第13回 てきすとぽい杯
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クマちゃん
投稿時刻 : 2014.01.18 23:44
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クマちゃん
小伏史央


 秒速二〇〇メートルの強風の前では、うずくまるだけでやとだた。うずくまることができただけでも、ぼくにとては御の字だたけれど、それはこの星の大気が地球よりも薄いせいなんだろう。ぼくは風に押しつぶされたり、吹き飛ばされたりしないように、司令官お手製の鉄器付きワイヤーを地面に突き立てた。
 ぼくは風に逆らいながら、ワイヤーを綱に少しずつ前進する。火星の土は公園の砂場のようで、歩きやすいものではなかたけれど、我慢するより仕方なかた。ただ、ワイヤーの先端に取り付けられている鉄の突起が、そのやわらかい砂に押し出されて、ぼくの体ごと吹きとばされてしまわないか、そればかりが心配だ。
 でも、その心配は、このあとすぐに霧散していた。それは、また新たな、そしてより大きな不安が、ぼくにのしかかてきたからだ。
 徐々に徐々に進んでいた先に、その火星の地上に、ぽつりと、ひとつの小屋が建ていたんだ。

 彼らは、まるでぼくとは異質な姿をしていた。でも、人間と異なた姿をしている、というわけではないんだ。いや、なんだか難しい感覚だけれど、ぼくみたいな太たやつとは違うけれど、司令官みたいな器用で繊細で、細ろい体をした人みたいではある、みたいな。
 言葉は通じなかた。小屋にいた人たちは、全部で四人で、そのどれもがぼくには同じ顔に見えた。そのうちのひとりが、ぼくに手を差し伸べる。なにか言葉を言ているようだけれど、ぼくには理解できない。理解できないことを伝えるすべも、ぼくには思いつかなた。訓練のやり直しだ。
 手を差し伸べたその人は、他の三人を振り返て、またなにか言う。三人のうち白銀色の毛を頭部から生やしている人が、ぼくに絡まているワイヤーを、取り外してくれた。それを横目に見ながら、他の人より肌が黄色い人が、通信機でどこかと連絡をとている。通信機はぼくが知ているものと同じようなもので、だからぼくは彼らが使ているものは言葉以外、ほとんど把握することができた。さきほど手を差し伸べていた人は、またぼくに手を差し伸べながら残りの一人になにか言ている。その言葉を受けて、金色の毛を垂らした、特に肌の白い人が、どこかにせわしなく駆けていく。その様子を見てやと、目の前の人は手を差し伸べているのではなくて、ぼくに指を指しているのだと分かた。ぼくはワイヤーから自由になた体で、彼らに向かて感謝の意を伝えようとしてみた。でも、火星での活動に、異星人とのコンタクトの予定はなかた。だからぼくには意思を伝えるための準備はなにも持ち合わせていなくて、もどかしいんだ。それに、彼らは別に、異星人てわけでもないんだしさ。

 ぼくは、小屋のなかの小屋に入ることになた。黄色人種の人が勧めてくれたんだ。小屋のなかの小屋、といても、マトリシカのような構造になているわけではなくて、それはいわゆる身を癒すための、カプセルのようなものだた。いや、でも、強風のなかで見た小屋というものも、カプセル状の形をしていたのだから、結局はマトリシカのようなものなのかもしれない。ぼくはそこで体を休めることにした。予定にない休息だけれど、休むことは、とても大切なことだ。
 特に肌の白い人が、ぼくになにか話しかけてきた。言葉が通じないことは知ているはずなのに、その人は構わないように一方的に話しかけてきた。ぼくは、言葉が全世界で共通であればいいのになとこのとき思た。それは、地球のなかだけに限らなくて、ここのような火星でも同じことだ。すべての生命体がわかりあえる言葉があればいいのに。でも、そんな難しいことはわからなかた。相手は楽しげに話し続けている。ぼくは、なにか答えたくて、通じないとわかている声を発話した。相手は少し驚いたようだたけれど、司令官が趣味のサバイバルナイフを研ぎあげたときのような表情をして、またぼくに話しかけた。ぼくはもう発話しないことにした。
 ぼくに指をさしていたリーダーらしき人が、共通認識型の拡張視野をコネクトしていた。それは言葉だけではなくて、身振りや表情、背景といた情報を同時に伝達するときに、活用される通信機だた。拡張視野に立体映像が映し出される。通信相手の姿が現れる。
 それは司令官だた。迷彩柄の服ではなくて、黒いスーツを身に纏ていた。それを見た瞬間、ぼくの脳内は、びびとはじけて、光がはじけて、一転した。
「ええ、知能指数の向上は、驚くべきものです。これは大成功ですよ」
 リーダーらしき人が、司令官に向かて微笑んでいる。
 そうだ。この表情は「微笑む」というんだた。
「ただし、一定以上の衝撃が加わると、連絡媒体に不具合が生じるようです。本体自体は正常に動いていても、こちらとのリンクに齟齬が生じると。特に今日のような風の強い日には、厄介モノですな」
「でも、火星ていつも風強いじない」
 リーダーの言葉に、そう反駁したのは、さきぼくに話しかけてくれていた金色の毛の――そうだ、これのことを「金髪」と言うんだ――女性だた。その発言に、黄色い肌の男の人が、小さく微笑を洩らす。
「そうね。機械の増強が必要、と」
 立体映像の司令官が、地球にいる司令官が、拡張視野にメモ書きをする。
〈ねえ、司令官。この人たちは、司令官のお友達なの? 言葉が通じないんだ〉
 ぼくは今更になて、思いついて司令官に向かて連絡を試みた。
「いいや。機械に不具合があて通じなかただけで、ほら、いまは言葉も分かるんだよ」
 白銀色の髪をした人が、ここぞとばかりに、ぼくにそう言う。
〈ほんとだ。言葉が分かるよ〉
「とにかく、このプロジクトは軌道に乗たと見ていいわね。火星支局のみなさん、ご協力ありがとう。クマちんもおつかれさま。火星での活動はあまり向いていないようだから、予定を変更して、ひとまず地球に帰てきて。ご馳走の苔をたくさん用意して待てるから」
 司令官が、そう言て、通信は終了した。

「じあね、ばいばい」
 背中にガス噴射機を載せてくれた金髪の人が、ぼくにそう話しかけてくれる。カプセルで休んでいたとき、この人はなんて言ていたんだろう。気になたけれど、時間がもたいないから、聞くのはやめた。
 ぼくは、八つの脚を火星のやわらかい砂のうえでふんばて、噴射機のスイチを入れる。
……彼らは、まるでぼくとは異質な姿をしていた。でも、人間と異なた姿をしている、というわけではないんだ)
 ふと、小屋の彼らを最初に見たとき、ぼくが感じた印象を思い起こした。そりあ、そうだよね。彼らは司令官と同じ人間だけれど、ぼくが人間じあないんだから。
 ――巨大クマムシのクマちん、いま、帰還します。
 宇宙服がなくてもへらで生きていられるぼくは、噴射機に押されながら地球を目指した。
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