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ぼくは中学生のころに、大人の男から乱暴を受けた。ひとりの人間が選択し保存できる〈情報〉は、自分のものを合わせて三人分まで。ぼくはもちろんそのころ中学生だったから、誰の〈情報〉もみだりに受け取らずに、ただ自分だけの認識を育んできた。
それをあの大人がぶち壊したのだ。
あいつは最初から動物的な生殖行為には興味を持っていなかった。人間的な、〈情報〉の同期を求めた。新人類は種の可能性を閉じ込める。ただ保守的に保存の道を歩む人間は、人間でありながら動物という枠組みをわずかに外れた。
人間は「主観」というものに支配されている限り、決して分かり合うことはできない。なにごとにも個人の認識によって世界は確約された。同一のものを見ているはずなのに人によってそれに対する認識は大きく異なった、そしてそうだというのに、その認識の溝を埋めることもなければ、ともすればその「主観」の存在さえも認識することができないことが大半だった。人間は個人で見て、聞いて、感じて考えている限り、クオリアから抜け出すことも、イデアを知覚することもできない。
あいつはぼくを押し倒したかと思うと、すぐさま薬指をぼくの首に突き刺した。強制的にあいつの〈情報〉がぼくの中に――あのときはまだ「わたし」だった――なだれ込んでくる。
死んだな、と思ったのに、そんなことはなかった。ぼくは肉体的にはなんの不自由もなく生活することができたし、なによりも怪我ひとつつかない行為だったのだ。あいつはただぼくのなかにあいつをばらまいて、それだけで逃げていったのだ。それは放課後の教室の出来事だったから、初めは家族に知られることもないことだった。あいつは教師だった。
けれど、日を追うごとに、ぼくの頭はおかしくなっていった。たまに、ふと気が付くと、友達のことをこどもだなぁ、おさないなぁと思ったりする。かわいいなぁ、こいつもやっちまいたいなぁ。それは教師のリアルタイムの思考だった。ぼくは成人男性の思考を眺めていたのだ。
頭のなかで上映される彼の「主観」は、いつも冷酷なのに同時にとても幼稚だった。大人になってもずっとこどもでいるみたいだった。でもそもそも、大人になるってどういうことだろう。いくつになっても大人にはなれないんじゃないか。ずっとこどものままなんじゃないか。ぼくたちが見ている大人たちの、ぼくたちが予想している内側は、むなしい空想にすぎないんじゃないか。ぼくにはわからなかった。
次第に、彼の「主観」がぼくの「主観」を侵してくるようになった。ぼくが「ぼく」になったのは、だからそのころだ。情報係数がゼロに近づく。ぼくは、ぼくは……。頭がずきずきと痛む日々が続いた。ぼくは、ぼくは……。吐き気が続いてもなぜか学校を休もうとは思わなかった。それは教師としてのぼくが、仕事面倒だなぁ、と思いながらも、通帳のことを心配しているからだった。
女の子がぼくなんて言うんじゃありません! ついには母親に叱咤された。それはそうだ。ぼくはぼくの意識に関係なくぼくのことをぼくと言っていた。ぼくのことをわたしと呼んでいた当時、自身をわたしと呼ぶことになんの違和感もいだかないように、ぼくはそのころ、完全にぼくだった。
そしてばれた。教師が現行犯で捕まったのは、ぼくが強く人を押し倒して自由にしてしまいたい衝動に駆られたときのことだった。急遽執り行われた〈情報〉検査で、ぼくがあいつの被害に遭っていたことが発覚した。そのころになってようやく母親がぼくに対して優しくなった。でももう遅かった。賢明な治療がほどこされた。ある程度の回復は望めたけれど、完璧ではなかった。完璧な「ぼく」の除去は既に不可能な領域になっていたのだ。ぼくはぼくだった。ぼくはぼくであって、ぼくでしかなかったんだ。
そのあいつが、先日、死んだ。釈放された後、懲りずに生徒目当てに研究船に乗ったところ、その船がその船だったのだ。
海に沈んで。
水にのまれて。のみこんで。
暗闇の底へと沈んでいったのだ。
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慰霊ホールを出る。外は雨が降っていた。
どこか清々しい気分だった。事故に遭った人たちには悪いけれど、過去と完全に決別できた気がしたんだ。
携帯通信機に、着信が入っていた。メッセージを選択する。
[やあ。久しぶり。そっちはどう? こっちは忙しくて大変だ。最近あった沈没事故のせいで、こっちの研究は大打撃だよ]
きみからのメッセージ。二人が卒業して、もう何年も経つのに、きみは一度も帰ってくることなく、向こうで頑張ってみるみたいだ。
わたしは、――わたしは、空を仰いだ。
きみには、感謝している。きみはいわゆる、初恋の人で、結ばれることはなかったけれど。きみがくれた〈情報〉のおかげで、わたしは人と出会うすべを学んだ。
いま、わたしのお腹のなかには種の可能性が宿っている。
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