第43回 てきすとぽい杯〈てきすとぽい始動6周年記念〉
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地中海の真珠
投稿時刻 : 2018.02.17 23:44
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地中海の真珠
コヲノスケ


 群青色の空の下に帆先をたなびかせながら、船は吹き抜ける風を追いかける。
 ゆたりとした潮騒の音を受けながら、甲板はうねるように揺れていた。行く手に見える島々は、34年前にはそこになかたはずの島。地図にはまだその島の影は描かれていない。

「思たよりも航海は順調だな。天気も悪くない」
 潮風に乱れた髪をかき上げる彼女はしかし、この暑さはなんとかならないのかという顏をする。

 2年前のあの時、私たちは刑務所で出会た。その頃はまだ互いの事は顏しか知らない間柄だた。
 私は当時、模範囚と凶悪犯の独房を転々としていた。規律は守れるが、行動には問題がある。先天的な性格の問題のせいだと精神科医は言う。他の囚人たちからは無視され、私も彼らを快く思わず、突発的に問題を起こしては凶悪犯用の独房へと移され、そしてまた出てくる。その繰り返しだたことを思い出す。

「私たちの希望が本当に見つかたら、どうするの?」
 彼女は目を向こう側に向けたまま、少し大きな声で尋ねてくる。風が強い。今、私はなんと答えたのだろう。彼女は「何?」大きな声で振り返る。
「悪い、考え事をしてたんだ」

 繰り返しの日々は、一人の男の登場によて、少しずつ変化していた。その男が看守として、あの刑務所にやてくると、凶悪犯用の独房として使われていたあの暗い部屋――それは戦時中には拷問部屋として活躍をしたそうだ――は改装され、図書室になた。そして私たちもその図書室に自由に出入りを許されるようになた。

 カモメたちはどこからやてくるのだろう。彼らは揺れる海面に不確かな影を落としながら、果てしなく遠い空をやてきて、そしてしばし私たちの頭上に留まると、またふとどこか遠いところ、閃光のように白い太陽の明かりの向こうへと飛び去る。

 図書室でソルジニーンの手による書の一つを手に取た時、私はそこに奇妙な走り書きがされていることに気づいた。その走り書きの主を私は突き止め、私たちは互いのことを知り合うようになた。やがてその書の先で、地中海にやがて現れるであろう島についての記述に出会うことになた。

……あの話がただのフクシンだと、どうして君は思わなかたんだ?」
 その時風が凪いで、彼女はくるりと振り返るのを私は見た。複雑な形をした雲によて、日差しが少しずつ陰ていく。
「フクシンだたとしても、私たちはここにくる運命だた。それが、私たちの願いだから」

 願い、と彼女が言た時、私はかつて聞いた話を思い出した。

 植民地政策がまだ野蛮だとされる前の時代、彼女の一族はナイロビに移住して見渡す限りのジングルを治める酋長の代役を任されていたという。だが、男子を望んだ彼女の両親は、突如起こた内戦によて死に、生き残た彼女は黒人の共同体の中で、敬遠されながら生き延びるしかなかた。やがて子を妊娠したものの、内戦の終結とともに彼女は裏切り者として身柄を拘束され、子供と生き別れて刑務所へと連行されてきた。

「望まぬ運命によて生まれた子供のことを、キミはどう思うか」
 ある日私は、勇気を振り絞てそのことを尋ねた。彼女が自分の過去のことをどのように整理しているのかが心配だたのだ。
「人は誰でも、自分なりの幸せをみつけていける。運命を呪うでもなく、何かを憎むでもなく」

 黒人の共同体の中で、彼女は不幸を感じたことはなかた、と言た。そしてその言葉は、何故か私をひどく動揺させた。

 彼女がただ黙ている。
 私は動揺した。「でも君は、唯一の生き残りとして黒人たちに……その、弄ばれたんじないか。違うか」
 彼女はゆくりとかぶりを振た。
「それはちがう。私は彼らの事をとても愛していた。生まれてきた子供のことも」
 どうしてそんなことを言うんだ、と私は、つぶやくように言い、そして拳を握りしめた。
「わかてもらえなくていい。でも、私は決して、不幸な人生だたなんて思てない」
 その言葉は、私の理性を救てくれたはずだと思う。なのに、感情は、どうしてかざわついたままだた。自分は彼女の気持ちを、本当は理解できていない。そのことは自分をひどく不安に駆り立てた。彼女は黙て私を見つめていた。その目は、真剣な眼差しだた。そのことが悔しくて、私は目をそらした。甲板のひび割れにできた水たまりが、潮騒のように揺蕩う。

 雲に走る裂け目から、カーテンのように日差しが降りてくる。その下に、鬱蒼とした森におおわれた島の切り立つ岸壁が続いているのが見える。

 岸壁に寄せた船体から海底に碇を投げ落とし、岸壁に投げたロープを身体に巻き寄せ、岩肌にピケルを立てながら、私たちはまだ見ぬ希望に向かて、茨に覆われた絶壁を登り始める。

 カモメたちがまた、日差しの中から波間をかすめて飛んでくる。彼らは風を使て彼女の髪をすくかのようにすぐわきを通て、島の奥へと消えていく。

 彼女にとての願いとは、一体どのような願いなのか。私はそれを聞く勇気を持てなかた。彼女が不幸だたのか、幸せだたのかは、分からない。幸せとはなんなのかが、私にはわからない。ただ、彼女の願いがなんであるにせよ、その願いが叶うことを、私は願た。
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