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第17回 てきすとぽい杯〈GW特別編〉
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助手席の彼女
 投稿時刻 : 2014.05.06 23:28
 字数 : 3701
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助手席の彼女
永坂暖日


 何度目になるだろうか、これで。カーブににさしかかる直前、左足でクラチを踏み込んでギアを四速から三速に落とし、カーブを抜ける直前に、またクラチを踏み込んで三速から四速に戻す。
 つづら折りのようにカーブが続いているからギアチンジが頻繁で、左足はずとクラチペダルに置いたままだ。ずと上り坂でカーブもなかなかきつく、スピードも出せない。対向車がないからずとヘドライトはずとハイビームで、右を照らせば剥き出しの山肌、左を照らせばすぐそこに白いがガードレール、その向こうはうそうとした森だ。
 繁華街から車を走らせてほんの三十分。街中はずいぶんと都会めいてきたようにも見えるが、山地は住宅地のすぐそこに迫ていて、少し足を踏み入れたらあという間に人里から隔離された風景になる。
「ずいぶん辺鄙なところに住んでるんだね」
 左にハンドルを切るついでに、助手席に座る女をちらりと見た。彼女はますぐに前を見つめている。
「ええ。おかげで、街に出るのはいつも苦労するの」
「いつもは、どうやて街まで?」
 彼が女と知り合たのはつい数時間前、大型シピングモールの駐車場でのことだ。買い物を済ませた彼は、広い駐車場を歩いている途中、ぼんやりと歩いている彼女を見つけた。
 バグも何も持たず、車や連れを探している様子もなく、黄昏の中で見たその横顔が男の好みとこれ以上にないほど合ていたので、声をかけた。
 家に帰りたいけれど財布も何も忘れてきたので困ている、と言う割には困た顔はしておらず、また奇妙なことを言うなと思たものの、真正面から見るとますます男の好みの顔をしていると分かたので、なら夕食に付き合たら家まで送ると約束をして、今に至ている。
 携帯も忘れたという彼女は、電話番号もど忘れしてしまたという。さすがにそれはありえなくないかと思たが、せかく出会た好みの女である。家まで送れば携帯もあるから、そこで番号を交換すればいい。
「いつもは、通りかかた人に乗せてもらて街に下りるわ。でも、その人が帰りも乗せてくれるとは限らないから」
「送てくれそうな人を探してた訳か。車は、持てないの」
 こんな辺鄙なところに住んでいたら、必需品ではないだろうか。そうでなくとも、街中はにぎわているとはいえ、大都市のように交通網は発達していないから、車を持ている人は多い。
「免許がないし、お金もなくて」
 しばらく話をしていて気が付いたが、彼女は表情に乏しい。しかし今の声だけは、少しはにかんでいたように聞こえた。
「俺も、金がないから今はこんな中古車だよ」
 欲しい国産車はあるが、どこかから大金が転がり込んでこないかぎり、高嶺の花だ。
 助手席の女も、世間的には高嶺の花である。しかし、ダメ元で声をかけて家に送るところまでこぎ着けたから、案外手に入る花なのかもしれないと密かに期待していた。
 対向車もなく、民家もほとんど見かけず、車はどんどん山の奥へと入ていく。さすがに遠すぎやしないかと男が怪訝に思い始めた頃、右に曲がる細い道が見えて、そこを曲がてくれと女が言た。
 ウインカーを出して、ギアを二速に落としてハンドルを右へ。アスフルトはすぐに舗装されていない砂利道に変わり、左右からは背の高い竹林が迫ていた。
 本当にこんなところに民家があるのかと思ていたら、存外すぐに家が見えてきた。
……でかいね」
「土地だけはあるからね」
 日本風の、大きな家である。山奥に、それはぽかりと現れたように建ていた。その一角だけが開かれていて、竹垣に囲まれている。見たところ正面には駐車場はないが、転回するのに十分な広さはあたからそこで車を止めた。
「送てくれて、ありがとう」
 そう言てドアを開けようとする彼女の右腕を、とさに掴んだ。そのまま家に上がたら、もう戻てこなさそうだと思たのだ。
「ここまで送てきたんだ、電話番号くらい教えてくれよ」
……あ、携帯を取てくるから、ここで待てて」
 返事をするまでに少々間はあたものの、彼女は言た。家に上げてくれと言うのはさすがに図々しいし、本当に戻てくるんだろうなと疑うのも感じが悪いので、男は分かたといてすぐに手を離した。
