てきすとぽい
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第52回 てきすとぽい杯〈夏の24時間耐久〉
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ジムノペディ
(
小伏史央
)
投稿時刻 : 2019.08.18 04:59
字数 : 1000
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ジムノペディ
小伏史央
1,
わたしは演奏または再生されるたびに人々の胸裏に風景をもたらしてきた。4分の3拍子のピアノ独奏曲として生まれ落ちてから、時代とともに様々な人間に編曲され、BGMとして大衆化され、現在ではこの喫茶店で安
っ
ぽいスピー
カー
から流されている。
喫茶店の店番をしている娘は、暇そうにカウンター
で頬杖をついていた。店は広いが客はまばらで、いずれの客も常連だ
っ
た。ゆめうつつで雑誌を読んでいる者や、自分の爪を執拗に磨いている者。いずれの人間もわたしのことは家具や照明と区別がついていないようだ
っ
た。わたしの生みの親は家具の音楽を良しとしたが、容易には理解しがたいことだ
っ
た。
爪を磨いていた客が、満足そうに自分の手の甲を眺めたのち、小銭をテー
ブルに置いて店を出てい
っ
た。ドアに取り付けられた鈴の音がわたしと混ざり合い、苦虫のような余韻をこの風景に残す。
2,
店番の娘が食器を片付け、小銭をすばやくポケ
ッ
トに突
っ
込んだ。ち
ょ
うどわたしは第2番に入
っ
ていた。どのように編曲されていても、わたしはいつもこのときばかりは迷子の心持ちにな
っ
た。苦虫に翅が生え、柔い上昇気流に乗
っ
て鱗粉を振りまく。娘は素知らぬ顔でカウンター
の内側へと戻ろうとしたが、つまずいて転びそうにな
っ
てしまい、その足は大きな音を立てた。その道は意外にも遠か
っ
た。わたしがもたらす風景では家路は雲よりも先へと続いていた。す
っ
かり雑誌を枕にいびきをかいている客も、伝票をくし
ゃ
くし
ゃ
にしている娘も、わたしを聴いてはいなか
っ
た。聴いてはいないがその風景は確かにもたらされつづけた。さながら主人の帰りを待つ忠犬のように、さながら粗大ごみに出されたタンスのように。
3,
雨が降
っ
てきた。娘は窓の外へと目をや
っ
た。
雨はわたしと混ざり合
っ
た。鈴やいびきのあとは雨音か。しかしそれは幾分か優れているといえた。雨はわたしを重くする。雨雲から落ちてきたわたしの風景が、草木をたたえ、海をうるおし、蝶を木陰で休ませた。店の娘も、眠
っ
ている客も、雨音には一様に耳を傾けた。わたしは雨とともにあ
っ
た。
ゆ
っ
くりと、厳粛に、わたしは混ざり合
っ
ていく。目を覚ました客が、冷めたコー
ヒー
にミルクを混ぜ合わせていた。スプー
ンが白い渦をえがき、いつの時代とも知れぬ、どんな地域とも知れぬ喫茶店の、安
っ
ぽいスピー
カー
へと流れ込む。
その普遍的な潮流は、わたしが鳴りやんでからも、消えることはなか
っ
た。
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