第6回 てきすとぽい杯〈途中非公開〉
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緩やかな歩み、応じる心
投稿時刻 : 2013.06.15 23:36
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緩やかな歩み、応じる心
粟田柚香


不恰好な建物の公民館だた。建物の大部分は、平行になた三階建ての小学校を再利用している。が、門の前には、視界を遮るように2階建ての白い箱が立ちふさがている。こちらが新館で、入り口をくぐるとすぐに受付がある。
周囲には、地域での催し物を宣伝するチラシが放り込まれたラクがある。緑色の掲示板には、市役所からのお知らせといたポスターが貼りだされている。どちらも手作り感が溢れている。
黒い鉄筋の階段の踊り場には、もうすぐ七夕ということで、色紙を切ただけの短冊がべたべたと貼り付けられている。2階にはギラリーがあるらしい。階上から騒々しい足音が、コンクリートの壁と反響して伝わてくる。
休日の昼間ということもあり、結構な数の人がいた。親子連れが部屋の隅で集まているのは、何かの体験教室だろう。奥の休憩所では、だらけきた姿勢の中高年が椅子に身体を預けている。残念ながら、囲碁や将棋に興じる趣味人の姿は見られない。
私は足早にそこを通り抜けると、旧館への渡り廊下へと通じるガラス扉を開けた。扉に書かれた「旧館」という白い文字の上部に、剥がしそこねたセロテープの糊が残ていた。

靴裏に跳ね返る湿た木材の弾力。蛍光灯の輝きが色褪せ、混じりけのない白壁が微かに黄色味を帯びる。もとは小学校の建物だたという旧館の中は、新館につどた人々の喧騒から遠くはなれ、硬直した静寂に満たされていた。

私の左側には、街灯に照らされた運動場、私の右側には、黙りこくた夜の教室。

それでも時折、どこからか話し声や足踏みが響いてくる。地域の劇団やダンサーが、稽古場として利用しているという話だた。けれど今自分がいる階は、自分以外空ぽらしい。思わず足が早まる。

ヘアピンカーブのスロープを通り抜けて、1階から半地下へと下る。その足下の茶色い扉は、いかにも用務員室といた風情で、実際にかつては用務員室として使われていて、今も用務員―もとい警備員の詰所になている。
私は暗がりに近づいて扉を叩く。
目の高さにある摺りガラスの奥で影が動き、扉が開いた。1人の老婆が顔を出す。
私は少し当惑した。父の勤務は13時からで、それまでは詰所にいると電話で言ていたのに。
「あの、猿又はいますか。家族のものなのですが」
腰のまがた老婆はこちらを見上げ、私の目を覗きこんで、ニコリを微笑む。
「綺麗な娘さんだね。だけど、ここに来るにはもう年をとりすぎているかな」
しわがれた、けれどハキリ聞き取れる声だた。
「残念だけど、今日はもうお帰り」
そう言て、扉を閉めてしまた。

私は呆然として、辺りを見渡す。父は今どこにいるんだろう?
それからすぐに解決策を思い出す。携帯に電話すればいい。父はいつでも、携帯を持ち歩いているはずだ。母が毎日言いつけるものだから。
すぐに取り出し、発信する。案の定すぐに父は出た。
「おお、今どこにいるんだ。母さんが心配するぞ。早く帰りなさい」
心配する?
何を言てるんだろう。
休日の昼間くらい、好きに出かけたていいじないか。
憤慨して電話を切る。用務員室の扉は閉ざされたままで、摺りガラスに、外の街灯の明かりが反射している。
たしかにもう帰たほうがいい。こんなに遅くなてしまたんだから。

スロープを半分だけ上た所で、向かいから下りてくる女の子と鉢合わせた。
とても小さい、3歳程度の女の子。私の歩幅なら15歩程度で上り終えるスロープを、よちよち歩きで、ゆくりゆくり下てくる。
親はどこにいるんだろう?こんな小さな子供が、1人で歩き回ていてはいけない。
と、受付周りにいた親子連れの誰かだろう。親が目を離した隙に探検を始めてしまたのだ。けれどここは危ない。もう外はあんなに暗いのだし。
私は女の子に歩み寄て、屈み込み、両腕をさし出した。
「どうしたの?ここから先は行ダメだよ。一緒にー
「邪魔しないで。1人でおりれるもん」
きの老婆と同じくらいはきりした口調で、女の子はこちらを睨み上げた。
子どもながら固く決心した目つきで、思わずこちらが気圧された。
女の子は私の横をすりぬけ、相変わらずのよちよち歩きで下ていく。
「じあいいよ、一緒に下ろう?」
女の子は、今度は無邪気な驚きの顔をこちらに向けてくれた。それに応じて、私はニコリと微笑みかける。こんな優しい笑顔が自分にできたんだなと、驚くくらいに。

女の子の足音は、ペタペタと言う。足先がやたらと外側を向くので一足ごとにバランスが崩れそうになる。私は女の子の歩調に合わせるので、一歩一歩の間隔が極端に長い。
白いスロープの床面に、2つの黒い影が伸びていく。
ペタペタペタペタ、カツン。
ペタペタペタペタ、カツン。

スロープの果てにたどり着く。
よくやたね、と声をかけると、女の子は、どうだ、という顔でこちらを見上げた。
彼女の顔に、明るい初夏の日差しがふりそそいでいる。
私はその時初めて、子供の顔を愛らしいと思た。美人だとか、顔つきが整ているという意味ではなく、無邪気なこどもという存在が愛らしく、尊いものに思えた。

女の子と別れ、私は警備員室に向かう。
目の高さの位置に、「警備員室」と書かれたプレートがはまている。
クすると、奥から聞き慣れた声が無愛想に返事した。
「忘れ物だよ、お父さん」
バタついた声が返てくる。本当にしうがない親父だ。

私はそのまま振り返らなかた。
女の子も、もう私に興味をなくしたらしく、駆け足で出口に向かて走り去てしまた。
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