【BNSK】月末品評会 in てきすとぽい season 4
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裏返しの感情
投稿時刻 : 2014.06.30 02:47 最終更新 : 2014.06.30 07:26
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- 2014/06/30 07:26:29
- 2014/06/30 02:47:57
裏返しの感情
ほげおちゃん


 父が行方不明になたのは、十年前のことだ。
 父は船乗りで、それこそ「あなたのお家は海の上ですか?」ていうぐらい、ずと海に出ていた。一年のうちニ月くらい、陸に戻てくる。僕の最初の記憶といえば、港だた。馬鹿みたいにカモメが鳴く青空の下、まるで都市の一部を切り取たような巨大なタンカーがすぐそこに横付けしていて。僕は母とふたりで手を繋いで、甲板やら港で忙しなく働く人々を見ていた。しばらくして、一際大きな声で叫びながら船から降りてくる人がいて、僕らはその人の行動に目を奪われていたら、ちい、と、こちらに向けて誤魔化しげに手を振た。母はそれで僕の手を握る力を少し強めて、きとあの人が僕の父なんだろうなあて。遠くだから少し分かりにくかたけど、背が高く体型はガチリ、よく日焼けしていて。僕は父のことをもとそばで見ていたのに、抱き上げられて高い高いされた記憶だてあるのに、僕の中の父といえば、なぜか遠くで見たあのときの姿だた。
 その父が突然、この世から姿を消したのだ。
 決して夜逃げなどをしたというわけじない。僕らの家には借金なんてなかたし、父と母の中は極めて良好であたように見えた(海外にいる父から手紙が届いたとき、母はとても嬉しそうにしていた)。ただ突然、太平洋の真ん中で、神隠しにあたかのように船ごと消失してしまたのだた。連日でニスになていた日々のことは、今でもよく覚えている。某国に丸ごと拉致されただとか、軍事機密の潜水艦に魚雷で沈められたとか……父の載ていた船は大型船だたから、これだけ科学が発達した時代に全く痕跡を残さず消えることなんてあり得ないて、数多の陰謀論が渦巻いたのだ。マスコミから僕らの家にも取材がきて、僕らは応じなかたけど、いつか港で見たことがある四十代くらいの女の人が、「誰でもいいから夫を返して」とブラウン管の中で涙ながらに何度も訴えていて。
 しばらくして、騒ぎは沈静化した。何月も行方が知れなかたから死亡扱いになり、一千万の保険金が出た。母はその頃から内職で十分なお金を稼いでいたので、家計が傾くなんてことは全くなく、どうせ父は一年のうちほとんどいないのだから、以前と何ら変わるところはなく。時々届いていた手紙が届かなくなただけで、それを境に母から幸せが抜け落ちてしまたこと以外は。
 何年かの間は、母と、それからあの後生まれた妹と一緒に、ときどき港へ海を眺めに行た。まさか父が帰てくるなんて思ていなかただろうけど、思いを馳せるように、昔の出来事を思い返すように……

