【BNSK】月末品評会 in てきすとぽい season 3
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Black Swan Song
投稿時刻 : 2014.05.31 22:38 最終更新 : 2014.06.01 02:46
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Black Swan Song
木下季花


 自分とそっくりの姿形を持つ人物が目の前にいたら、あなたはどう思うのだろうか。戸惑うだろうか。怖れるだろうか。見て見ぬふりをするだろうか。怯えて逃げるだろうか。サイコパスの様に、相手を殺そうとするのだろうか。あるいは仲良くなろうとするのだろうか。しかし、それらは全て、人間の反応として正解であるように私は思う。ドッペルゲンガーのごとき存在が目の前に居たら、誰だって正常ではいられないだろう。しかし、一卵性双生児として、自分とまったく同じ姿を持つ者同士として生まれた姉妹のそれぞれは、一体どう思うのか。あなたに想像がつくだろうか。姿形がまったく一緒の身内。物心ついた時にお互いの姿を見る姉妹。そして自分の姿を改めて鏡によって確認したそれぞれの女の子。彼女たちは一体全体どういう風に思うのか。私はその経験をしている。私と姉は、全く同じ顔と体型をしているのだ。そんな姉妹の片割れとして言わせてもらうと、私は容姿が同じ姉のことが心から大嫌いだった。幼いころは気にしなかった。しかし学校に通うようになってから、明らかな優劣が出始めてしまったのだ。成績。人間性。コミュニケーション能力。姿形以外の、明らかな能力の差というのが現れた。そして私はそれら全てで姉に劣ってしまっていた。姉は人気者で、私は双子のダメな方と言う扱いを受け続けてきた。自然と、その状況に陥った私は姉を疎ましく思うようになった。姉に対して強烈に嫉妬し、そして心から嫌うようになった。何で容姿が一緒なのにこれほどの差が出るのか。そして周りの者は何かと言うと、私と姉を比べ、私の不器用さを嘲った。姉をひたすらに誉め、私だけを馬鹿にした。容姿が一緒だと、どうしても比較対象として扱いやすいらしい。そんな周りからの扱いに耐えかねて、私は姉などいなくなってしまえばいいと常々思っていた。姉の方は私をどう思っていたのだろう。姉の事だから、私のことなど気にしていなかったかもしれない。私をいないものとして見ていたかもしれない。あるいは私をいいカモと見ていたか。結局いくら考えたって、私には姉の心など分からない。同じ姿であっても、他人であるからだ。皆は双子の姉妹がよくテレビで扱われているように、お互いの心の内が読めるように思っている節があるのだが、一卵性双生児の双子であるからと言って、私には姉の考えることなど分からない。着る服だって違うし、聴く音楽だって違うし、男の趣味だって違うし、姉はただ遺伝子を共有する他人に過ぎない。ここまで性格の違う双子がいるのも結構珍しいことではあるらしいのだが。
 さて、最初の問いについて答えてみよう。もし私たち姉妹が全くの他人だったとして、お互いに街中で出会ってしまったのなら。私は、そのドッペルゲンガーのごとき人物を二度見し、怯えたように後ずさるか、あるいは見て見ぬふりをして、走り去って逃げることだろう。
 本当にそうできればいいのだけれど。しかし自分で答えておきながら、その想像をすることにまったく意味など無かった。それは不毛な仮定でしかない。私たちはどうあがいても、生まれた時から一緒に過ごしている家族だ。そして同じ遺伝子を持つ姉妹なのだ。故に、その結びつきは簡単には解けない。だから、私は死んだように生きるしかなかった。何故なら私は姉よりも劣っているのだから。

「それじゃあ行ってきます」
 姉はいつも朝の六時五十分ぐらいに家を出る。テニス部の朝練に出るためだ。高校に入っても真面目に運動を続けるなど私には信じられない。そして一緒の高校に通っていると言うことも。
 そもそも、私は姉とは違う高校に行くはずだったのだ。しかし勉強が出来ない私にとって、入れる高校の選択肢は限られていた。その少ない選択肢の中でもなんとか偏差値的にマシな高校に入った。入ることが出来た。物凄く勉強したのだ。必死に勉強して、何とか自分のプライドは保てるレベルの高校に入ることが出来た。これで姉と比べられる生活ともおさらばだと思って、私は狂喜乱舞したのを覚えている。そんな喜びに浸っている時に、姉が無慈悲にも両親と私に告げたのだ。「私も由希ちゃんと一緒の高校行くよ! 心配だからね。由希ちゃんは私がいないと何にもできないんだもん」。そのわけの分からぬ理屈を通して、私のいる高校に入ってきやがった。受かっていた県内偏差値トップの高校を蹴って。そして私が通うことになった高校の特待生として、海外進学コースと言うエリートしか入れないクラスに入りやがった。姉はどうせチヤホヤされたいだけなのだ。偏差値トップの高校を受験したのだって、ただ勉強が出来る事を見せつけたかっただけだろうし。いつもみたいに優越感に浸るべく、偏差値トップの高校を蹴って、妹の為に私立の高校に入った素晴らしい家族思いの姉としてデビューしたいだけなのだ。そして姉は私のいる高校で、劣っている私を踏み台にして、人気を得るためのダシに使い、高校生活においても周りのアイドルになろうとしている。面倒見のいい優秀な姉。人当たりの良い美人。妹と違って優しい姉。そのような評価を得るために。そうだ。きっとそうに決まっている。ああ、本当にいい加減に私から離れてくれないかと思う。これ以上、私を惨めな気持ちにさせないでくれ。あなたは優秀なんだから、自分一人でやっていけるはずだ。私なんかに構わずに、あなたはあなたの人生を送ってくれ。私はもう、双子として比べられるのは嫌なんだ。そんな暗い気持ちを思い返しながら、私はもそもそと朝ごはんを食べ、憂鬱な気分で朝のワイドショーの占いを見、そしてぎりぎりの時間を目指して学校へ向かった。

