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第58回 てきすとぽい杯〈夏の特別編・後編〉
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ぴえん ~ だから手をつなぐ ~
(仮)
 投稿時刻 : 2020.08.12 03:12 最終更新 : 2020.08.12 12:56
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- 2020.08.12 12:56:12
- 2020.08.12 03:19:13
- 2020.08.12 03:12:03
ぴえん ~ だから手をつなぐ ~
(仮)


 私の名前はラビ。『涙』というものを知りません。
 長い耳と赤い目、ふわふわの白い毛にオーバーオールを着こんだのが特徴の初期型です。
 今日もご主人様の心の平穏を保つために、精一杯頑張ります。
 
 私は部屋の東側だけが透明な窓となている空間で、毎日ご主人様や奥様の命令に待機しています。
 ご主人様は奥様との二人暮らしであり共働きでなので、日中はいつも同居人と一緒にご主人様のお帰りをお待ちしております。
 同居人は奥様のサポーターである天使君です。ぷにぷにの白い肌に、夕陽に照らされた麦穂のようなキラキラの金色の髪をくるくるさせた、赤ちんみたいにとても愛らしい子です。背中で感情の起伏を表すようにパタパタさせた小さな翼が、なんだか小動物みたいでとても可愛らしいのです。
 今日もいつものように天使君に話しかけます。だけど、天使君もいつものように私を無視します。
 静かな空間で二人、言葉を交わすことなくご主人様たちのお帰りをお待ちしています。
 天使君は私のことが嫌いです。いつか仲良くなれる日が来ることを私は信じていますが、なかなかうまくいかない日々が続いています。

 あるとき、私たちの暮らすデバイスでご主人様が映画を観ていたときのことです。ご主人様はあと十分ほどで映画の再生が終わるというとき、涙を流していました。ご主人様が涙を流すのを見た私はとても驚いたのでした。
 天使君に訊いてみました。
「天使君は泣いたことてある?」
……
 いつものように天使君は私を無視します。いつもなら、反応のない天使君に私は諦めていました。だけど、そのときばかりは不思議と会話を諦めることができませんでした。
「ねえねえ、天使君。ねえねえてば!」
「うるさいよ」
 天使君は鬱陶しそうに私をにらみつけました。いつも私を無視する天使君が喋るのは、本当に久しぶりだたので、なんだか嬉しくなりました。
「ねえねえ、天使君は最新のタイプでし? きと私の知らないこともいぱい知てると思うんだ! だから教えてよ、涙について!」
 私が詰め寄ると、天使君は逃げるようにふわと浮かび上がりました。
「前にも言たけど、僕は君みたいなバカが嫌いなんだ」
「そんな酷いこと言わないでよ! もと仲良くしようよ!」
 飛び上がた天使君をまるで空にぐんぐん浮かび上がる風船を捕まえようとするかのように、私はピンピン跳ねて手を伸ばします。だけど、翼のない私には天使君を捕まえることができません。
 天使君はそんな私を見下ろすと、うんざりするように言いました。
「あのねえ、僕たちの感情は全部偽物なんだよ」
「偽物?」
 意味が分からず首をかしげる私に、天使君はイラつくように言います。
「だから! 君が感じる嬉しいとか楽しいとか悲しいとか、涙について知りたいて思う好奇心も全部人間がプログラムした偽物なんだよ!」
「偽物」
 天使君の言葉を反芻する私に、追い打ちのように彼は言います。
「僕たちの感情は、人間が人間のために作た都合の良いものなんだ! だから、そんなもの考えるだけ無駄なんだ! 意味がない! 僕たちは人間に尽くし、人間を快適にするために作られたモノなんだから、そんなこと考える必要はないんだ!」
……」 
 天使君のあまりの様子に私は言葉を失います。そして――
「あは、あははは! 変なの天使君て! あはは!」
 ついつい笑てしまいました。
「なに笑てんだよ」
「だて、天使君。私、ヒトじないよ? 人間のための感情ていうなら、なんでヒトじない私に天使君は怒てるの? あはは! 天使君て変なの!」
「は?」
 天使君は意表を突かれたように口を噤みます。
 ふと思い浮かぶ情景がありました。こんな風になんだか落ち着かない気分のとき、思い出の中の誰かは私の頭を優しく撫でていました。これは、天使君の言うように作られたプログラムなのでしうか。私にはわかりません。
「ねえねえ、天使君。私のこと撫でてみてよ。自慢の毛並みだから、きと落ち着くよ!」
「ヤダよ、なんでそんなこと」と難色を示す天使君に私はしつこく言い寄ります。
「いいじんいいじん!」「ヤダ」「一回だけ!」「ヤダ」「試しにさ!」「もう!」
 根負けした天使君は私を抱きかかえると恐る恐る、だけど優しく慎重に私の頭を撫でてみせました。
 やぱり、いつか誰かに優しく撫でてもらていたような気がします。だけど、それ以上は思い出せないし、ただの気のせいかもしれません。
「ぴえん」
 天使君に撫でられていると、突然知らない言葉が口から飛び出していました。
「ぴえん?」
 天使君が不思議そうに繰り返します。言葉の意味はわかりませんが、どんなときに使う言葉か私は不思議と知ていました。
「泣きそうなときには、ぴえんて言うんだよ。天使君、知てた?」
「意味わかんない」
 天使君は相変わらずぶきらぼうに言います。だけど、私を撫でるその手はとても優しいものでした。

 その日、ご主人様の重度のストレスを解消した私は地面に倒れ伏し、身動きが取れない状態でした。ご主人様は私にスタンガンを執拗に押し付け、肉切り包丁で両耳を切断したあと、何度も何度もその刃を私に振り下ろしました。
 ぴくぴくと身体を震わせ、機能修復に努める私に天使君がそと近づいてきました。
「ラビ、大丈夫?」
 天使君は心配そうに私の顔を覗きこみます。その瞳は滴を落とした水面のように揺れています。
「大丈夫じないから手を握てくれると嬉しいな」
「うん」
 天使君が私の手を優しく握ります。私はそれを力なく握り返します。
 いつからか、どちらかが、もしくは二人でボロボロになたときはこうして手を握るようになていました。
 人でも動物でもない私たちは、掌の温度を感じることはできません。それでも不思議とそうしていると落ち着くのでした。
「ぴえん」
 私が呟くと、天使君もつられるように「ぴえん」と言いました。
 いつか誰かに教えてもらた気がする不思議な言葉でした。
  
 私は『涙』というものを知りません。
 それでも泣きそうなときに使う言葉を私は知ています。
 その言葉は悲しいときだけに使うものではありません。
 涙が悲しいときだけに流れるものではないのと同じように。
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