第59回 てきすとぽい杯
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ヒッチコックみたいにはなれなかったけど
投稿時刻 : 2020.10.17 23:45
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ヒッチコックみたいにはなれなかったけど
小伏史央


 雨宿りのつもりで入た喫茶店は意外とこじれていて好みな雰囲気だた。窓辺の木製のテーブルに肘をついて、コーヒープから昇てくる湯気を嗅ぎ、窓の外をぼと眺めていた。雨はカーテンのように降り注いでいる、私はそれをぼと見ていた。雨粒がアスフルトの上を跳ねる、私はそれをぼと見ていた。窓にもひきりなしに雨粒が線を引いては消えていく、それをぼと見ている私の顔が、うすらと硝子に映ている。
 私のほかに客はいなかた。コーヒーをなめる程度に口に含む。雨の日が嬉しくなるような、懐かしさのする味わいだた。もう一度店内を見渡した。店員のおじいさんと目が合たが、話しかけられることはなかた。そこに妙な安心感をおぼえた。もう一口、やはりここは懐かしかた。
 窓の外を眺める。休みなく雨が降り続いている、私はそれを眺める。人通りもなかた、私はそれを眺める。見れば見るほど心安らいでいた。路傍に停められたバイクの座席が、裸のまま雨にさらされていた、私はそれを眺める。窓の外に置いてある観葉植物が、風でふらふら揺れている、私はそれを眺める。なんだか懐かしい気分だた。車が通ると路上の水が無節操に跳ねた、私はそれを眺める。学生らしき大勢の人だかりが、がやがやと通りを歩いている、私はそれを眺める。またく、雨なんて憂鬱だな。
「ねえ、聞いてる?」
 ゆかりがカチンと音を立ててカプを置いた。想定以上に大きな音になてしまたのだろう、彼女は気まずそうにカプのほうに視線を動かしたあと、再びこちらを射貫くようににらみつけた。
「聞いてるよ、なんだけ」
「聞いてじないじん」
 は、と大げさにため息をついて、ゆかりはたばこを取り出して火をつける。そしてまたため息をつく。けむたい臭いの濃度が増す。ただでさえけむたい店内なのに。
「中山も抜けるて。ついでに石井も。もう終わりだねあたしたち」
「そうか
 私は他人事のように答える。冷たい雨が降り注いでいる、私はそれを見ている。窓の外のことなのに、雨が冷たいとなんとなくわかた。
「だから、さ。あたしも抜けるわ、映研」
「え
「そもそも本気なのあたしたち二人だけだたしさ、でも二人じ映画は撮れないから」
「撮れるよ。いままでだて二人で撮てたじん」
「昔はね。でもさ、もうそういう時期じないんだよ」
 私の顔がくしとなた。それをゆかりに見せまいと窓の外ばかりを見た。冷たい雨がアスフルトをさらしていた。人々が雨のなか歩いていた。私はそれを見ていた。そればかりを見ていた。
「諦めたの?」
 心ばかりの抵抗は、窓を透過して雨になじんだ。ゆかりはたばこを吸た。そのにおいも雨になじんだ。ゆかりが喫茶店を出るまで、私はついぞ彼女の顔を見なかたし、私の顔を見せなかた。
 ただ窓の外を眺めている。雨はすかり弱まてきていた、私は一人、ただそれを眺める。禁煙の店内ではもうあの懐かしいたばこのにおいはしない。けど窓越しの雨と、ここのコーヒーのにおいだけは、違たみたいだた。
 会計を済ませて外に出た。綺麗な曇り空だた、私はそれを見上げて、それから一歩踏み出した。
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