生は母とどんな言葉を交わしたのだろう、母は私のことをどんな風に言
っ
たのだろう。考えている内に 胸がどんどん苦しくな
っ
てきた。呼吸のしかたが解らない。し
ゃ
がみ込んで立ち上がることもできず、縁側に手を掛ける。
──助けて。助けて下さい。
硝子戸越しに見える大須賀さんはさ
っ
きと同じようにまた、ヘ
ッ
ドホンをつけてTV画面を見ていた、耳を澄ますとヘ
ッ
ドホンから漏れるTVの音声。相当耳が悪いのだろう、ボリ
ュ
ー
ムはき
っ
と最大だ。硝子戸に手を掛けたらわずかだけれど開いた。気を失いそうになる中、かすむ目に サイドボー
ドに置かれた初老の女性の優しく微笑む写真が映る。あれは「せんぱい」。
*
ぼんやりとした目に天井の照明が映る。気づくと部屋の中に居る。布団の上、毛布を掛けてもら
っ
ていることが解る。すぐそこに居るみたいなのに、ごそごそ動いても大須賀さんは簡単には気づかない。自分の身体が動けること確かめ、ゆ
っ
くりと起き上がる。
「あの…」
反応が無い。思い切
っ
てもう少し大きな声を出して呼びかけてみる。
「あの…」
もう一度 お腹に力を入れて声をかける。
「すみません…勝手にお邪魔して…私」
や
っ
ぱり聞こえないのだ、と思
っ
たその時、大須賀さんはや
っ
とこちらを向いた。いつの間にかヘ
ッ
ドホンを外している。
「そんなやかましい声を出さんでも聞こえる」
言葉のわりにこちらを向いた表情は柔らかか
っ
た。
「す、すみません」
恐縮する私に大須賀さんは 今度はは
っ
きりとこちらを見据えて続けた。
「聞こえる音と聞こえない音があ
っ
てね、補聴器も色々使
っ
てみたんだが、どうも好きになれなくて。まあ、日々顔を合わせるのはあのおせ
っ
かいなヘルパー
だけだし、あの人のお喋りなら別に聞こえなくても問題ない」
「日々、顔を合わせるのはヘルパー
さんだけ」、というところに引
っ
掛かる。
奥さんの写真の後ろに 奥さんと娘さんとお孫さんらしき三人の写
っ
た写真があ
っ
た。かなり以前の写真のようだ。
「それぞれの人生
っ
てものがある。そんなに私にばかり構
っ
ているわけにもいかんだろう」
「でも、お二人ともよく来ていら
っ
し
ゃ
る
っ
て…」
「ああ、アレも方便というものでね。お喋りでおせ
っ
かいなヘルパー
をさ
っ
さと家に帰らすための」
大須賀さんはそう言
っ
て少し照れくさそうに笑
っ
た。
「ところで あんただが」
「はい。勝手に入
っ
て来て申し訳ありません。おまけに こんな
……
」
布団と毛布に目をやり謝ると大須賀さんは何てことはない、という様に手を振り
「どうせあの慌て者が孫と勘違いでもしたんだろう。わざわざ戻
っ
て来てあんたの倒れてるのを見つけて。まあ その様子じ
ゃ
救急車は呼ばなくても良か
っ
たようだな」
最初から気づいていたのかも知れない、ヘルパー
さんとのやり取りも大方解
っ
ているようだ。
「すみません、すぐ帰ります。私の実家、近くで
……
小学生の頃からここが『一一〇番の家』」だ
っ
て、ず
っ
と
……
」
「ということは あんたは助けが必要な『こども』
っ
てわけかな。近ごろ独居老人を狙
っ
た不審者も多いと聞くが」
こんな怪しい私を見る大須賀さんの目が、穏やかに笑
っ
ていることだけが救いだ
っ
た。
*
「危ない目に会
っ
て駆け込んで来る子を助けたい、安心させたい、というのが妻の望みだ
っ
た」
奥さんの写真を振り返りながら 大須賀さんは言う。
「だから、あんたがそれを求めて来たんなら、追い返すわけにもいくまい。もう『こども』でなくてもね」
写真の「せんぱい」は少し恥ずかしそうに微笑んでいる。そんな彼女を見つめながら、大須賀さんは呟くように言
っ
た。
「臆病で人見知りのくせに、こんなボランテ
ィ
アを引き受けて
……
駆け込む子供も特別な事件もなか
っ
たからいいものの」
「私、奥さんが交流授業で教室に来られた時のこと、覚えています」
うん、そんなこともや
っ
てたな
ぁ
、と大須賀さんは笑いながら頷き
「本当はほ
っ
としていたんだろうな。き
っ
とこどもが本当に駆け込んできたらあいつが一番慌てて緊張して、倒れそうになるのは目に見えていたんだ」
大須賀さんはゆ
っ
くりと窓の方に向かい、庭を見ていた。私も同じように外を見る。雪は本降りになり う
っ
すら積もり始めていた。少しの沈黙の後、大須賀さんは向うを向いたまま言
っ
た。
「ただ、何もしてやれんか
っ
た、と最期まで気にかけていた子がお
っ
たな。もうず
っ
と昔の話だがね。学校の行き帰り玄関先でじ
っ
とこちらを見て、声を掛けようとしたら逃げてしまう女の子だ
っ
た。何か助けが必要な子なのではないかと妻はいつも心配していた」
悩んで悩んで、奥さんは大須賀さんに相談してきた。その子の家を調べて親に会いに行
っ
たが 心配されるようなことは何もない、もちろん虐待なんてとんでもない、と言い切られ、却
っ
てあの子に悪いことをしたのではないか、と奥さんはまた悩んだそうだ。
──ああ、わたしは その子のことをよくし
っ
ている。
「私、その子のこと 知
っ
ている…かも、しれません」
私はそう言
っ
て、『その子』のことを思い出すまま話し始めた。黙
っ
て聞いてくれる大須賀さんの前では、不思議と素直に自分の心の中を見つめることができた。
──確かに「虐待」されているわけじ
ゃ
なか