推敲バトル The First <後編>
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シェネイ
投稿時刻 : 2013.06.22 20:04 最終更新 : 2013.07.30 23:11
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シェネイ
豆ヒヨコ


「僕はシネイNO.2985。恋人は、きみで間違いないかな」
 澄んだ湖にも似た青い瞳に微笑みをたたえ、彼はこちらを見つめた。仕切りのない冷蔵庫から、長い脚を伸ばして立ち上がる。背が高く185cm強というところで、ほそりしてはいるが程よい筋肉質だ。涼やかなスラヴ系の顔立ちは、確かに注文通りだた。
 シネイ。
 ブロンドの前髪が額に落ちかかり、彼は鬱陶しそうに指で払う。
「ここはどこ?」
 あたしは取り落とした説明書を拾い、その裏面に書かれた世界地図を見せた。
「日本で、首都の東京」
「おお、ずいぶん遠くにきたな。初のアジア圏だよ」
 彼の眼に光が宿た。しみひとつない陶器のような肌に、汗とは違う、細かい結露が勢いよく湧いた。真白なシツに、するすると滴り落ちて円をつくる。
「暑くないの?」
 言てから、寒くないか聞くべきだたかとあたしは逡巡した。
「少し暑いかな。でも大丈夫、すぐ慣れる。汗ばんでるくらいのほうが楽しいし、ね」
 ニと笑い、彼はあたしの頬をそと撫でた。大きな手で包むように、親指だけを動かして。それだけで気持ちがよく、あたしは目まいを起こしそうになる。
 確かにこの部屋は暑い。西向きで夕日がアホほど差す上、高層ビルに挟まれて風通しが最悪だから。湿気が多くて居心地が悪い。本当はシネイなんか置く場所もないくらい、物にあふれて小さな部屋なのだ。でも、つい買てしまたのだた。深夜のテレビシピングで、不覚にも心を動かされて。
 ライトブルーの冷蔵庫は、シネイを届ける使命を終え、静かにモーターの動きを止めた。

 予備バテリーのオプシンをつけなかたので、激しい運動をした場合、シネイは速やかに経口で栄養(正しくはバイオエネルギー)を摂らなければならなかた。冷蔵庫―彼が入ていたのではなく、あたしが日ごろ使ている方―に残ていたモヤシとシメジで、簡単に豚肉炒めを作る。
「旨いな。これは塩? 僕の国にはない味わいだ」
 初体験のしう油味がお気に召したらしい。
「それは何?」
 あたしは白飯に生卵をかけて食べていた。大したもんじないわと答えてツルリと白身をすする。
「なんだかドロドロして不気味に見えるけど」
「食べてみる?」
「いや結構。内臓あたりの機構に異常をきたしそうだから」
 シネイは、素裸にタオルケトを一枚だけ巻きつけて座ていた。洗いたての金髪がざくり乱れて、少年みたいにところどころ尖ている。そうしていると彼は幼く見えた。終えた行為はまるで逆なのに、大人から子どもに変貌した感じがした。
 あたしは質問してみたくなる。
「どうしてこの仕事をしてるの」
 シネイは、深く悩むふうでもなく首を傾げた。
「理由は特にないな。成り行きだよ。兄弟が9人いて養わなきならないし、僕は割と贅沢が好きだから。大した苦労じない、サイボーグになるくらいはね」
 来週ドバイに遊びに行くんだ、初めての中東だよと嬉しそうに笑う。
「何故きみは僕を呼んだ?」
 彼は聞いた。ペトボトルの蓋を、あたしは手のひらでクルクルといじり回した。
「わからないわ。ただ会てみたかたから。抱きしめて、大丈夫だよて言てほしかたの。それだけ」
 まるで子供みたいだと恥ずかしくなた。けれどそれは嘘のない気持ちだた。テレビの画面で彼を初めて見たとき、感じたのは紛れもない希望だた。法外な、貯金を使い果たすレベルの利用金額も吹き飛ぶくらいの、立派な一目ぼれだたのだ。
「元気になれた?」
 シネイの声はやさしい。かすれてセクシーで、あたたかみに満ちている。
「わからない。少なくとも今は」
 あたしは答えた。

 スーツの上着を脱ぎ洗濯機の上にたたんで置いてから、あたしはリビングのドアを開けた。ライトブルーの冷蔵庫の前で、シネイは体育座りのように体を縮め、静かに寝転がていた。彼はすでに呼吸をしていなかた。頬の赤みは消え、まぶたは閉じきらず薄く白目をむいている。そと腕に触れると、昨日の張りつめた弾力は失せて、ソーダアイスのように固まていた。
 施しておいた凝固作業がうまくいたことに、あたしはひとまず安堵する。
 筋肉注射は扱いが難しく、あたしはひどく手間取て、結局会社に遅刻してしまたのだた。薬品で安定させた後、低温に冷やして鮮度を保つ。それだけのことが、素人にはとても難しい。
「ああごめん、上手くいかない、ごめんね」
 何度も針を刺しては失敗し、半泣きで謝るあたしに、シネイは冷や汗をかきながらも笑てくれた。
「泣くことはない。弱虫だな」
 そと涙を拭てくれた長い指。今はしかりと膝に回され、組んだ手をほどくこともできなかい。
 冷蔵庫を開け、やさしく、やさしく、シネイを押し込む。乱暴にして骨ごと砕けてはいけないと、できるだけ丁寧に扱う。驚くほど軽いのは、やはりサイボーグだからだろうか。漏れだした白い冷気が、狭くて小さいあたしの部屋を冷やしていく。
 「転送」
 声がかぼそく震えてしまた。銀色のマイクはけれども一発で意図を読み取た。ひときわ大きな音をたて、冷蔵庫のフンが回り始めた。
 引きとめたい感情が、ふいに体中をうずまいた。銀色の取手を引けば、まだそこにはシネイがいるのだ。唇をかみしめ、なんとか衝動に耐える。膨大な違約金のこと、狭くて蒸し暑い、これ以上ものを増やせない部屋のことを無理やり思い浮かべる。
  金色の髪が、ドアを閉めたあとも、あたしの手のひらに2、3本残た。
 ふと一枚のメモが目に入た。冷蔵庫のドア上部に、マグネトでぺたりと貼られている。あたしのボールペンで書かれた、くせのある筆跡の走り書きだた。
「次はアジアンの奴がおすすめ。もちろん僕でも構わない。NO.2985で発注して シネイ」
 あたしは思わず笑う。商魂たくましい。あの生命力はなんだろう。
 何度か読み返してから、メモを破て細かくし、まとめてゴミ箱へ放た。部屋はすでに湿度と温度を取り戻し、いつもの不快な空間へと戻ていた。
 軽く汗をかいた額を拭い、あたしはシワーを浴びたいと思た。
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