 一か月前に始まった高校生活にて、私には一人だけ友人と呼べる存在が居た。
 その子の名前は永沢加奈。クラスで一番成績が悪く、万引きなどの軽犯罪を私に自慢したり、援助交際などもしたり(クラス内ではあくまで噂レベルだったが、友人である私は彼女が本当にそれをしているのを知っている)、嫌いな先生を平手で叩いて入学早々に三日間の停学処分を受けたり、髪を染めていつも校門で注意されていたりと、まったくもってアウトローな子だった。それが私の唯一の友人だ。そんな社会的に迷惑をかけている彼女が、どうして私立の学校へ来られたのかと問えば、親が金持ちであり、入れるのがここくらいしかなかったから、と言う事だった。金の力はすごい。世の中、結局は金で何とかなる。もちろんそれは彼女の力じゃないけれど。
 彼女と出会ったのは入学式の日だった。入学式が終わってクラスに向かう途中、私は誰にも話しかける事が出来ず、ずっと辺りを窺いながら歩いていた。そうしたら周りの平凡然とした女子どもには目もくれず、加奈が私の元へやってきて、話しかけてきたのだ。「同じクラスだよね、よろしく」と。
 私はびっくりして、どうして私に声を掛けたの? と思わず訊ねてしまった。
 加奈は笑いながら、「なんだか世の中のすべてを呪ってそうな目が、好意を持った」と答えた。私はその時、どう反応したらいいのか分からず曖昧に笑ってしまった。
 そんなに世の中を呪ってそうな目をしているのか、私は。少しショックだった。が、友人らしき人物が出来たのは嬉しかった。なにしろ今まで私は孤独だったのだ。
 それから私たちはお互いに会話を交わすようになり、親友になった。

 始業五分前くらいに教室に着くと、加奈が私の席に座って何やら本を読んでいるのが見えた。周りの生徒は彼女と目を合わさないようにしている。遠巻きに小声で悪態をついている女子も少なからずいた。が、加奈はそのような人物の事は端から気にしていないようだった。以前、ヒソヒソと加奈の悪口を言う奴のことを告げ口した時に、加奈自身は「あいつらはさ、自分が正しい人物だって周りにアピールしたいだけなんだよ。群れからはぐれないようにさ。私みたいな異端なやつを罵ることで、自分たちは正常であり、正しい感覚を持ってる人物ですってアピールしてんだよね。そういう人って、友達とかは作れるけど、結局社会において、みんなと同じように生きる事しか出来ないんだと思うよ」と言っていた。みんなと同じように生きられるだけでも素晴らしいと私は思ったのだが、加奈としてはみんなと同じように生きるのは嫌なようだった。だから強く、孤高に生きている。自分からその立場に立っている。そこが私とは違うところだった。
「おはよう」
 私がそう言うと、加奈は読んでいたファッション雑誌から視線をあげて「おお、ユッキー。おは」と明るい声で言った。ムラのない金色に染められた髪が、微かな風になびいている。
「今日は遅刻しないんだ?」
 私がそう言うと、手慰みに雑誌のページを手繰りながら加奈は答えた。
「ああ、寝不足だったからさー、昨日は早めに寝たんだよねー。そしたら早く目が覚めちゃった。一昨日はバイトの所為であまり眠れなかったし」
 加奈の言うバイトとは、援助交際の事だ。加奈は月に三度ほど援助交際をして、九万円ほどを稼ぐ。今時援助交際をする子なんて居るの? と以前に聞いたら、意外に援助交際をする子は多いのだと言う。そしてその中の大半は、遊び感覚でやる、セックスが好きな子が多いのだとか。私にはわからない世界だったが、しかし惹かれる部分もなくはなかった。姉が優等生であるなら、自分はとことん堕ちてしまいたいという誘惑に駆られることもある。悪いことをして、姉ごと私たちの評判を引き下げてしまいたい。そう願うこともある。

