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宏観異常現象
投稿時刻 : 2013.12.22 23:03
字数 : 7773
5
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コメント
2013.12.28 21:09

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初読では、意味がわからず、だらだらした酔ったような文章をただ楽しんでいたのですが、じっくり読み返してみると、映像のように情景が浮かぶようになり、終始ダリの絵や安部公房の小説が脳裡にちらつきました。
うず潮に落ち込んで砂漠を歩く場面、蛾がまとわりつく場面、時計がぐにゃりと歪む場面……。次第になにもわからなくなり、「私、いや、あるいは僕であろうか」と、自分をも疑ってしまう酩酊。そしてついには宙を舞い、言語的存在となったラストは、胡蝶の夢を思わせます。
そしてまたタイトルが興味深い。最後の一文と呼応しているのでしょうが、地震が起こるとして、それがなにをもたらすのか。足元がぐらぐらと不安定になり、物事やひいては自分に対する認識を改めさせることを「地震」と表しているのか。非常に気になります。
面白い作品でした。執筆おつかれさまでした。
なんだとー。

うーくんまで純文路線かー。

漱右のコメントにダリくんや公房くんが出ているけど、ボクちんはなんとなく「アルタード・ステーツ」ちゅー映画を思い出したー。

カルト的雰囲気が漂っていて、なかなか見事なジャーマンスープレックスだったのだ。

蛾とか時計とか秋刀魚とかも、一見無秩序な選択で、それがシュールさを増していい感じー。
2013.12.31 09:39

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日常が幻想世界へと移り変わる不安感を誘う描写がとても素敵です。好みな作品でした。
2014.01.01 21:58

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 一人称が多用される独特な文章でした。通常、一人称の多用は描写をしているつもりが説明になってしまい、作品世界が狭まるとして忌み嫌われますが、これは意図的に書かれていますね。
 もう一つ、「私」を多用しつつもこの語り手はあまり積極的な行動を起こしません。変容する世界に翻弄され、妥協することで話は進んでゆきます。村上春樹の初期作品が当時の評論家から徹底的に批判されたのは、主人公が受動的で周囲から働きかけられるだけ、というスタイルでした。村上氏本人も思うところあってか、初期作品は全集から除外しています。受け身の主人公で話を進めようとすれば、周囲の表象をやや偏執的につかまえるか、自己投影して独り言を重ねて行くしかありません。実はオーソドックスな私小説も同じやり方ですね。悲惨な現状が作品に奥行きをもたらしていますが。そう考えると、これはその種の作品のパロディと言えるでしょう。現実世界に踏みとどまったまま語り手を狂気へと近づけたほうが面白い気もしますが。最後の部分はああいう記述の形ではなく、作品のままで表現するべきかとも思いました。
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