第11回 てきすとぽい杯〈お題合案〉
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祖母の庭
投稿時刻 : 2013.11.16 23:32
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祖母の庭
粟田柚香


―庭の林檎の実をもいではいけないよ。
あれは、お祖母様の忘れ形見だからね。

 父の実家を訪ねるのは嫌いだ。
 中央駅から1時間。さらに田舎へ進む単線に乗り換えて2時間。自動改札機があることすら不思議な駅を降りた先に広がるのは、侘しい、さびれた、なんて言葉は情緒がありすぎる、はきり言てつまらない駅前の風景。鋏と女の人の顔が浮かぶ、小学校の子どもが描いたような美容院の看板。湯気を上げるコーヒーのアイコンと「喫茶」というゴシク体の文字が貼られたガラス戸はなぜか薄茶色で、中を除くと、しわしわ顔のおばさんが、どこかのリビングにありそうなソフに腰掛けて、ぼうとテレビ画面を見上げている。旅の途中で通りかかても、絶対中には入りたくない、そんなお店。そうしたお店ばかりが並ぶ風景を脇目にみながら、タクシーに乗り込んで(いつも座席がヤニ臭い)15分程度か。雑草がはびこる空き地の隣で、ところどころ塗り残しがある壁に囲われた一軒家、あれがおじいちんの家。
 畳と土壁でできた家。リビングにはいつもお線香の匂いがする。欄間にはずらりと誰かの白黒写真が並んでいる。みんな正面を向いているから、見下ろされているようで落ち着かない。おじいちんは足が悪いからほとんど使ていない。小学校にあがる前まではいとこがいて、小さい頃は彼女に遊んでもらえるのが楽しかたけれど、ずと前に一家で転勤してしまた。以来2階は放り出してある。いとことの思い出が懐かしくて、昔はわざわざ様子を見に上がたけど、埃ぽくて、抹香臭くて(抹香てなんだか知らないけど)とても人がいられる場所じなくなてる。へんな箱や本や、あとはとにかく紙の山がそこら中に積み上がている。要するに1階丸ごと物置。きと、おじいちんがあの世に行くまであのままなんだろう。
 居間の隣はおじいちんの部屋だ。趣味で描いている日本画の道具が雑多に散らばている。真ん中にある木の机にはいろんな顔料がこびりついていて汚い。ここもなぜかお線香の匂いがする。わたしの肖像画を描いてやろう、という話があたらしいけど、結局見せてくれなかた。きと完成しなかたんだと思う。わたしの家には、おじいちんが描いたフルーツやお花の絵が飾てある。上手い下手は知らない。きと下手だと思う。
 その部屋の障子を開けるとぎしぎし鳴る縁側があて、そこから庭へ出られる。狭い庭。猫の額ほどの部屋。縦は家の長さと同じだけど、幅は3mほどしかない。狭い地面を囲むように椿とか山茶花とか南天とか生えていて、端こに信楽焼の狸がでんと腰掛けている。そいつの傍らに、植木屋さんが持てきた大降りの木々に見下ろされて、一本の若木が場違いそうに生えている。

―庭の林檎の実をもいではいけないよ。
あれは、お祖母様の忘れ形見だからね。

 去年ここに来た時、おじいちんにそう言われた。
 変なことを言うなあ、と思た。

 だてあれは、まだ植えてから3年経たか4年たたか、そんな木だ。テレビで見るリンゴ農家の木は、どれも桜公園の木のように大きく育ている。あんな若木に林檎が実るわけがない。だけど、黙ていた。おじいちんは耳が遠いし、声も聞き取りづらい。ちんと会話するのは、しんどい。
 おばあちんはずと昔に死んでいる。私が生まれるのよりも前に。父さんがまだ学生だた頃に。居間の欄間の遺影の中にいるはずなんだけど、着物姿の若い女性は何人かいるのでどれかわからない。そんな理由で、わたしはずと片祖母無し。だからどうということもない。
 なので、あの林檎の若木がおばあちんの忘れ形見というのもおかしい。そんな昔に亡くなた人の形見なら、当然その形見も古くなきいけないはずだ。あんな新参者の木、お祖母ちんとは何の関り合いもない。
 おじいちんは寂しい人なんだなと思たら、なぜか胸が傷んだ。

 (…寒い)
 大晦日を明日に控えて、わたしはまたおじいちんの家に連れて来られた。
 友達との架空の約束を盾にずいぶん駄々をこねてみたけれど、来年は受験勉強でそれどころじないでしうと言われたのに加えて、
 ーおじいちんもそう長くないんだから。
 そんなことを言われたら、折れざるを得ない。
 つかえつかえの挨拶を済ませると、おじいちんの相手は両親に任せて、わたしはととと庭に退散する。
 やることもないので、花壇の枠内へ侵入しようとしている雑草を2、3本引こ抜いて、その辺に捨てる。それほど意味もないことなのですぐにやめてしまう。庭の奥から信楽焼がじとこちを見ている。
 (…いつ見ても、可愛くない)
 ぐりぐり目玉が大きすぎて気持ち悪いし、ぬめぬめした感じの塗りも嫌い。
 (もうちと愛嬌ある顔立ちできないの?)
 そうつぶやきながら、陶器の顔をつつく。ちと強くつつきすぎた。首はカラリともげて、壁際の金木犀の葉下の薄暗がりへ、朝の霜が溶けてぐちぐちしている泥の中へ落ちた。
 「・・・・・・・・・」
 しまた。
 これは…どうしたものか。
 でも、湿気た泥の中へ手を突込むのもごめんだ。
 『…悪い子だね。』
 不意に、頭上から叱られた。
 誓てもいい。誰もいない庭の片隅で、突然声がしたのだ。
 『こんなに行儀の悪い子どもは見たことがない』
 女の人の声だ。
 線香臭い畳だらけのこの家では聞いたこともない、張りのある、厳しい女の人の声。
 おそるおそる、見上げる。
 頭上には…地面にしがみこんでいるわたしの頭上へ、樹齢3、4年くらいの林檎の若木が、骨ばた枝をピンと伸ばしている。葉はもうみんな落ちて、黒く染また枝に点々と白いものがある。それがわたしをじと睨む顔のようにも見える。
 『狸さんに謝りなさい』
 ぴしりと一喝。
 それでわたしの我慢も限界。
 ぱと飛び上がり、庭を数歩で駆け抜け、障子を押し開けて祖父の部屋へ逃げ込む。
 そこはよく知ている、埃ぽい祖父の部屋だた。机の上には新聞紙がひかれ、赤いつやつやした林檎が2つと蜜柑が1つ。林檎にはバーコード付きのラベルが貼りぱなしだ。そしてそれらをデサン途中のスケチブクが開いていた。あれは確か、いとこが祖父にあげたものだ。
 居間からはほのかに抹茶の香りが漂てくる。それを胸いぱいに吸い込みながら、私は
 ーもう二度と、ここには来たくないなと思た。
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