 姉は休み時間になると、よく『由希ちゃんの様子を見に来たよ』と言いながら教室にやってくる。最初の頃は、私たちが双子だと言うことに、クラスの皆が食いついた。同じ顔を持っていることに。そして次に、姉が私と違って明るく社交的な性格で、皆を楽しませる会話が出来る人物だと言うことに皆が気付き、そして姉とだけ仲良くし始める。そして私は、クラスの皆からも、姉とは違って暗い性格で、勉強も出来ず、頼まれたことすら上手くこなせない、劣った人間だという評価を与えられる。私にはそれが辛かった。
 加奈は私たちを見て、「へぇー。顔が一緒の双子を見るのって初めてだよ」と私たちを見比べて笑い、それからすぐに姉に興味を失くして、私と会話をし始めた。加奈は姉に一切の興味を抱かないようだった。その事に姉は少なからずのショックを受けたのか、積極的に加奈に声を掛け続けたのだが、加奈は鬱陶しそうにするだけで、姉との会話は膨らまなかった。その事について、どうして姉に興味を引かれないのかと聞いたところ「由希の方が話してて面白いし、なんかあんな感じのさ、みんなに好かれてるやつって苦手なんだよ。理由どうこうじゃなくて。生理的にダメ」と話した。
 姉は悔しかったのか、よく私の教室に来て、私たちの会話に交ざり、加奈の気を引こうとしている。様々な知識を披露し、加奈の興味のありそうな話題を繰り出すのだが、加奈は姉をほとんど見ない。冷たくあしらう。その事が少し、いい気味だ、と思った。あなたにも思い通りにならないことがあるのだと、私は姉に言いたいような気持になった。私の唯一の味方が、私と同じ人物を嫌っていることに、嬉しさも感じていた。
 姉は加奈の事を諦めたようだった。
 だが、姉の攻撃はここで終わることはなかった。
 姉は教室に訪れる度に、私のクラスメートに、私の過去の失敗談を吹聴して回り始めた。
「あのね、あの子はよく失敗をしてしまうの。例えば遠足の時に一人だけお弁当を忘れてしまって、私のを半分食べさせてあげたり。国語の作文発表会の時に、一人だけ何も言えなくて泣いてしまったり、いじめられてトイレに閉じ込められて水を掛けられたり、お母さんの大事にしていた装飾品をお菓子と間違えて食べちゃって、病院に行ったり、だからあの子の面倒をしっかり見てあげてね。あの子は何もできない子だから」
 その様に、面倒見のいい天然な姉を演じて、私の悪いイメージを周囲に植え付ける。姉はそのような自然な精神攻撃に長けている。そこが私には悔しいのだ。一体、なぜ姉は私を攻撃し続けるのだろうか。いい加減にしてほしい。まさか、本当に天然ボケで、私を心配するあまりにこのような事になってしまうのか。いや、そんなことはないはずだ。私は過去に何万回と言ってきた。私の事を放っておいてくれ。姉がすることによって、私は物凄く傷ついているのだ、と。だが姉は軽く笑って「分かった」とはいうものの、それを止めることはない。姉は、私が周囲から拒絶されることを見ているのが楽しくて仕方ないのだ。

 ゴールデンウィークが過ぎて二週間近くがたった頃。
 中間テストが終わり、午後の時間が丸々開いた日に、加奈が遊びに誘ってきた。
「ちょっと私に付き合ってよ」
 もちろん放課後に町へ遊びに行くことは多々あったが、その日はそのまま制服ではなく、私服を着て遊びに行こうと言うことになった。たまに加奈の遊び友達が来たりすることもあり、加奈と町へ行くのは楽しかった。誰も私の事を馬鹿にしたりしないし、人から疎まれている人間、集団に交じわれないマイナーな人間に、彼女たちは優しかった。だから、私は私服に着替えてから、駅前で加奈と待ち合わせをし、出かけることにした。
 加奈とやってきたのは、駅ビルの中にある香水店だった。ティーン向けの安価な商品から、OL向け、主婦向けの少し高価なブランド物も売っている店だった。店に入ると、私たちと同様に、テスト明けの少女たちで店は賑わいを見せていた。
「ユッキーは香水とか付ける?」
「私は付けたことないな。こういう店に来るのも初めてだし」
「そうなんだ。じゃあ、私がお勧めを選んであげるよ」
 そう言って彼女はいくつかの棚を見、サンプルの香りを嗅いだりしながら、一つの商品を選んだ。
「これがいいと思うよ」
 そう言って彼女が選んだのは、ピンク色の可愛らしい小瓶の香水だった。値段を見てみたが、千七百円と言う値段で、月に七千円のお小遣の私にとっては少し痛い出費だったが、せっかく加奈が選んだ物だから買ってみようと思った。が、加奈は私に買わせるつもりはない様だった。加奈は辺りの様子を窺い、それから私に微笑みかけて、何気ない仕草で、全くもって自然に、その小瓶の入ったプラスチックの箱を己の鞄の中に入れた。それを見た私の方が却って焦ってしまい、挙動不審に辺りを眺めながら、小声で加奈に耳打ちをした。
「ま、万引きするの?」
「そうだよ。だって出来そうだったし」
「いや、でも」
「ふふ、ビビりすぎだって。こんなの捕まったって大したことないし。一度くらいこういうことしないと、駄目だよ。健全に生きている人間なんて、何の面白みもない。まっとうな意見を述べる、誰もが予想できることしか話さないロボットになってもつまらないでしょ。ユッキーは、もっと私と一緒に駄目になってほしいな。その方が素敵だから」
 その言葉に、私は二の句が継げなかった。確かに私の願望として駄目になってしまいたいと言うのはあった。自分は駄目になっていくことが合っていると考えていた。その方が自然でいられるような気がすると。
「私も、じゃあ、やる」
 いつの間にか、私は自然とそう口にしていた。自分は常に、姉とは正反対の方へ行こうとしていた。それは昔からの癖のようなものだった。姉が上手い絵を描けば、自分はわざと下手に描いた。姉がおいしい料理を作れば、私はわざと調味料の配合を間違えた。姉が好きになった人は、どんな人であろうと嫌いになろうとした。姉が称賛される人であるのなら、私は暗い世界で生きる人間になりたかった。姉が清純に生きようとするのなら、私は汚い生き方をしたかった。何故なのだろう。私は姉と同じになりたくないのだと思う。生理的な嫌悪と言うよりは、自分と同じ形をした人と、同じように生きてしまえば、それはもう私と言う存在が居なくなることを意味するような気がしたのだ。私の個性など、もう無くなってしまいそうな気がしたのだ。双子だからこそ、私は姉とは違うように生きたかった。だって姉と同じようになってしまえば、私が存在する意味など無い。ただの互換品になってしまう。その事を私は恐れているのだろうか。私と言う個性を、社会に示したいのだろうか。それがたとえ汚いものであったとしても。
 私はそうして故意に、姉とは違う方向を歩んできた。
「本当に? 嫌ならいいんだよ?」
 加奈は私の決意を確かめるように、尋ねてきた。しかし、私の決意は固まっていた。
「やる。もっと汚くなってしまいたい。黒くなってしまいたい」

