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第8回 てきすとぽい杯〈夏の24時間耐久〉
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移住
6de梨
 投稿時刻 : 2013.08.18 12:39 最終更新 : 2013.08.18 12:58
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更新履歴
- 2013.08.18 12:58:26
- 2013.08.18 12:39:17
移住
6de梨


身をくねらせて逃げる。長く尾を引く紅。手を伸ばし、尾の先端を掴んだが千切れた。優雅な曲線だた筈が、破れて惨めな羽衣。痛々しさに罪悪感が募た。それでもおれは捕まえねばならなかた。この水はもう終わりなのだ。早く移住しなければならない。どれほど生ぬるい安住の現在であても、未来の死は切迫していた。待て、逃げるな。だが彼女は白い腹を眩しくうねらせ、愛らしい口から気泡を吐きながら、泳ぎをやめない。この広い立方体の中で、最高の運動能力を発揮して、追随を許さない。正直おれはもうしんどかた。トプスピードも機動性も彼女に劣り、疲労も蓄積している。しかも最後の跳躍のための力だけは温存しておかなければならない。もはや傷付けずに捕獲することは不可能だ。麻酔銃も縄も素手ですら、あの柔らかく繊細な肌を無傷で済ますことはできないだろう。どうすればうまく捕えられるだろうか。水が徐々に虹色に変わてきた。汚染の兆候だ。彼女だて気づいている筈だ、そろそろ呼吸が苦しくなり始めてきたことに。気のせいだろうか、彼女の深紅が若干青みを帯びてきたようにも見える。チアノーゼではないだろうか。彼女の優美な睫毛が苦しそうに震えている。おれに身を委ねさえすれば安全な場所に遷してあげられるのに、なぜ信じてはくれないのか。たおやかな長い鰭をおれの首に巻き付け絡み付かせればそれで済むのに。そうすれば全く傷を付けずに彼女を現槽から新槽へと一瞬のうちに跳躍できるのだ。どうやらおれを捕食者だと考えているらしい。ならばとおれは思い当たた。むしろおれが彼女の餌であると思い込ませればいいのだ。時間も力も殆ど残ていない。ほかに方法はない。おれはナイフで自分の脇腹を抉た。激痛。麻酔銃を最弱に調整して、傷に撃ち込んだ。これで暫くは保つだろう。彼女の体色にも劣らない真紅の幕がおれの周りに拡がた。おれは腸を自分の体長の二倍程度まで引き出した。彼女の安心できる距離感の筈だ。見ろ、彼女が急旋回し、おれのはらわためがけて食いついた。案外獰猛な表情をしている。最初に一咬みした瞬間彼女の瞳に走た恍惚の閃光を、おれは見逃さなかた。が歓喜に浸る余裕はない。おれは腸を彼女に巻き付けて柔らかく捕えた。食い千切ろうとする彼女。しかし、跳躍には充分な一瞬を稼げた。おれは跳んだ。新槽に着水した瞬間、彼女はおれの腸の一部を咥えたまま水底へと消えた。
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