「私ね、お母さんが死んでもきと泣かないと思うんだ」
 途中で落ち合て歩く学校の帰り道、隣で呟くように妹が言た。
「私あの人のこと、どうしても親だと思えないの」
「そんなこと言てミユ、俺たちが今こうして普通に暮らせているのは、お母さんが働いてくれているからなんだぜ?」
「分かてるよ」
 妹が拗ねるように鞄を後ろに回して、
「お母さんがお金を稼いでるおかげで、私たちは今こうして生きていられる。言われなくてもそれは分かてるし、感謝だてしてる。だけど感謝と愛情は違うの。分かるでし? 私があの人に、何か親らしいことをしてもらえたことてあた?」
 何も言い返せず黙ていると、妹は俯き、ボソと「機械みたい」と言た。
「ドラえもんの道具みたいにさ。お兄ちんがご飯をあげてね? 部屋の掃除とか、着替えを用意してあげたりとか、いろいろ身の回りの世話をするでし? するとそれを対価に『承知しました』て、文章翻訳の仕事をするの。お兄ちんが世話しないと、きとあの人死んじう。燃料切れのクルマみたいに動かなくなう。だからお兄ちんはね、生きるために世話をしているんだよ」
 妹はそれから僕の顔を覗き込むように少し前屈みになり、
「もしかして、怒た?」
「赤の他人だたら確実にブン殴てるよ」
 僕はその言葉を口にして、本当に苛立ていたのかもしれないと思た。
 どういう反応をするのだろうと妹を見つめ返したのだけど、妹は図たようにニヤリとして、
「ごめんね? お兄ちん」
 脇の下に腕を通してきて、
「私にとての家族は、お兄ちんだけなんだ。お父さんもお母さんもいないの。お兄ちんだけがね、我が家の正常。お兄ちんが死んだら世界が真暗になる。お兄ちんが死んだらきと泣いちう、というか、何のために生きればいいか分からなくなるよ」
 妹は今度は上目遣いにこちらを見上げ、こう言うのだた。
「お兄ちんは、もしお母さんが死んだら、きと泣くんだろうね」
「まあね」
 その答え方はおかしい、と妹は笑た。

 僕らがこうなた理由は分かていて、父が行方不明になたことだた。
 僕は父について愛情はほとんど持ていないけれど、父がいれば、きと母はこんな風になていなかただろうと思う。何より行方不明だたということが、今では多分死んでいるんだろうて実感しているけど、ゆくり、ゆくりとそれを実感していたということが、僕らを破壊するには十分だた。できれば血まみれだか溺死した死体を見て、思いきり泣ければ良かたのだ。理由は分かているのにどうしようもなくて、自分の中に灯る火がだんだん小さくなていく。昔はそのことが怖くて、止めようと必死になていたけれど、今ではそれが人生なんだと思うようになて。大人になるてこういうことを言うんだろう。僕の本質はほとんど変わてなくて、だけど少しずつ変わていく部分が、世界に対する僕の有り様を変えていく。

 午後七時、夕食の時間。
 僕はちうどシチを作り終えて、低反発クンを抱え、居間でごろりとなていた妹がのそりと起き上がてくる。食卓にはふたり分のシチ。僕と、妹の分だ。
 僕はもう一人分用意して、お盆に載せて二階に持て上がろうとする。
「そういうところがお兄ちんの駄目なところなんだと思う」と妹が言た。
 なんだて、と僕が振り向くと妹は呆れた顔をして、
「お兄ちんはお母さんを甘やかし過ぎだと思うの」
「甘やかし過ぎ?」
 妹はまるで、僕が母を飼ているかのように言う。
 妹は両手を食卓に乗せて、
「だてさあ。お兄ちんが食事を持ていく理由なんてないじない? せかく作てもらえているんだから、降りてこないと。お兄ちん優しいから、つけあがているんだよ」
「そんなことないだろ?」
「そんなことあるよ」
 妹が断定口調で言う。
 しかし僕の考えとしては、妹こそそんなことを言う筋合いがなかた。何故なら妹は同じ屋根の下に過ごしながら、ここ数年はまともに母と顔を合わせていないのだ。以前は廊下で母と出くわすと嫌そうな顔をしていたのだが、最近はそんな光景を見かけた記憶すらなく。まさか僕に隠れてコソリと会ていることはないだろう。だから妹は分かたように口をきいているが、言ていることは単なる想像に過ぎないのだ。
 僕はそれをどう伝えればよいか頭の中で文章を考えていたが、それよりも先に妹が言葉を続けた。
「お兄ちんはさ、お母さんに降りてきてほしくないの?」
「そり降りてきてほしいけど……
「じあさ、持ていかないほうがいいよ。お腹が空いたら降りてくるて。人間だたらさ」
 妹がその言葉を意図的に放たのかどうが。
 いずれにせよ、僕は待つことしかできなくなてしまた。
「いただきます」
 平然とした口調で妹が言う。