 そうして私はどんどん堕落していった。
 加奈と出かけては万引きを繰り返した。姉の黒髪に反するように、私は脱色した髪色にした。加奈と一緒に援助交際をするようになった。どんどん私の心は黒く染まり、私の心はそれに慣れ、反社会的な事をしても、心は痛まなくなった。とにかく自分として生きていたかった。毎日自分と同じ顔を見ることにうんざりしていた。姉と同じにはなりたくなかった。だから彼女が上を目指すなら、私はどんどん下へ降りていこうと思った。
 母親はそんな私を見て、とても口喧しく言ってきた。私は全てを無視した。やがて母親の口数は減り、面倒くさくなったのか、私に目を向けることはほとんどなくなった。父も私を叱ったことがあったが、父のメールフォルダにあった女性とのやり取り(恐らく浮気だろう)をほのめかした瞬間、父は私に強く言うことはなくなった。姉はと言えば、取り繕うように、心配そうな様子で私に接してきた。
「由希ちゃん。そんなことしちゃ駄目だよ。ねえ、お願いだから真面目に生活しよう? もし私が悪い事したなら謝るから」
 とても嘘くさい科白だと思った。こんなのが自分と同じ遺伝子を持つ人間なのかと、悲しくなってくる。彼女はただ、妹を心配しているふりをしているだけだ。演技をしているんだ。でも、他人にはそれが見抜けない。
 私は姉とは全く別の人間になった。それが嬉しかった。姉とは違う方向に向かう事だけが、私のほとんど唯一の生きがいと言ってもよかった。

 中学生の頃、幾度か姉の真似をしたことがある。
 日曜日に、姉は友人と遊びに行く約束をしていた。だが当日になって姉は風邪を引いてしまい、遊びに行けなくなった。
「お願い、由希ちゃん。皆に断りの電話をかけておいて」
 当時私たちは携帯電話を持っていなかった。親が厳しい人だったので、持つことを禁止されていた。そのため、姉は私に断りの電話を頼んだのだ。ようは自分の人脈を見せつけたかったのだろう。私にとって、仲良くない人物に電話をすると言うのがどんなに心苦しく緊張するかというのが、姉には分からないのだ。と一瞬考えたが、しかし姉は分かっていて、わざと私に電話をかけさせたのかもしれないとも思った。私は悔しさを感じた。何で姉の為に、姉の友人に電話をしなきゃいけないんだ。どうせ冷たい態度であしらわれるに決まっている。私が代わりに誘われるわけなど無いのだ。
 と、その時、何故か不思議なアイデアが浮かんできた。姉の代わりに私が行ったらどうなるのだろう。完璧に姉の真似をして、姉を演じたのなら、皆は気づくのだろうか。私はその思いつきに、妙に心が躍った。それは危険な賭けであったが、私は実行せずにはいられなかった。待ち合わせ場所は、昨日の夕食時に姉が自慢するように話していたのを覚えているから、そこへ向かえば大丈夫だろう。私は姉が着そうな服を着て、姉がしそうな薄い化粧を施し、姉がいつもしているハーフアップの髪型にし、鏡の前で姉が見せるような笑顔を作った。それは完璧に姉に似ていた。と言うよりも、姉本人が映っているようだった。私は早速、その待ち合わせ場所に向かった。
 結果から言えば、誰も微塵も疑うことなく、私を姉だと思い込んでいた。もちろん会話の齟齬がある事にはあったが(いつも話している話題や、好きな人の事、先日話した話題等)、しかし姉の天然ぶりを装いながらとぼければ、相手は簡単に信じた。私は、振舞おうと思えば、なろうと思えば、簡単に姉と同じ立場に立てるのだろうと思った。姉のように笑い、姉のようにみんなに気を遣い、姉のように皆を楽しませ、姉のように勉強を頑張り、姉のように恋をする。それは恐らく簡単にできるのだろうと思った。だってそれは、私が考え付いた行動のうちの一つと同じことなのだから。姉のやろうとすることは、私にも浮かんでくる思考のうちのひとつなのだから。だが私はその行動をしない。私はあえて裏を行った。姉と同じことをしても姉と同じ人物になってしまう。それが嫌なのだ。
 それから数日が経ち、姉の友人たちが「日曜日に行った映画楽しかったよね」という話を姉にした時に、姉は直感的に私が代わりを演じたのだと気付いたはずだった。しかし姉は何も言わなかった。咎めも感謝もしなかった。恐らく姉も、私が姉と全く同じことを出来る事を知っているのだ。だが、それと同時に今回の事が、私の単なる遊びに過ぎないと言うことも理解しているはずだ。だって私たちは同じ遺伝子を持つ双子なのだ。お互いの心は分からないが、考え方の大まかな傾向は分かる。恐らく私が先に生まれたなら、姉の様になっていただろうし、姉と同じように人気者になろうとしただろう。
 その他に、気まぐれに姉と同様に上手い絵を描いたことがあった。美術の時間に描いたコンクール用の絵だ。姉が風景や人物を詳細に書こうとする絵なのを知っているから、私は反対に、空間や人物を曖昧に描き、人々に緩やかなイメージを想起させる絵を描いた。図書館で見た、姉が好みそうにない印象派の絵を模倣した。そうしたら私の絵が大賞を取り、姉の絵は特別賞を取った。私が勝ってしまったのだ。その発表を知った時の姉の鬼のような形相を私は覚えている。目が吊り上り、私を一瞬だけ睨み、叫びだしそうな口をした。あれこそが、姉の真の姿だと思った。私はしかし、それ以降、姉の立場を壊そうとしたり邪魔したりするようなことはしなかった。魅力を感じなかったのだ。姉の持っているものに。私は一切の魅力を感じない。だから、私は能力面を姉に引渡し、自分はアウトローな世界で生きようと決めたのだ。

