すすられるひと
「そういうわけで今申し上げましたように私共『生血会』は同士を募集しているのでございます如何でし
ょうご参加頂けませんでしょうか」
おばちゃんは、真っ青なアイラインに縁どられた目で俺を見た。参ったなと頭をかく。なぜって俺は、ただここで彼女と待ち合わせしてるだけなんだ。
「なあ、俺は宗教とかに興味ないんだよ、ほか当たったほうがいいよ」
「違います私共は宗教団体ではございません只あなたは私のメンターであるからして今後幾たびも出会うことが決まっておりそれならば単純に出会うだけでなく『生血会』の同好の志としてお迎えすることが相応しいと考えられるわけでありますご一考をどうかご一考を」
ぐるぐるの大仏パーマには枯葉がからまり、唇は乾ききって塗られたルージュがひび割れを起こしている。これ以上ないほど充血した眼球は、狂おしく俺の視線をとらえつづける。弱り切って顔をあげると、橋のたもとから彼女が手を振っていた。
「連れが来たから俺行くぜ、悪いけど……」
そこには誰もいなかった。『生血会』とだけ書かれた、まっ黄色の名刺だけが手に残された。
★
ヴェールを上げると、彼女は恥ずかしげに微笑んでいた。たくさんのフラッシュに囲まれキスをする。
「素晴らしいですね素晴らしいですね本当に愛です今こそ『生血会』に入っていただきたいのです幸せは倍増悲しみはんぶん出世間違いなし良いことしか起きません起きません選ぶなら今1・2・3さあスタート『生血会』」
驚いて見下ろすと、件のおばちゃんがブライズメイドを勤めていた。度肝を抜かれる。
「な、なんなんだアンタ」
「だから申し上げたではありませんか私とあなたは幾度となく出会うのです定められた運命なのです添い遂げるとも言えます恰も結婚です」
背が低いので子供のようにも見える。けれど顔はしわしわでそのギャップが恐ろしい。おばちゃんは力いっぱい薄布を握りしめ、鼻をすりつけて臭いをかいだ。長く真っ赤な爪が繊細な生地にめりこんだ。周囲を見回したが、これぞ幸せとばかりにシャッターを切るばかりで誰も気づいていない。取り乱すまいと深呼吸をし、俺は彼女に耳打ちをした。
「ちょっと、あの、ヴェールのすそ持ってる人誰」
俺をいぶかしげに眺め、彼女は後方をちらりと見た。ああと嘆息し、にこりと笑う。
「古い知り合い」
大学時代の友達が集団で駆け寄り、俺と彼女を取り囲んだ。はいピースと煽られひきつった笑顔をつくり、振り返るとおばちゃんの姿はない。
★
緑色の紙はえらく薄くて頼りなかった。俺の判子で儀式は完了し、彼女はひったくるようにボストンバッグをかついで出ていく。
「離婚ですか離婚ですか悲しいですか死にたいですか浮気とはまた豪儀な相手の女はどうしました逃亡ですか知らない相手と再婚ですか子供の親権も逃しましたか気づいたら孤独ですね思ってもみなかった見知らぬ不幸いよいよ人生詰んできましたか」
「いったい何のためにやってくるんだ、俺の人生の節目節目に」
もう驚く気も失せていた。ダイニングテーブルに俺は顔をうつぶせ、おばちゃんが隣の和室にちんと正座していた。
「目的というより運命なのです私共はあなたとともに生きあなたとともに苦しみ最後の栄光を味わいます栄光とは」
「どうでもいいよ」
本当にどうでもいい。息子は俺に「二度と会いたくない」と吐き捨てた。そこまで言われるほどひどい父親ではなかったはずだ、彼女が悪い噂を吹き込んだに違いない。それにしてもA子まで俺を捨てるなんて。何もかも終わりだ。
「大丈夫です大丈夫です例えあなたが死んだとしても栄光は約束されます死ぬなら『生血会』に所属してからになさい未来が拓けます新しい世界で生きられます勧めているのは騙そうとしているわけではないんです絶対に正しい正しいそのほうが正しいのです」
やみくもに引っ越しされた後の空部屋は虚しい。尻の毛まで抜かれ、家財道具はほとんど残っていない。
★
「ご臨終です」
どうやら俺は死んだらしい。ああ良いことも大してない人生だったなあと伸びをした。医者の出ていった病室で、げっそり横たわる俺を見つめる。最後は誰も看取らず、か。
「ああ『生血会』に所属せずして亡くなってしまいました何度もお勧めいたしましたのに絶命なんて悲しい大変申し訳ございませんが今後は自己責任ということでお願いいたします本来ならば契約書にサインの上蘇りをお約束いたしますんですが時すでに遅しというわけでございまして何卒ご了承くださいませ非常に残念でございますね」
蘇り? 俺は鼻で笑った。そんなもの今更欲しがるか。
「俺はかまわないよ、こうやって空も飛べるし。今の状態でふらふらやっていきたいね」
おばちゃんは静かに首を振った。勾玉みたいなネックレスがざわざわ揺れる。
「あなた様はヒルに食べられ不具の心でやっていかねばなりません」
はっと傍らの遺体を見やる。どす黒くぬめぬめとした物体が、俺の全身をくいつくすように這っていた。と同時に、クリアだった意識が引っ張られるごとく混濁し始めた。襲ってきたのは、俺と関わり去った奴らの恨み・つらみ・嫉みだった。しかもそれは他人の感情としてではなく、<俺自身>の激情として再現された。
「パパは僕が嫌いなんだ」「あの人は私を愛していない」「もしかして体だけが目当てなの?」「ただ僕の店をぶんどることが目的なのか、いやそんなはずはない…でも…」「看護師にセクハラなんて人として最低だわ」「本当はこんな患者見たくないんだが仕方ない、医者としての義務だ」「彼がいなければ死んでいれば、何もかもうまくいくに違いないのに」「いつだって殺せる」「奴を愛しているものなんて誰もいないんだ、殺したところで誰も困らない」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」
生の傷が、俺の自我をのたうちまわらせた。おばちゃんが意識に割り込む。脳天を割られるような痛みが走る。
「ねえ申し上げたでしょう『生血会』に所属していれば血を吸う側に回れましたしかしもう遅いこれからは継ぎはぎの他人の闇の中で生きていかなければならないそれがあなたの生血であり存在理由だから生身の人間と違い闇のつくる血というものは限りがありません大動脈はいくらでも血液を運びヒルはいつまでもへばりつき吸い続ける永久運動ですお気の毒さようなら二度と会うこともありません長いことお世話になりました御機嫌ようさようならさようならさようなら」
声も出ない。もう俺の意識はわずかしか残っていなかった……と思いきや、そのわずかばかりの意識は消えていかない。地獄だ。気絶もできないまま業火に焼かれ続けるということだ。すでに視界は閉ざされ、責苦だけが身に迫る。嫌だ、永遠に苦しむなんて嫌だ助けてくれ、『生血会』に入れてくれ! 入れてくれ! 入れてくれ入れてくれ入れ