 ―*―*―*―

 妹が風呂から上がてきた。
「もう、お兄ちん。ソワソワしすぎ」
 開口一番、そう言た。
「は? 別に。ソワソワしてねえし」
「お兄ちんさあ。落ち着きがないとき少し口調変わるよね」
「は? そんなことねし」
 妹の指摘が事実なのかどうかは知らないが、落ち着きがなくなているのは事実だた。
 ずと食卓で待ているのだが、全く母が降りてくる気配がないのだ。
 一食抜いたところでまさか死にはしないだろうが、いつも通りに顔を合わせていない分、母の様子が心配になてくるのである。
「もう少し辛抱しなて。あの人少食だから、一食や二食抜いただけじ大して音を上げないかもしれない。お兄ちんの意思が勝つか、あの人が勝つか。チキンレースだよ」
 あわよくば妹は母を殺そうとしているんじないか。
 一瞬脳裏に浮かんだ雑念を必死で振り払い、壁掛け時計に目をやると、針は午後十時をとくに過ぎていた。
「お兄ちんも早くお風呂入れば?」
 妹が冷蔵庫から取てきたアイスクリームを口にしながら言て、
「あの人に付き合ていると、夜更かししちいそう。明日も学校なんだしさ……このままだとお兄ちんのほうが先にダウンしちうよ」
 軽口で言う妹には憤りを感じたが、かといて苛立ても何も良いことはない。

