ヘッセ
ここは誰も住んでいないお屋敷。ぼくは最近、このお屋敷に遊びに来る。このお屋敷には幽霊がでる
ってことを最近ぼくは知った。だけどこのお屋敷がいくら古くてぼろっちいからって、幽霊屋敷なわけではない。幽霊がいるのは、そう、庭の犬小屋。ぼくは、その幽霊犬小屋にでるシベリアンハスキーの幽霊、ヘッセと遊びにこのお屋敷に来ているのだ。
「ヘッセはさあ、なんで幽霊なの?」
「さあ、わからない」
「さわれるし」
僕は犬小屋の前で伏せていたヘッセに抱きつく。もふもふして暖かい。幽霊なんかじゃなく、ふつうに生きているみたい。
「気を抜くと触れないけどね」
ヘッセがそういうとぼくは透明になったヘッセの体を通過して地面に転がった。痛い。
「ちょっとー」
「ごめん」ヘッセは申し訳なさそうに長い鼻の頭を前足で撫でていた。
ヘッセがまた普通の犬みたいに透明でなくなったので僕は彼女に寄りかかった。
「昔からおしゃべりできたの?」
ヘッセが首を振る。
「いつのまにかこんな風になって、それから君がきて、はじめてだよ」
いまのところは、ぼく以外にここへ遊びに来た人はいないらしい。ぼくも一週間ぐらい前にはじめて知ったばかりだから、ほんとうについ最近だ。
「他の人とも話せるのかなー」
「できればやめてほしいかな」
「なんで?」
「大騒ぎになるかもしれない」
「いやなんだ?」ぼくはうししと笑う。
ヘッセはごろんと地面に転がった。ぼくもそのままヘッセのお腹に頭を乗せる。
「人間にはいい人もいやな人もいるからね。会う人は少ないほうがいい」
「いい人にもたくさん会えるかもじゃない?」
ヘッセは考えるような顔をする。普通の犬がそんな顔をしているかぼくにはわからないけど、ヘッセの顔はなぜかどんな風に思っているかがなとなくわかるんだ。
「わたしは人間が嫌いだから」
「飼われてたのに」
「だからね」
ヘッセが目をつむってしまう。ヘッセは生きている間になにかイヤなことがあったのだろうか。ぼくは全然わからない。このお屋敷に人が住んでいたのだって、もう何年も前のことだって聞いている。ヘッセの犬小屋もぼろぼろで屋根に穴が空いていたりした。
ぼくもヘッセのように目をつむる。ヘッセのお腹はとても暖かくて、幽霊なんて嘘みたいだ。そして、透明になってぼくが地面に落ちないから、ヘッセが寝たふりをしているんだって、ぼくにはわかる。
「ぼくのことはきらい?」
「……そういうときは好きか、と聞くものではないかな?」
「どっちだって一緒じゃん」
「そうだけど……」ヘッセはぐるると喉をならす。「答えを言えば、息子みたいだと思っているよ」
「ヘッセがぼくのお母さん!」ぼくは驚いて飛び跳ねてしまった。
「わがままであまえんぼうなところなんか、たぶんそんな感じに、君のほんとうのお母さんも思ってるんじゃないかな」
「変なの」
ぼくはそのまま眠ってしまう。
ぼくは夢を見ていた。ぼくがヘッセにまたがって、ヘッセがいろいろなところを走る夢だ。ぼくとヘッセは旅をしているらしい。砂漠の国や海の国、森を走って、雪を食べて、ぼくはヘッセの相棒のつもりなのに、ヘッセはぼくを手間のかかる息子だって言う。失礼しちゃうよね、と思うけれど、ぼくはいつもヘッセに助けられてばかりだから、あんまり偉そうなことも言えない。
あるとき、ヘッセが珍しいしゃべる犬だって、大金持ちの家来たちに連れて行かれた。ぼくには袋いっぱいの黄金を渡されて、これでいいだろってお別れさせられた。
いいわけないじゃないか。
ぼくとヘッセは友達なのに。
ぼくはひとり、大金持ちの宮殿に乗り込んでヘッセを助けようとした。だけど家来に見つかって、つかまって、街から追い出されてしまった。
もうヘッセには会えない。
そう思っただけで、涙があふれてきた。
「ヘッセ!」
「なに、怖い夢でも見ていたの?」
ぼくが目を覚ますとぼくの頭の下にヘッセはなんにも変わらずリラックスした様子で寝っ転がっていた。
「別に怖くないけど」
「泣いてるのに」
「あくびだよ!」
「そう」ヘッセが笑った。「そういうことにしておくよ」
ぼくは立ち上がって、それから勢いよくまたヘッセに抱きついた。地面に膝をついて、ちょっと痛いけれど、ヘッセのやわらかい毛が心地よかった。
「ずっとここにいてくれる? ぼくとあそんでくれる?」
「さあね」ヘッセが言う。「ずっとなんて約束はできないし、わたしがいつ消えるのかもわからない。いまだって、消えようと思えばすぐ消えられるんだ」
ヘッセがさっと消えて。抱きしめていたぼくの両腕が空を切った。それから少しだけ離れたところにヘッセが現れる。
「なんで消えるんだよう」
「消えられるから、消えるんだよ」
「消えるなよ!」
「できるだけ、努力はするよ」
ヘッセがゆっくりとぼくの方に歩いてきて、ぼくの顔をなめた。
「しょっぱいなあ」
「汗でしょ、泣いてないし」
「そう。でも、もう日が沈むから帰りな」
「また明日ね」
「明日があればね」
「そういうこと言うなってば!」
「性格なんだ。仕方がない」
ぼくは立ち上がって、砂を払って、ヘッセの顔にぼくの顔を近づけてぎゅっとくっつけてから離れた。
「じゃあね」ヘッセが言う。
「またね!」
「うん、またの機会に」
ぼくは大きく手を振ってからお屋敷の塀のほうに進む。それから割れたできた穴をくぐって、お屋敷を出た。帰って、お風呂にはいって、ごはんを食べて、宿題をして、眠って、起きて、学校へ行って、またヘッセに会いに行く。
だけど、次の日、お屋敷にいったら、ヘッセの犬小屋はどこにもなかったんだ。
ヘッセも消えていて、
ぼくがなんども呼んでも、ヘッセはでてきてくれなかった。
きっと透明になってぼくのこと笑ってるはずなのに。
ぼくが泣いても叫んでも、
いじわるしてでてきてくれなかったんだ。
ヘッ