誰かのお腹が鳴った。
　……と、また別の誰かが言った。彼が言うとおり、たしかにこの静かな職場にきゅうう。と情けない音が響いた。
　それは、腹の虫が鳴く音である。

　だらしがない。情けが無い。我慢の足りないやつもいたものである。
　恐らく、配属したばかりの若いやつだ。若いやつはすぐに腹を鳴らすし、無礼ものだし軟弱ものだしで話にならない。
　教官である私は、いつもこの季節に苦労する。
　すなわち、お客様がたくさんやってくる、繁忙期たるこの季節である。いくら私がしっかりしていても、部下がこんなものでは話にならぬ。
　かつては多くの部下に畏れ、怯えられていた私である。鬼教官などとも言われていた私である。
　最近は年のせいかどうにも優しくなったと噂されているが、それでも若者の指導に手を抜くわけにいかぬ。
「お前達。ひとつ、言っておく」
　部下を全員あつめて広場に整列させ、背を正させる。その合間を、私はわざとゆっくり足音をたてて歩く。
　若者たちの顔が青く赤く染まる。緊張をしているのか、歯を鳴らすものもいる。しかし同時に、腹を鳴らすものもいる。
「いくら我らが鬼だといっても、地獄に来る人間は言わばお客様。取って食うことはゆるさんぞ」
「でも、教官」
　一人の若鬼が元気よく手を上げた。
「あれ、食べられるんでしょう」
「あれ、とは」
「おはぎ。噂じゃ、彼岸の入りの時に地獄に来るやつらはみんな持ってるってききましたぁ」
　きな粉、粒あん、青のり。
　誰かが言った。同時に、あちこちから腹の音の大合唱。
　なんという、軟弱さ！
「馬鹿か」
　怒鳴って雷を落としてももう遅い。
　止まらない腹の音。ヨダレを垂らす赤鬼青鬼。そこにやって来たのは酷く悪い顔をしたお客様の一行だ。
　人の一人や二人殺した事のありそうな、強面の顔が私達を見るなり恐怖に歪む。
　背にそびえるのは炎の山に、血の海、針の山。
　そこに並ぶは腹を空かせてヨダレを垂らす鬼の群れ。
「ようこそ」
　地獄へ。と、若い鬼がサービス精神いっぱいに微笑んで見せる。強面が悲鳴を上げる。
　まあ、結果オーライという奴だ。私はそう思ってため息を付く。そんな私からも、きゅきゅうなり出す腹の虫。
　今日は早く仕事を終わらせて、とっとと和菓子屋に行こう。そう思った。

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