 結局夜は、ほとんど寝られなかた。
 部屋からは出なかたけど、外で音がしないかずと聞き耳を立てていて。
 母が降りてきた気配はなかた。時計の針のカチカチという音や、電化製品のジジジという音、外をときどき自動車が走る音。いつまでもその繰り返しで、このまま起きていたら朝は永遠に訪れないのではないか。だけどそのうち太陽の光がカーテンの隙間から差し込んで、不気味なほど清々しい朝がやてくるのだた。
 午前七時だ。僕は起き上がり、台所に向かう。
 僕がそこを離れた昨日から、誰も訪れた気配はなかた。昨日ラプしたシチに手を付けた気配はなかたし、その他冷蔵庫を触た形跡もない。インスタント麺やカプ麺の数も減ていなければ、お菓子だて。
 しばらくして、同じ部屋で寝ていた妹が眠気眼で起き上がてくる。
「お兄ちん、おはよ。お母さんは結局、まだ降りてきてないの?」
「俺、昨日の残り物持ていくよ」
 ラプしていたシチをレンジで温め直す。
 もしこのとき妹に悪く言われれば、僕は烈火の如く怒り狂ていただろう。しかし妹はぼんやりと僕を眺めて「うん」と頷いては、それ以上何も関わてくることはなかた。
 二階への階段を上がり、母の部屋の扉をノクする。
「お母さん、入るよ」
 返事があた試しがないので扉を開けると、ノートパソコンに向かてぼうとしている母の後ろ姿が見えた。
 まだ四十代なのに、後ろで束ねられた髪は白髪が目立ていて、見るからにやつれている。
 僕ははと息を飲んだ。少なくともここ数年はそんな母の姿は見たことがなくて、認めざるを得ないのだけど、やはり僕も母のことをマシーンみたいだと思ていた。ネトの翻訳サイトみたいに、文章を投げかければその翻訳結果が返てくる。感情がなく、一定の品質を保て。キーを叩いていない姿なんて、本当に一体いつ以来だろう。
 僕は慌てて隣に行きノートパソコンを押し退けて、そこにお盆を置く。
「昨日は持てこなくてごめん、お母さん」
 母は虚ろな目で一度ちらりとこちらを見ると、スプーンでシチに口付けた。ひどく痩せこけていて、一口飲むたびに喉がこくりとするのが分かる。乾いた体に潤いを取り戻すように。
 僕はまさか、一食抜いただけで母がこんなにもダメージを受けるとは思ていなかた。心の中ではどこか、この人なら食事を少し抜いても平気じないのかて、自分でも理解できない人のように思えていて。
「お母さん、ごめん」と僕はもう一度謝た。
「ミユがさ、俺がお母さんのこと甘やかし過ぎだて。お母さんが降りてくるまで待ておけばいいんじないかて。そんなことを言たんだよ。まあ俺も魔が差してさ、ちとやてやろうかて。完全な悪ふざけ」
 口に出した瞬間、自分はクズだと思た。
 誤魔化すように、笑い話にしようて口を開くたびに後悔が押し寄せて死にたくなる。
 僕は全く、そんなことが言いたいんじない。
 それなのに口を出る言葉は陳腐で、僕はどうすれば思いが伝わるのか、誰かに教えてほしい。そしてそれに適任なのは、幾つもの文章を訳して、きといろんな言葉を身に溜め込んでいるはずの母なのだ。だけど母はいつも一言も喋らなくて、僕はそれにやるせなさというか、切なさというか……
 母は隣から見ても錯覚かと思わせるくらい小刻みに口を動かすと、シチを食べ終え、カチリとスプーンを皿に置いた。
「どうして、一緒に食べないの?」
 お母さんに言た。
「ミユが言てたんだ。自分にとての家族は、本当の家族は俺しかいないて。お母さんはよくわからなくて、機械みたいだて言てた。否定しようと思たけど、俺もさ、否定できないだろ?!」
 やめろ、と心の中で自分が叫んでいた。
 僕には無理なのだ。自分の思いを正常に伝えるということが。
「俺お母さんのことさ、よくわかんないよ。そりお父さんのことはシクだてことは分かるけど、どうしてこんな風になたのかて。お母さんはミユのこと、愛してないの? 俺のことは? ねえ、どうなんだよ、ねえ!」
 何かを口にするたびに自分の思いと現実は乖離していて、僕は一方向でしか、愛していると分からないの両方があて、どちらでしか伝えることができなくて、何故自分はこうなんだと壁に頭を打ち付けたくなる。
 助けてくれよ。
 そのとき母の目が、少しだけ潤んだ。瞳がどこか知らない場所を探すように右往左往して、そこに感情が宿るのが。
 何か言いたげに口が開きかけて、僕はもしかしたらてその言葉を待つ。
 もしかしたら、もしかしたら――
 そして母の口が動いた。
……は?」
 意図せず漏れたのは、僕の間抜けな声だた。
 母の発した言葉が理解できなくて、しかし「ごめん」と口を動かしたのを最後に母は糸が切れたように僕の反対側に倒れこんで、そちらには、机に横付けされたベドがあた。完全に、身を投げてしまたのだ。
「お母さん?」
 呼んでみたけれど、返事はなかた。扇風機で乾かしたみたいに目が死んでいた。
 そのとき、僕の中で初めて殺意が芽生えた。ナイフで刺すとか猟奇的なんじなく、殴り飛ばし、蹴飛ばし、純粋な暴力でこの骨みたいな体を破壊してやりたいと思た。
 その衝動を抑えるのはとても難しくて、僕はまるで体内の循環器がおかしくなたかのように狂た呼吸をして、だけどずと、暴力の嵐が収まるまでじとしていると全てがどうでもよくなて、目の前の人物が母のようには思えなくなてしまた。これがどう生きようが、何をしようが、どうでもいい。
「お兄ちん、早くしないと学校に遅れるよ?」
 扉の向こうから妹の声が聞こえたので、僕はお盆を持てささと部屋を出た。

 五年後。
 僕が就職すると同時に、母は失踪した。
 父の元に行くという書き置きと、手をつけなかた保険金、これまで貯めたお金を置いて。
 妹が珍しく慌てていたけれど、僕はひどい裏切りだと思た。
 もしかしたらもう死んでいるのかもしれない。そう思ても、涙は出なかた。(完)
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