 思えば結局、私だって演技をしているだけなのだ。勉強が出来ないのだって、コミュニケーション能力がないのだって、手先が不器用なのだって、全て演技だ。でも全て素のままに生きたら、私は姉と同じになってしまう。面倒くさい。何で私たちは双子として生まれてきたのだろう。一つの確固たる存在として生まれてこなかったのだろう。もちろん世の中には、こんな問題を抱えた双子などほとんどいないのだろうが、しかし私は双子としてこんな思いをするなどもう嫌だった。オンリーワンで生きたかった。素のままで生きたかった。私と同じような人物がいると言うだけでうんざりだった。
 姉を汚してしまったらどうだろう。私が姉のふりをして、万引きや援助交際を繰り返せば、姉の評判は落ちるような気がしたが、そんな事、通用するはずがなかった。いずれ私がやったとバレるし、そもそもそんなことをしたって、私の苦しみの本質は解消されるわけではない。姉がいなければ、と考えてしまう。奴がいなくなれば、私は自由に歩ける。姉をいっそのこと殺してしまおうか。だけれど、姉を殺すと言うことは、自分を殺してしまうのと同じだった。私と同じ遺伝子を持った人を殺すと言うことは、すなわち自殺のようなものだ。まったく我ながら面倒くさい考え方をするものだ。これじゃあいつまでたっても堂々巡りだ。
 私はこうやって自己に囚われていき、やがて外に出るのが面倒くさくなり、部屋に引きこもることになった。学校へ行かなくなり、自室でパソコンばかりするようになった。これでいい。姉とは違うんだから。これでいいんだ。私はどんどん駄目な方へ堕ちていくのだ。

 私は日がな一日中、パソコンばかりをしていた。
 パソコンで一番ハマったのは、素のままの自分で、知らない人とチャットをすることだった。姉の事を考えず、姉の逆をするという発想から解き放たれて、チャットをするのは安らかに楽しめた。
 ネットの友達募集の掲示板を見、趣味が合いそうな人を見つけ、スカイプを使ってチャットをする。そこで何人かの友人が出来ていた。
 そういえば、いつの間にか加奈とは会わなくなっていた。引き篭もるようになってから何の連絡もないし、私からも連絡をしていない。恐らく彼女は別の友人を作り、別の人間を堕落の道へ引きずり込んでいるのだろう。
チャットの中の私は明るかった。テレビ電話を使って話すことはしなかったが、文章だけで人と通じ合えると言うのは、思っていた以上に楽しいことだった。
 私は、『レノ』という自称男性の人とチャットをすることが多かった。彼は聞き上手だった。最初は私も警戒して、自分の事は話さなかったのだが、彼は相談に乗るのが上手かった。いつの間にか私は自分の境遇、悩み、葛藤などを徐々に話すようになっていた。
「つまりさ、自己嫌悪みたいなものだよね」
 ある日、レノはそう言った。
「人間の中にはさ、ほんの小さいときから強い自己嫌悪を感じる子供って言うのがいるんだ。普通ならそういうのって、もちろん自分自身に対して嫌い、恥ずかしいって感じるんだろうけれど。でも君にとっては、目の前にまさに自分と同じ、自分とそっくりな存在が居た。だから君の自己嫌悪は、そのお姉さんに向かったんじゃないかな。つまり本来自分に向けるはずだった自己嫌悪を、自分に向けるより先に目につく、自分と同じ存在であるお姉さんに向けてしまった。自分と同じ思考をする姉を嫌うことで、自己嫌悪を補完し、自分は姉の逆を行くようにする。そうやって君の思考は作られていったんだと思うよ。って、まあ、あくまで僕の推測にすぎないけれどさ。でも、そうだねえ。そうなると、君が抱える問題の解決方法と言ったら、やっぱりお姉さんと離れて暮らすぐらいしかないんじゃないかなあ。大人になれば、思春期の自己嫌悪というのも徐々に和らいでいくように思うし。ごめんね、それくらいの無責任な事しか言えないけれど」
 レノはそう分析してくれた。そこには納得できるものがあるような気がし、私は感謝を告げた。
「いえ、でも、こうして相談に乗ってもらえる事だけでも嬉しいです。今までこういう話をできる人っていなかったから」
「まあ俺なんかでよかったらいつでも相談にのるよ」
 そのようにして、私は夜中、仕事が終わった後の彼とチャットをするのが楽しみになっていた。もちろん毎日ではなく、彼がスカイプにログインした時だけだったが、今の私の生活の中で、彼との会話だけが私の生きる目的となっていた。

