第59回 てきすとぽい杯
 1  3  4 «〔 作品5 〕» 6  14 
いまこのとき
投稿時刻 : 2020.10.17 23:26
字数 : 2058
5
投票しない
いまこのとき
犬子蓮木


「これさあ、あれだよね」
 数年前、まだ働きはじめたばかりのことのこと。先輩の言葉を思い出す。私の書いたプログラムを見て、だけど数秒も眺めずに先輩は言た。
「なんですか?」私は先輩に尋ねる。
「なんて言うんだけ。そう、コードの臭い。あれだね、あとで参考になりそうな記事送るからもうちと直そうか」
 臭い? なにを言ているんだ。
 先輩はすぐに去てしまた。なにかあるならもうちと教えてほしいが、あとで参考になるものを送てくれるというからそれを見ればいいだろう。
 それまでは自分で考えるとして、「コードの臭い」という言葉が気になて検索した。出てきた結果によるとあとで問題になりそうな悪い書き方などをそのように言うらしい。
 書かれている情報を参考に直してみる。
 そんなことがあたな、と私は今、思い出していた。
 転職したこともあり、そのときの職場とも先輩とも離れてしまた。同じなのは今もプログラムを書いているということぐらいで、業種も立場も変わてしまた。
 こんなことを思い出したのは、自分があのときの先輩と同じような立場になたからだ。新しく入てきた若者にプログラムを教えている。うちの会社はあまり余裕のある会社ではないからそんなに長く研修に時間を取ることはできない。短い時間でそれなりにできるように、だけど、将来、困らないようにいい感じに教育しなければいけない、と上の人に言われた。
 無理だ。
 時間が足りない。
 本当に基礎だけ教えて、あとは現場に放り込む、それがうちのやり方だた。そうして生き残て、会社を見限らなかたものだけが在籍し続け、あるレベルにたどり着けなかた者や、レベルがあがり過ぎて会社にあわなくなたものから、いつのまにか消えていく。
 できればずといてほしい。どうせ辞めるなら、はるかにハイレベルになて飛び去てほしい。
 どうにもダメで諦めるというような姿は見たくない。
 だから、どうにか教えようと思うわけだけど、教えるというのはそれはそれで難しい。自分がコードを書くだけよりも難しいのではないか。それはそうだ。だて教師という専門の職が成り立つくらいなのだ。仕事の片手間で教えるようで立派な成果が出せるわけがない。まあ、かといてプログラミングスクールなんかはどうも怪しいものばかりだけど。
 さて、どう教えようか。
 臭いだなんだと言たところで、ちんぷんかんぷんだろう。それはこちらが気づくための感覚であて、今、彼らに必要なのはその嗅覚を得る教えだ。
 いくつかの考え方や、おすすめの書き方、その意図について説明する。
「テストコードはちんと書きましう。最初はめんどくさいかもしれないけどそのうち慣れるから」
 なんで? 動かして確認すればいいんじ? という顔をしている。でも、先輩には逆らえないのでとりあえず動きはじめたようだ。
「じあもう少し進めていてください。またあとで来ますので」
 研修用の部屋から出ていく。
 は、疲れた。若者にどう接すればいいかよくわからない。まあ、年上も、同じ世代もわからないが。
 コードの臭いか。数年働いてきて、人にも臭いがあるよなということがわかてきた。体臭だとかタバコの臭いだとか香水だとかではない(それらも嫌いだけど)。
 なんというか人のタイプのようなものがコードの臭いのように感じられるようになた。この人は、真面目でやさしいけれど少し弱いところがあるなとか。この人は、できるだけ関わらないほうがあとあとめんどうなことにならないとか。この人は、馴染みやすく信頼できそうだけど、それは表面だけで、よく考えると中はよくわからないものが渦巻いていそうとか。
 直接、会う人だけでなく、ネト上で見る人でもなんとなく感じる。
 でも、この人の臭いというのも難しい。
 私にとては真面目でよく話を聞いてくれるようだた若者が、自分より下の人間に対してはとたんに厳しくなているのを見たことがある。そういう人だたのかという驚きと、人は人によて変わるのだなという、よくよく考えれば当然である理屈を知た。
 だから、私が感じる臭いが必ずしもあているというわけではないだろう。
 間違ていたり、偏見によるものだてあるのだと思う。
 人はめんどくさいな。
 他人も自分も。
 コードの方がましだ。
 チクする方法も修正するための理屈もある。
 人間はそんな簡単に修正できないし、してはいけないものだとされている(建前であり、人は嫌いな人に修正を望む現実もある)。
 まあ、コードの臭いも人の主観に左右されたりするのだけど、結局、悪いのは人間だ。
 仕事を終えて、会社を出る。今日は約束があた。
「遅かた?」
 目印の場所ですでに立ていた待ち人へ言た。
「まだ約束の時間よりはやいから大丈夫」
「それはよかた」
 私は笑う。
 街を並んで歩いていく。
 いい匂いだなと思た。
 変わらないでいてほしいなと願た。
 だけど、誰かを修正することが悪ならば、変化を邪魔するのも悪なのだろうと思う。
 いま、私はどんな匂いだろうか。
 あなたはわかりますか?
                                           <了>
← 前の作品へ
次の作品へ →
5 投票しない