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クルークと会えなくなってから数日後、私は卒業試験の日を迎えた。
彼を殺してしまった私が試験を受ける資格があるのかどうかわからない。けれど、促されるまま、私は試験会場に足を踏み入れた。
床に魔法陣が描かれた広間の奥に担当の先生がいる。そして、その横には、
「……お祖父様?」
特別学校の理事長である祖父がいた。祖父が立ち会うという話は聞いていない。
「これから卒業試験を始める。これを開くことが、お前への課題だ」
戸惑う私に祖父が見せたのは、一冊の手帳だった。
ただの手帳でないことは一目でわかった。表面に施された細かい文様。不釣り合いなほど大きな錠前。そして何より触らなくてもわかるほど強い魔力を手帳から感じる。
「これは、私の義兄であり、お前の大叔父であるクルーク・ノイ・フォアリュッケンから預かったものだ。お前の卒業試験に使ってほしいと頼まれた」
(クルークから?)
驚く私に、祖父は手帳を差し出す。
「お前にもわかるだろうが、この手帳は強い力で封印が施されている。開けるには力に負けないほどの意志と技量が必要だ。もし失敗すれば、力に呑まれたお前の精神は二度と戻って来ないかもしれない」
それでもやるか、と尋ねる祖父に、私は大きくうなずき手帳を受け取った。大きな錠前にそっと手をかざす。
その途端、手帳から膨大な魔力があふれ出した。魔力の奔流に意識が呑み込まれそうになる。けれど、
(――もう一度、会いたい)
いや、声を聞くだけでも、彼が残した言葉を知るだけでもいい。私は、もう一度彼の存在を感じたかった。
必死になって魔力を抑え、受け流し、中に隠されたものを探っていく。すると、頭の中に言葉が響いた。
――君の名前を教えてほしい。
「私は、私の名前は……」
あの時彼に伝えられなかった自分の真名を、私は口にする。
ガチャリと何かが外れる音が聞こえたと思った瞬間、まわりの景色が一変した。薄暗い広間ではなく、明るい陽が差す庭へと姿を変える。いつも見ていたのですぐにわかった。ここは、祖父の屋敷にある薬草園の中だ。
そして、目の前には、白い髪の少年がいる。
「……クルーク?」
まさか、本当に彼なの?
驚いて駆け寄ろうとした時、年老いた声が少年から聞こえてきた。
「君がこの言葉を聞いているということは、無事に試験に合格したのだろう。まずは、おめでとう」
少年の口は全く動いていない。けれど、間違いなく声は少年から聞こえてくる。
(これは、記録なのね……)
少年時代の姿と、おそらく晩年に残した声を自動再生するだけの記録。
私の返答を待たず、彼の言葉は続く。
「そして、すまない。私は約束を守ることができなかった。君が十六歳になったら必ず会いに行くと言ったのにな。
だが、君がいる時代に私はすでに生きていないことは薄々気づいていた。血縁なら、私の真名を知らないはずはないからね。それでも健康には十分注意を払っていたよ。もしかすると未来が変わるかもしれないと思ってね。おかげでこの歳になっても私は元気だった……そう、歩き回る孫と庭で一緒に遊べるほどにね」
それが何を意味するのか、すぐにわかった。私の胸がズキリと痛む。
「私が何故死んだのか、おそらく君は知ってしまったのだろう。周囲には口止めしたが、最後に会った日の君の態度を思い返せばわかることだ。
だから、どうしても君に伝えたかった。
私は、君に会えたことを後悔していない。短い時間だったが、私が自分の道を進んでこられたのは、すべて君のおかげだ」
ありがとう、という言葉が私の耳に届く。
「そして、幼い君を守ることができたことを、私はとても嬉しく思っている。魔術を吸収するこの体質にさえ初めて感謝したほどだ」
本当に、本当にあなたはそう思ってくれるの?
「だから君が罪悪感を感じることはない……というのは難しいだろう。もし私の死に少しでも責任を感じているのなら、生きてしっかりと自分の道を歩んでほしい。それが」
――君が命を奪った相手の、心からの願いだ。
気づくと薬草園の風景は消え、試験会場の広間に戻っていた。
「リィナ、大丈夫か?」
その場にしゃがみ込んだ私を、祖父が心配そうに覗き込む。
「うん、大丈夫。もう大丈夫だから……」
頬を伝う涙をそのままに、私は彼が残した手帳をしっかりと胸に抱きしめた。
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