 一ヶ月近く、彼とのチャットを経た後で、私はリアルで彼と会うことになった。提案してきたのは向こうだった。
「ちょっと君と実際に会って話してみたいな」
 その言葉に私は何となくOKを出した。もし相手が性行目的(あるいは援助交際)であっても、イケメンや金持ちならOKだし、ブサイクだった場合は断って、人気のない場所に行かなければいい。真面目な人ならそれでよし。とりあえず私は彼に返事をし、会うことになった。
彼が住んでいるのは神奈川県の鎌倉だった。静岡の東部に住んでいる私にとっては行けない距離ではなかったが、少し遠かった。その事を告げると、彼が私の住んでいる近くの町まで来てくれることになった。私たちはその町で会うことにした。
 待ち合わせ場所に指定したのは、私が住んでいる町から電車で五駅離れたターミナル駅の前だった。もしレノが危険な思考の持ち主で、私をストーカーしたり、私の家を探ろうとしているのだったら、あまり私の家の近くに場所を指定しない方がいいと思ったのだ。

 待ち合わせ当日になり、私は地元の駅から電車に乗って、その町へと向かった。思えば高校を休むようになってから、電車に乗るのも久しぶりだった。平日の昼間であるために、車両はどこも空いていた。空席が目立ち、子連れの主婦や老人などがぽつぽつと座り、静かで穏やかな空気がそこに満ちていた。まどろみのような、黄昏のような、何とも言えない空気が車内に流れ、午後の日が射す黄金色の町の風景が、車窓を流れていくのが目に映った。
 私の目の前には親子が座っていた。大人しそうな印象の母親と、その隣には目を瞑っている少女がいた。少女は可愛らしい服装と見た目をしていた。紺のチュニックのワンピースを着、下は白黒ボーダーのパンツを穿いており、頭には可愛らしいリボンが付いたペーパーハットをかぶっている。そんな少女は目を瞑りながらも、しかし眠っていると言うわけではないようで、脚をぶらぶらとさせながら、辺りをきょろきょろと見回し、車内で起こるいろいろな音に反応している様子だ。恐らく少女は、目が見えないのだろうと私は思った。そんな盲目の少女はしかし、暗い表情は一切していなかった。楽しそうに笑顔を見せ、落ち着きなくきらきらとした表情で座っている。その光景は何やら微笑ましかった。はしゃぐように動く彼女に向かって、お母さんは「落ち着きなさい。危ないから」と言うが、しかし盲目の少女は、椅子のクッション部分を手で撫でたり、ガラスをべたりと触ったりなど、この世にある感触を楽しむことに夢中だった。母親もその様子を見て、微笑みながら、ため息を吐いた。その光景は、見ている者の心を癒すほどに優しいものだった。その光景を見ている時、ふとした瞬間、私のスマートフォンの着信音が鳴ってしまった。恐らくレノが待ち合わせ場所に着いたのだろう。
 目の前の少女は、私のスマホの着信音に反応したようだった。私はこの子の楽しみを邪魔したような気持になって、マナーモードにしていなかったことを後悔した。しかし少女は、私を見て何故か、笑顔で手を振ってくれたのだった。まだ小学校に入学するかしないかぐらいの年の子だろう、少女は真っ暗な世界にあっても、目の前にいる誰かに笑顔で手を振ることが出来るのだ。その事に私は驚き、そして強い子なのだと思った。決して少女には見えていないはずなのに、彼女は私と言う人間に気が付き、そればかりか笑顔で手まで振ってくれたのだ。私はそんな少女の優しさに、何故だかわからないが、感動してしまった。その笑顔で手を振る盲目の少女の姿が可愛く、とても奇麗なように見えて、ふと涙が零れそうになった。自分はこんなに感傷的な人間だっただろうか。しかし、こんな幸せな光景と言うのは、思い返せば自分はあまり見たことがないような気がした。目の前にいる盲目の彼女は鼻水を垂らし、この世の全てが楽しくて仕方がないと言う様子で、私を見、その楽しさを分け与えるように、笑顔で手を振ってくれた。私と言う一人の人間に気づいてくれた。目が見えないと言うハンデ、いや、私たちがハンデだと思い込んでいるそれとは関係なく、純粋に世界を楽しみ、綺麗な心を持ってこの少女は生きていた。この少女を見て、私は、心が浄化されていくような気持ちがしたのだった。この子みたいに、純粋な心で、美しく生きてみたい。その言葉が自然とわき上がり、そして今までの自分が恥ずかしく感じられて仕方なかった。目の前の少女の様に、飾りのない美しさで生きていきたい。暗闇の世界であっても、色々なことが楽しめるこの子みたいに、強く綺麗に生きたい。私は思わず、そう願っていた。何故私にこんな光景が訪れたのだろう。何故こんなに目の前の親子に惹きつけられるのだろうか。それはまるで奇跡みたいに思った。自分とは全く関係ないはずなのに。盲目の少女が鼻を垂らしながら楽しそうに私に手を振ってくれただけなのに、その光景は圧倒的に強くて美しかった。なんて優しくて奇麗なんだろう! 午後の光に包まれている盲目の少女と母親は、一枚の絵画の様だった。
 私は、その少女に勇気づけられるように、その少女と母親と、その二人の光景に励まされるように、自分は自分として強く生きていけばいいじゃないと、強く思った。私の悩んでいたことが、とてもとてもとてもとてもとてもとてもとってもちっぽけでくだらないことに思えて仕方がなかった。私は大きな病を抱えながらも楽しげに生きるこの子の様に、純粋な心で生きると心に誓った。この少女は、私に希望のようなものを与え、私はそれを見て、なんとか死ぬ寸前で踏みとどまったようにして、生きていけるような気持がしたのだ。そして私も、誰かにとってそのような存在になってみたいと、自然と、そのように思う事が出来た。たとえ障害を抱えようと、誰かに笑顔で手を振って、悩んでいる人の気持ちを吹き飛ばせるような、そんな力強い生を感じさせるような女の子に……。

