てきすとぽい
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第19回 てきすとぽい杯〈日昼開催〉
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空蝉の恋心
(
みお
)
投稿時刻 : 2014.07.13 16:03
字数 : 2483
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空蝉の恋心
みお
生きているのが嫌になる、と思うことが最近は多い。
醜く年を取
っ
たせいだろうか。皺ばかりが増えて、体の自由が利かない。妙に偏屈だ。そのせいで厭われて、そのせいで余計に偏屈になる。
特に季節の変わり目は、体の節々が痛む。そんな時きま
っ
て、
「ああ、死にたい」
と、私は思う。
死にたい、は私の口癖だ。もう何十年も前から口癖にな
っ
ている。なぜそんな風に言うのだと息子にも娘にも叱られた。しかし、言われば言われるほどに意固地になる。いやな爺だと自分でもそう思う。
そんな私の唯一の楽しみと言えば毎朝の散策くらいである。長引く雨のせいで足下は悪いが、私は晴れた日よりも雨の日が好きである。晴れると妙に、死にたくなる。青空が見えると腹が立つ。
私が出歩くと雨がよく降る。綺麗に晴れた日など、ここ何十年も見た事がない。
そのせいなのか、雨男と揶揄されたこともある。最近は梅雨明けがとみに遅いのは、偏屈な爺が駄々をこねているせいだ。と囁かれた。それでもいい。雨がず
っ
と降
っ
て降
っ
て降り続ければいい、そう思
っ
ている。
どろどろに濡れた道を目指して歩く私を、子や孫が馬鹿にする。だから私は、散策を一日として欠かしたことがない。
「すみません」
ある早朝のことである。どろどろの道を杖でかき分け歩く私に声をかけた女がある。
こんな鬱陶しい梅雨の朝に、珍しい。顔を上げてみれば、そこには着物姿の女がいる。女とい
っ
てもしわしわの老女だ。いや、私も老人だ
っ
たか。そう思い直して私は苦笑する。
「なにか」
「この辺りに、落とし物はありませんでしたか」
女は黒いレー
スの傘を持ち、首を傾げる。年に似ず、童女のような雰囲気の女である。
着物の裾に泥が跳ねようが一向に気にしない顔である。
「落とし物? 何かお探しで
……
」
「ええ。シ
ョ
ー
ルです。綺麗な
……
青の風合いで、透ける
……
」
彼女は大きく手を広げてその捜し物を現す。雨が吹き込んで着物を濡らしたが、構わぬのである。変わ
っ
た女である。
「もう、ず
っ
と前に落としたまま。き
っ
とあなたはご存じかと」
「
……
見ませんでしたが」
私は慎重に首を振る。妙な女に、こんな朝から出会
っ
てしま
っ
た。
「そんな、ず
っ
と前に落としたのであれば、警察に届けられているか
……
いや、風で飛んだかもしれない」
なぜ私にそんなことを聞くのか。彼女は黒い瞳で私をのぞき込み、笑
っ
た。
「ご存じのはずですよ。私はあなたの記憶の中に、そのシ
ョ
ー
ルを落としてきたのだから」
彼女の指が私の手に触れた。冷たい。そしてその白い右手の薬指、第二関節のところに小さなほくろがみえる。
それを、私は覚えている。
同時に記憶の奥底に、何かがざわりと蠢いた。
「
……
何を仰
っ
て
……
」
一歩下がる。それを許さず彼女の手が私を掴む。
吐き気がしそうな震えの中、突如蘇
っ
たのは古い記憶だ
っ
た。
それは薄寒い、梅雨冷えの記憶である。薄暗い室内、そこに横たわるのは一枚のシ
ョ
ー
ルであ
っ
た。青い、美しい風合いの。
「あなたに残したこのシ
ョ
ー
ルが、あなたを苦しめているので、私はこれをず
っ
と捜していました」
彼女は笑いながら、手を広げた。そこには、懐かしい、青のシ
ョ
ー
ル。目が冴えるような、美しい青。
「
……
見つけた」
彼女はそれを愛しげに抱きしめる。彼女が笑うたびに、その顔が懐かしいものに変わ
っ
ていく。
「もう、何十年も捜していたのです」
それは、私の亡き妻である。
彼女はもう数十年も前に逝
っ
た。それは梅雨冷えのひどい夕暮れのこと。彼女は自宅で病状が急変し、病院に運ばれたが手遅れであ
っ
た。
仕事人間だ
っ
た私は彼女が病院に移されたことを知らず、急いで自宅に駆け戻
っ
た。が、ベ
ッ
ドには青いシ
ョ
ー
ルが一枚だけ残されているのみである。
その直後、彼女が逝
っ
たと連絡を受けた。
白い肌の彼女によく似合うだろうと、私が買
っ
たシ
ョ
ー
ルである。私が彼女の肩にまとわせた。彼女の温もりを閉じ込めるために。
その日、触れたそのシ
ョ
ー
ルは、もうす
っ
かり冷えていた。
まるで源氏物語の空蝉のように、彼女は一枚の布だけを残して私の元から去
っ
た。
「そうだ」
私はそれから生きる甲斐を失
っ
た。
「死のうと思
っ
たのに」
私はそれから死ぬことばかり考えていた。しかし、もう何十年も醜く生きた。悲しみはす
っ
かり癒えたはずなのに、私の奥底で蠢いていたのは青いシ
ョ
ー
ルの思い出であ
っ
た。
「あなたが記憶の奥底にず
っ
と閉じ込めていたせいで、捜し出せなか
っ
た」
「しかし、なぜ」
追いすがると彼女は優しく掌で私の手を包んだ。
シ
ョ
ー
ルをふわりまとう彼女は、私の記憶の中にあるままで、なお美しいのである。
「何故今にな
っ
て」
「あなたが記憶をもう一つ、忘れていら
っ
し
ゃ
るので思い出させるために」
「なにを
……
」
「今日は私の命日。あなたは、100の年までも必ず私の命日にお墓参りをすると言
っ
たではないですか。死ねばその約束を違えます」
だからまだ死なないで、と彼女は言
っ
た。
「それに今日、梅雨があけます。必ず青空が広がります、綺麗な青空。あなた昔、青空が好きだ
っ
たのをもうお忘れにな
っ
たの?」
雨は気がつけば勢いを失いつつあ
っ
た。温度と湿度が一度に上がり、肌にじ
っ
とりと水分が絡みつく。
「あなたに巣く
っ
たこの記憶は私が持
っ
ていきます」
シ
ョ
ー
ルにくるまれた彼女は、深々と頭を下げて、天に顔を向ける。
眩いばかりの笑顔であ
っ
た。
私は杖も傘も落として手を伸ばす。しかし彼女は唐突に消えた。もともとそこに、何も居なか
っ
たかのように。
同時に雨が止んだ。雲が音をたててわれていく。青空が顔を見せた。それはシ
ョ
ー
ルの青である。私が晴れた日を憎く思うのは、閉じ込めた記憶のせいか。
光が大地に注いだ。突如として蝉が鳴き始める。弾丸のように蝉が飛ぶ。私の足下に転がり落ちたのは乾いた空蝉。
「
……
ああ、妻は晴れ女であ
っ
た」
呟く私の影が長く伸びる。その背後に女の影が見えたがすぐに消えた。
煩く鳴く蝉の声を背に受けて、私は大急ぎに方向を変える。彼女の墓は、海を見下ろす山の中腹。静かな緑の中にある。
急げば、昼には着くはずだ。
……
だから、もう少しだけ生きてみよう。何十年かぶりに、私はそう思
っ
た。
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