 ライトを消しているから当然のごとく真暗で、エンジンを止めているから不気味なほど静かだ。スマホをいじりながら女が戻てくるのを待ていたが、一向に姿を見せない。女が家に入てどれくらい経たのかと時計を見て、既に二十分経過していると知た。
 やはり高嶺の花は高嶺の花のままだたのか。しかし、こんな山奥まで送たのだから、番号を教えるくらいしてもいいだろう。
 そんな不満を抱えたまま何気なく家を見て、どこの窓にも明かりがないことに、男は気が付いた。
 まさか、寝たのか。
 人を待たせておいて――待たせる理由を作たのは男自身ではあるが――先に寝るとはいくら何でも非常識だろう。
 諦めて帰ろう。とんだ骨折り損だ。
 ギアがニトラルになているのを確認して、クラチとブレーキを同時に踏み込み、エンジンキーを回す。ライトはハイビームになているが、戻すのが面倒だたのでそのままにして方向転換しようとハンドルを右に回す。エンジン音に、タイヤが砂利を踏みつぶす音が重なる。当たりが静かだから家の中まで聞こえているかもしれない。電話番号さえ忘れるような彼女だ。男のこともうかり忘れていたと、慌てて飛び出してくるようなことはないだろうか、という儚い希望が胸をよぎる。
 しかし、一瞬ライトに照らされた家から誰かが飛び出してくる気配は微塵もなく――ハンドルを切る男の手が止まる。
……え?」
 ヘドライトに煌々と照らされていたのは、一軒の古い家屋だた。さき見た時と違て、誰かが住んでいる様子などまるでなさそうな、荒れ果てた家だた。瓦は所々落ちていて、雨戸もない窓もあり、障子に貼られた和紙はすべて破れている。さき女が入ていくところを見ていた時はちんとしていたはずの門は、片方の扉がなく、もう片方もちうつがいが外れかかている。
 背筋がぞとした。
 男は大慌て手ハンドルを切て方向転換すると、アクセルを踏み込んだ。しかし、慌てすぎたせいでクラチから足を離すタイミングが合わずにエンストする。気ばかり急いてエンジンをかけ直すのにも手間取たが、なんとか車が動き出すと、カーステレオのボリムを耳が痛くなるくらいに大きくした。
 バクミラーもサイドミラーも、恐ろしくてのぞく気になれなかた。


 後日、こんな話を聞いた。
 山の奥、国道から分かれた舗装もされていない道路の突き当たりに、今はもう誰も住まなくなた廃屋がある。山奥にもかかわらずその廃屋は大きくて、しかし山に飲み込まれつつあるから迫力は満点。幽霊屋敷として評判で、肝試しに行く若者が少なくない。
 人魂のようなものを見たとか、白い人影みたいなものを見たとか、帰る時にバクミラーを見たら知らぬ人が映ていたとか――その幽霊屋敷にまつわる怪異の類いは枚挙に暇がない。しかし、そこが幽霊屋敷と呼ばれるようになた理由は、別にあた。
 家に送て欲しいと言う若い女を車に乗せ、彼女の案内に従て走らせると山奥の大きな家にたどり着く。女を送り届けた直後は、大きいけれど何の変哲もない家なのに、いざ帰ろうとする時にふと見ると、荒れ果てた廃屋になているのだという。彼女を送た者(たいていは男だ)はそれで慌てて車を走らせ逃げていく。慌てすぎて、途中のカーブで曲がりきれずに事故を起こした者もいるらしい。
 幸い、男は事故を起こすことなく家に帰り着いた。だけど、確かに人の住んでいる様子のあた家が、我が目を疑いたくなるほど荒れた姿に変わていたのを見た時の不気味さは、まだ忘れられない。妙な下心は当分持たぬようにしよう、と珍しく反省もした。
 女は――好みの顔をしていると思たあの女は、男なのだという。
 女装の趣味があた少年で、しかしそれを両親に理解されることのないまま死んだらしい。少年の秘められた趣味が両親に発覚して以来、坂道を転がり落ちるように家庭内の雰囲気は悪くなり、まるでそれに合わせるかのように父親のやている事業もうまくいかなくなた。
 とうとう一家心中するしかなくなて、最期だからと皆きちんとした格好になたのだが、少年はその時女装をした。自分でいちばん綺麗だと思たのが、その格好だた。しかし、少年の趣味を理解していない両親はこの期に及んでと激怒し、少年を無理矢理着替えさせよとして取組み合いをしているうち、少年は死んでしまた。息子を殺してしまた両親は結局死にきれずに出頭して、家は人手に渡た。しかし、殺人現場となた家で場所も辺鄙ということで買い手が付かず、次第に荒れ果てていたのだという。
 もう二度と両親が帰てこなくても、あそこが少年の家。だから、街へ下りては誰かを捕まえて送てもらうのだ。街へ行く時も、同じように誰かを捕まえるのだそうだ。
 彼は今日も、車に乗せてくれる人を探しているのだろう。
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