 ターミナル駅構内は、大勢の人で込み合っていた。ここは大きなビルがあり、たくさんの路線を繋ぐ駅であるために、その利用者はとても多い。私は混雑した人の流れに乗りながら改札を出て、汚らしい階段を上り、待ち合わせ場所に向かった。
レノは黒のワイシャツに、ベージュのチノパンを穿いているらしい。眼鏡をかけ、髪は黒のツーブロック、身長は百七十五センチほどで細身。駅前ロータリーの噴水にいると言う。情報と一致する男を探すと、確かにそのような人物が噴水前にいるのが分かった。私が近づくと、向こうもこちらを見る。少し怯えながら、レノさんですか。と声を掛けると、彼は一瞬だけ驚いたような顔をし、それからすぐ安心させるような笑みを見せて、うん、レノです。ロップイヤーさんでしょ、と言った。私も頷き返して笑みを見せた。姉を知らない他人であると、どうやら私は素のままで笑顔を見せられるようだった。そしてレノは、想像していたよりも、爽やかで清潔感のある男だった、年は二十代半ばあたりだろうか。
とりあえず私たちは、話をするために、近場のカフェに入ることにしたのだった。

 カフェで話していくうちに、彼は私とセックスがしたいのだということが、はっきりと感じ取れた。私はもうどうでもよくなり、自らセックスを持ちかけて、彼を誘った。男など全部くだらない生き物だと思った。性欲をコントロールできないただの醜い犬だ。そうして私たちは夜になってからホテルへ行き、セックスをすることになった。
 私がベッドに倒れると、彼は私を獣のように突いた。まるでこの時だけを待っていたと言う風に。この女を犯すことだけが楽しみだったと言う風に。そしてセックスが終わると彼は唐突に言った。
「お前さ、何でそんなに嫌われてるの?」
 私はどういう事か分からずに彼に訊ねた。
「いや、俺はさ、お前の姉から頼まれたんだよ。お前を騙してほしいって。双子の妹がいるから、そいつとのセックスを隠し撮りしてほしいって」
 私はその事実を聞かされて驚いた。姉はよほど私が嫌いなのだろう。私が姉を嫌っているのと同様に、姉もまた自分とよく似た私と言う存在を嫌っていたのだろう。
「でもさ、やる気なくすぜ。俺とお前の姉は付き合ってるんだけどさ、いざお前とチャットをしてみれば、まったく姉と同じような文章を書いてくるんだもん。で、今日実際に会ったら顔や雰囲気までまったく一緒で、もちろん髪色が違ったから区別はつくけどさ、本当に驚いたんだ。で、第三者の俺からすれば、そんな恋人と全く同じに見える女の子を、騙すなんてできないわけだ。でも君らからすれば、お互いは全く別の人間であり、周りからもそう見られたいと思っているわけだろ。なかなか面倒くさいよな。今日は悪かったよ。でもさ、俺が言うのもなんだけど、チャットとかでホイホイ男の誘いに乗らない方がいいぜ。危ない奴ばかりだから」
 本当にお前が言うな、と私は思った。何故姉はこんなクズと付き合っているのだろう。というか、このクズは多分、姉に利用されただけだ。恐らく私を地獄へ突き落すために姉が用意した駒に過ぎないだろう。姉がこの男に近寄り、恋人という甘い関係を提供して、それでこの男を操っていたのだ。姉は容赦なく私を壊そうとしている。私はその事が怖く、そして空しくなった。お互いがオンリーワンとして生きるために、何故ここまでしなければならないのだろうか。私はもう、うんざりだった。彼女から離れて生きたいと思った。私は目の前の男に平手打ちをくらわせて、「楽しかったよ、クソ野郎」と言ってからホテルを出た。自分は醜いと思った。何でこんな醜く生きているのだろうと思った。

