第13回 文藝マガジン文戯杯「結晶」
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白煙
あち
投稿時刻 : 2020.11.15 00:17 最終更新 : 2020.11.15 10:00
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- 2020/11/15 10:00:25
- 2020/11/15 09:52:53
- 2020/11/15 00:17:16
白煙
あち


 山が紅く染まる頃、決まて行きたくなる場所がある。特別な思い出がある訳でもない、古えの街。たくさんの人がたくさんの時間を過ごしてきた街には、いろいろな思いが流れ、澱む。時には不思議な事が起こるようだ。別に『不思議な事』を期待している訳ではないが、いつものホテルにチクインし、いつものように日が沈むと、いつものバーへ出かける。
 禁煙してだいぶ経つのに、旅先で一人になると、ついつい煙が恋しくなる。通りすがりのコンビニでタバコを一箱買い、バーの扉をくぐる。カクテルを一杯注文し、店のマチと灰皿を手に喫煙席へ向かう。テラスに作られた喫煙席は、この時期少し寒いがアルコールが入るとちうど良い具合になるのがいい。
 一番奥のテーブルに座り、注文した一杯を待たず、タバコを一本取り出して静かに火をつける。白い煙がふわりと揺らめく。酒もタバコも恋愛も、みんなあなたが教えてくれた。教えるだけ教えて姿を消した。一つため息のように煙を吐き、タバコを持つ指先を見る。細かいシワが刻まれた、くたびれた指。あれからどれだけの時間が経ただろう。ずいぶん前に、あなたの歳を追い越してしまた。
 「お待たせしました」
 店員がグラスを置いていく。注文したのはホトアメリカンレモネード。あの頃よく飲んでいたカクテル。薄黄色と真紅の二層に分かれた一杯は、暗闇の中でも美しく、人混みの中でも一目で分かるあなたのようで好きだた。どこにいても自分の居場所を作り、良い事も悪い事もバカみたいに楽しんで人の輪を広げていく。あなたのいる輪の中は、いつもこのカクテルのように温かく、甘酸ぱく人を酔わせる。細いマドラーでクルリと混ぜ、薄紅一色になた液体を体に流し込む。
 なんで置いて行たんだよ。
 もう一本タバコに火をつける。また白い煙が揺らめく。向こう側に、ちとはにかんだあなたの笑顔が見えるような気がした。どんなに時間が流れても忘れる事なんてできない。この白い煙のように、纏わりついて絡みついて、体に染みつく。ずとここにいれば、ずと一緒にいられる。苦しいけれどそれでいい。前になんか進みたくない。こんな事、あなたが知たら怒るだろうな。俯くとポタリと雫が垂れた。アルコールのせいなのか、久しぶりの煙のせいなのか、それとも歳のせいなのか。怒られてもいい、声が聞きたい。
 タバコに口を付けて冷たい空気を吸い込む。置き去りにされたあなたへの思いを絡め取るように、煙が体の中を駆け巡る。深いため息をつく。煙はいちだんと白く大きな塊となて揺らめいた。
 『何やてんだよ!』
 それは突然だた。いつも落ち込んだ時に聞く台詞。声がした方を向くと、いつものはにかみ笑いがあた。驚いて目を見開くと、笑顔の口角がグと上がた。トン、と背中を押された気がした。すると白い大きな煙がパーと夜空に溶けていき、小さな物がひらひらと降てきた。
 「雪、ですね。」
 気がつくと、バーのオーナーがテーブルの脇でタバコをくわえていた。
 
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