第59回 てきすとぽい杯
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ねぇ、柚季
白鯱
投稿時刻 : 2020.10.17 23:42
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ねぇ、柚季
白鯱


 エナメル質がぶつかて、鼻の頭が柚季の少し丸い鼻に擦れた。
「長谷川君が起きちうから」
 自然と目を瞑ていて、初めてのキスで柚季がどんな顔をしていたか覚えてない。
 都内のキオスクで働きながら、母子家庭で小さな木造アパートの1階の2Kに住んでいた長谷川というひとつ上の男の家で、泊まり込んだ時の話だ。
 長谷川の同級生の歯の抜けた山下という男と別れたという柚季の話を聞いていて、定時制の奴らと、ヤンキー高校のどうしようもない奴らの中で、下らないなと毎日を県内二流の進学校の僕は、馴染めないなと思いながら、別れたばかりの柚季にキスをした。
 目が大きくて、黒髪で、どこか垢抜けない田舎の田んぼと川に囲まれたド田舎の娘の彼女は、僕ら十七、十八の行き止まりの中で、紫煙と、味も分からないくせに各自の前に注がれているビールのニオイに塗れて、男三人と、女ひとりで炬燵にあたていた。酒に酔た僕たちは、柚季にいたずらを仕掛け、肩を揉む振りをして、おぱいを触たりした。たぶん全員童貞だたのだと思う。けらけらと笑ている大きな目の柚季は、されるがままで、僕たちはやぱり行き止まりだた。
 どこにも行けるようでいて、電車がどこまでも続いていることは知ていても、その先に何かがあることを知ていたとしても、自分の知ている世界の範囲は学校とちとだけの行き止まり。どこにも好き勝手には行けなかた。
 たぶん、柚季は行き止まりの先にちと進んでて、山下とセクスをしていたから、おぱいくらい触られてもなんとも思わなかたのかもしれないけど。いや、分からない。たぶん、結構僕らは彼女に酷いことをしたのかもしれない。
 長谷川はどこか兄貴面というか、場所の提供者たる中立的な目で、柚季を見ていて、童貞のくせに柚季の胸には触らなかた。僕ともうひとりの平井で柚季に触れていた。
 肩を揉んでから、手が滑た振りをして、前の方の胸に触れる。
 初めて触れた柔らかさで、僕は二度ほど触たのだと思う。
 女子という生き物に意識的に触れたのは、酒の勢いだたのか。
 三々五々に解散し、僕と柚季は長谷川の家に泊まり込んだ。
 入口を開けたら直ぐに狭いキチンで、その先に四畳半の畳の居間、その奥に同じような畳の四畳半という、そんなところに夜な夜な長谷川の知り合いというだけの繋がりの、互いに知りもしない同年代のやつらが溜まるという。学校の友達だたり、ダンスサークルの友達、長谷川が就職してからは、彼の靴屋の仲間。長谷川の好きだたマンガの同人誌仲間など、ごた煮だた。
 俺は寝るよと、長谷川がすえた臭いのする毛布を投げて僕らに寄越し、二つの部屋を隔てる襖を閉めた。
 食べこぼしや、炬燵布団の繊維の奥深くまで染みついたセブンスターの臭い。チクチクするケバだたのがまるで元からのような薄い毛布。
 たぶん、夜の12時はとうに過ぎていたと思う。柚季と僕は炬燵の中半身を入れたままで並んで天井を見上げていた。
 少し前に、古めかしい四角の傘に入た円形蛍光灯はヒモを引て消していた。
 木製の天井には、いつから付いてるか分からないシミがあて、顔に見えるよ、ここ誰か死んでるね。なんて言て、柚季を怖がらせたりしていた。
 女の子の扱い方なんで分からなかたし、どうやて触て良いのかも分からなかた。
でも、さきおぱいに触れても怒らなかたしな。という、何かの許可証をもらたような勘違い。
「ね――
 と何か柚季が話しかけようとして僕の方に顔を向けた時、僕は柚季を抱きしめて、キスをした。強く歯が当たて、勢いを付けすぎたことは分かたけど、そこからどうしたらいいか分からなくて、柚季の舌先を見つけて――
 何度か鼻の頭がぶつかて、エナメル質のぶつからない距離感を覚えて、その時に、自分のか柚季のか分からない唾液のニオイがするのに気づいた。
 目を開けると、近づき過ぎていたのか、柚季の大きなふたつの目があた。腕を床について体を起こすと、窓の外の街灯からの光で、柚季の唇が少し濡れて光ていた。
 その唇が、
「長谷川君が起きちうから」
 と動いた時に、彼女のセーターをまくり上げて、初めて女の子のおぱい先を舐めた。それが、僕の行き止まりを破壊してくれたのだと思た。
 僕は、なんで今更こんなことを思い出そうとしているんだろう。
 木製の棺桶の中で、菊の花に埋もれて、柚季の顔があのときのように横たわていた。長谷川のことを気にして今にも起き上がてくるような気がしている。
 今ここでキスしたら、どうなるかな。やちまえよとあの頃の長谷川たちが、僕の中で囃し立てる。
 顔を動かさずに、視界を確認すると、祭壇の真ん中で、目尻に皺を刻んだ柚季の笑顔の写真が見えた。棺桶の回りには、柚季の夫と、子ども達に、一度、彼氏として挨拶をしたことのある柚季の兄が、喪服で集ている。
 ずと、忘れられない。離婚を機に地元に戻た僕が最初にしたのが、初めて電話ボクスで掛けた柚季の家の電話番号に電話をかけること。
 まだ、柚季の唇がキスのできる距離にあるうちに、もう一度キスを、そしたらけらけらと笑いながら起き上がてきて。
 そしたら、僕はまた、もう一度、行き止まりから先へ進むから。
 視界が端からぐちぐちになて、僕は黒いスーツの手に肩を腕を足を摘ままれながら、何かを叫んで棺桶に――
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