 家に帰って、私は姉と話すことを決めた。思えば姉と面と向かって話すのは一ヶ月ぶりだった。そして姉の部屋に行こうとするのなんて、小学生の時以来、実に七年ぶりだった。
 姉の部屋をノックすると、姉は明るい声で返事をした。私は遠慮なく彼女の部屋に入る。
「おかえり」
 私を見て姉はそう言った。私にクズを嗾けたくせに、姉は何も知らないと言う様子で、笑顔を見せるのだ。私はこんなやつと同じ遺伝子を持っている事にうんざりだった。自分がこうなっていた可能性を考えるだけでもうんざりだった。
「私のセックスの様子を隠し撮りさせようとしたんだって?」
「えー何のこと?」
「とぼけてんじゃねえぞ。クソ女」
「わかんないなー。由希ちゃん何言ってるの?」
「あのクソ男が全部洗いざらい吐いたんだよ。ボイスレコーダーにも録ってある」
「へえー、由希ちゃんやるね」
「アンタと同程度には頭が回るからな」
「だから嫌いなのよ」
「だろうね」
「なんであんたなんか生まれてきたのよ。本当にウザったい」
 姉は語勢を強めて、私に向かって、そう言う。抱きしめていたクッションを床にバンバンと叩きつけ、私を今にも殺しそうな目で睨み、唾を飛ばしながら醜い表情で、私に叫んだ。
「幼稚園にいたころ、私が好きだった子をあんたが奪ってから、私はあなたを地獄に落とすことを決めたのよ。同じ顔で、同じ技量で、ほとんど同じ人間であるのに、どうしてあんたの方に卓也くんが惚れたのか。私は強烈な嫉妬を感じた。以来私はあんたの何倍も勉強を努力するようにした。皆から好かれるように努めた。料理や裁縫などの技術を身につけた。全てあんたが私より劣っていると証明するためだ。でもあんたは私の努力とは関係なしに、勝手に落ちていった。分かるわよ、私と同じになるのが嫌だったんでしょ。私も同じ思考だから分かるわよ。私の周りに私と同じような人間なんて、一人もいらない。だから私は徹底的にあんたを潰すためにこれまで生きてきた。あんたが中学の時に絵画コンクールで大賞を取った時、どれだけ本気で殺してしまおうと思った事か。実際に台所で包丁を握って、それからあんたの部屋の前で何時間も立っていたの。私はオンリーワンでありたいのよ。あんたなんかゴミみたいに生きていればいいの。そうすれば私だけが、私として、人気者でいられるんだもの。しかし、本当にあのクズは使えないわね。どうせセックスした後で怖気づいたんでしょ。もっと早くあんたが援助交際してると知っていれば、上手くやれたんだけどなあ。ああ、本当にムカつく、お前早く死んでよ、そこら辺のウザったい野良犬みたいにさ。お前にはお似合いだよ。あーくそっなんでお前この部屋にいるんだよ、何でこの家にいるんだよ、あームカつくし、ヤバいキレそうなんでお前は私と同じ顔してんだよ何で双子として生まれてきたんだよ!」
 ぶつぶつと呟き続けながら、姉は突然立ち上がり、私に覆い被さってきた。そして私の目を殴った。私は反射的に左手で防御したのだが、姉は執拗に目や鼻などを狙って、殴ってくる。
「そうだよ、お前の顔に傷を付ければ、目印になるじゃん。お前の目を潰せば、私たちの区別がつくじゃん。そうすれば私の心の苦しみも少しは解消されるわよね、腐った死体みたいに生きてるお前を殺そうか?」
 私は反撃しようとしたが、しかし姉の顔を殴るのは気が引けた。どこでこの違いが生まれたんだろう。私には姉を殴る事は出来なかった。どんなに嫌いであっても、それはもう一人の私であったし、もう一つの可能性として存在する私だった。そんな私を殴ることなど出来なかった。しかし姉は攻撃の手を一切緩めなかった。
「いたっ、痛いっ! 助けて! お母さん! 痛い!」
 私は声の限り叫んだ。姉は「うるせえんだよ! 私と同じ声で喋んな!」と大声で怒鳴りながら、肘で私の顔を打ち、私は鼻が潰れるような痛みを感じた。鼻を中心とした激痛が走り、鼻孔に何か温かい液体が流れ出している感覚があった。すぐに鼻孔から鉄のような匂いがし、鼻骨が折られて血が出ているのだろうと思った。私は涙が浮かんで、止まらなかった。
「何してるの!」 
 部屋に母親が入ってきたようだった。その時に、姉は冷静さを取り戻した。しかし姉の髪はぐしゃぐしゃと乱れ、大きく息をし、そして顔が引きつっていた。私は激痛の中、泣いて、床に寝そべっていた。

 その後、病院で入院することになった私は、母に事情を説明した。私たち姉妹の持つ軋轢を。そして母は驚いていた、私たち姉妹がそんなにも大きな闇を抱えていることを知らなかったようだった。
 私は姉と離れて一人暮らしをすることになった。母は心配していた。私が一人暮らしを本当に出来るのか。大丈夫なのかと。しかし私は言った。姉が出来ることぐらいなら私は本当は出来るんだよ、と。母は時折、私の様子を見に、私の住んでいるアパートにやってくる。母との関係は以前とは違い、良好になった。それは私が、無理をしなくなったからだ。姉の逆をやろうと言う、そのような無理な発想がなくなり、素直に母を労わったりできるようになったからだ。
 
 私は一人暮らしを始めてから、ようやく解放されたように思った。そして素直に笑うことも出来るようになった。
 大丈夫。これからは姉とは違い、自分に正直に生きるんだ。嫌な事は嫌だと言うし、楽しければ素直に笑おう。それがいつか、私の個性になればいい。私は姉の様に、他人を騙しながら、ちやほやされて生きる気はない。私は純粋な心で世界を生きていきたい。騙されたって、何度だって私は心をよみがえらせて、世界と立ち向かう。姉が美しい白鳥に擬態するのなら、私は黒くあっても強くたくましく生きていきたい。醜く這いつくばっても、どんなに汚い事を思おうと、私は純粋に相手に接し、強く生きていきたい。誰かに焦がれたり、世界を美しいと感じたい。そして願わくばあの盲目の女の子の様に、世界を楽しめればいいと思う。姉の反対として生きていく私は死んだ。姉ありきで生きていた双子の私はもうこれで殺してしまおう。私は姉みたいに綺麗な白鳥ではない、まるで正反対の黒い白鳥である私は、この世界にもう一度、強い心を持って羽ばたこうと思うのだ。
 自分は二人で一人ではない。れっきとした一人の人物なのだ。
 私は姉とは離れ一人の人物として、これから飛び立つ。この汚い湖から。
 その飛び方を、あの盲目の少女が教えてくれたような気がするのだ。
 闇に覆われようとも、笑顔で手を振れる人になる事は出来るのだと。
 綺麗に生きることはできるのだと。
 何故だか今日の私は素直にそう決意することが出来る。
 私は一人の人物として、世の中に飛び立つ。
 堂々と羽を広げて。
 いつか確固たる一人の人物として生まれ変われることを願って。
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