ある日の記
この○○を読んではならない。
散歩中に腹を下したので公園のトイレに駆け込むと、座
った目の前の壁に、そんな事が縦書きで書いてあった。
ふと、上を見ろ、から矢印が書いてあって、先には右を見ろ、という指示をそのまま続けるとバカが見る、なんていう落書きを思い出す。
たいてい公衆トイレの落書きなんてものは半分以上が走り書きで、内容もロクでもないものだが、これは妙にしっかりとした字で書いてあって、なんというか圧迫感すら感じる。横に小さく、何年何組某誰それ、なんていう署名でもしてありそうだった。
そんなことを思っているうちに腹が落ち着いたので、処理をして個室から出た。
公園のベンチで一息つき、あたりを見回って帰宅すると、手洗い後ソファに座り、テレビをつけた。映ったのは天気予報だった。
ぼうっと見ながら、ふとさっきの落書きを思い出す。
あれを書いた人は何を思ったのか。
トイレの落書きなのになぜ伏字なのか。
あんなにしっかりした、きれいで堂々たる字で書きたいほどの内容だったのか。
なんとも不思議だったが、たいていのことは、世の中には変わった人がいるもんだと思うと、あらかた解決はつく。そういうものなのだろう。
そんなことを思う今日この頃であった。