司書譚 ―未央―
ここには、すべての世界の、すべての書が収蔵されている
――らしい。
巨大な等の内部を思わせる円筒形構造。その内部に螺旋階段状の段があ
って、そこに成人男性二人を縦に並べたほどの書架が置かれている。
書架は高さがある割に、横幅は狭い。肩幅ほどだろうか。ぎっしりと本を詰め込まれたこの書架を見ているとなぜだかいやな気持ちになってくる。縦横の比率のアンバランスさと、上段の本を取るための踏み台がないという不親切さへの反感がそうさせるのだろうか。
光源がどこなのかわからないぼんやりとしたオレンジ色の光があたりを照らしている。
この巨大な建造物は、何重もの螺旋を描いている。目をこらせば、「対岸」にいくつもここではない螺旋がぼんやりと光っているのがわかる。
それぞれの螺旋は、少しずつ違った光を発している。青白い光や、緑色の光いろいろあるが規則性はないように思える。
今のところ、ほかの螺旋へと移動する手段は一つもない。時折、建造物の中心の空洞を落下していくものがあるのは、ここ以外の螺旋にいる誰かがほかの螺旋へと移るための手段を模索した痕跡なのかもしれない。
本の管理をしているのは、影人間たちだ。ここが図書館であることも影人間が教えてくれた。
影人間は名前の通り影が立ち上がったような姿。確かに空間上にいるはずなのに薄っぺらでのっぺらぼうな奇妙な奴らだ。確かな実態はないがどうやってか本を動かすことが出来る。
影人間のうちの一つが近づいてきて半分透き通った手をわたしの額に突き刺した。
痛みはない。彼らはこうやって自分の意思を伝える。こちらとしてはあまりいい気分ではない。意思の疎通ではなく一方的な命令や通告に近いものだしなにより……
「……………」
影人間の手を突き刺されたわたしの口から、なぜかオルゴールの奏でる音楽があふれてくるのだ。知らないはずの曲だし、のどの奥から勝手にオルゴールの音が聞こえてくるなんて、まるでチクタクワニだ。チクタクワニ?
調整が終わったということだ。
わたしの足は自動的に歩き出し、虚空へとためらいなく飛び込んでいった。
物語を殺すために。
混沌と秩序のバランスを保たなければいけないのだという。
どちらかに傾き続ければ、すべての世界はその形を保てなくなるのだという。最悪の場合、どちらかに傾きすぎた世界を切り離すことも出来るけれど、影人間たちもそれはあまりしたくないようだ。
本に囲まれたあの場所から、すべての世界の中の一つにわたしは焦点された。
手の中には革紐がある。
暗い室内をコンピューターのインジケーターだけが照らしている。
メッシュ素材のハイチェアに一人の男が腰掛けている。無精ひげの伸びた顔は老人のようだけれど、身なりを整えて昼間の公園で見れば案外若いのかもしれない。
当て推量に意味はない。そもそもこの世界に太陽があるのかさえわかったものではない。
男の目には、アイマスクのような装置が取り付けられている。
寝ているように見える男は、この没入型インターフェースを使ってね完成すればすべての世界を燃やし尽くすか凍てつかせるかのきっかけとなる何かを作ろうとしているのだ。
インターフェースの表面には、美しい黄色い花が描かれている。インターフェースそのもののデザインとは異質で、この男の恋人か友人が書いたのだろう。
その恋人だか友人は、この男の亡骸を見つけたら泣くだろうか。
無休の図書館をさまよい、図書館を保つために何億もの人を殺してきたこの身を思う。
指に革紐が食い込む。
男が完全に動かなくなってからも、しばらくその行為を続けた。
自分の指に消えない跡がつけばいいと思った。
気がつけば、あの本で満たされた場所にいた。
指には、なんの後も残っていない。末端世界の痕跡は、いつも洗い流されてしまう。
目を閉じると、あの黄色い五枚の花弁をもつ花が浮かんだ。