【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 9
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破滅
投稿時刻 : 2015.01.11 23:56 最終更新 : 2015.01.12 01:26
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破滅
木下季花


 「ジプシー」という名の合法ハーブをあまりにも大量に吸引してしまい、俺は呼吸が止まりそうなほど過激にトリップをする。視界がちかちかして楽しくなるような予感を覚えたのだけれど、すぐに目に映るものや感じること全てが恐怖に成り代わって、俺は蹲りながら「ごめんなさいごめんなさい死にます」と言い続けている、馬鹿みたいに何かに謝り続けている、そうやって何か圧しかかる恐怖の塊のような存在に向かって謝りながら、うまく息が出来ない感覚と、死が猛烈なスピードで目の前をよぎる不安感を覚えて股間をぎゅっと握る。同時に途轍もない倦怠感とか、心臓をぎゅむぎゅむ握られるような悪寒とか、過去の嫌な事が唐突にフラッシュバックする感覚とか、俺の嫌いな血管の紫色の映像とかが次々と頭に浮かんできて嘔吐する、自分の吐瀉物を見ながら、俺はかすれ声で叫ぶ、苦しい苦しい苦しい、ヤバイヤバイヤバイ、死んだ方が遥かにマシだ! そんな性質の悪い絶望感が俺の脳内をひっかきまわす。ダウナーなのかハイなのか分からない絶望。しかしその絶望と苦痛すらも麻薬のように体中を巡っている。体中がゾワゾワして、今すぐ誰かに殺されるような予感だけが続いている。バッドトリップしてしまった時はいつもこうだ。俺は「あーー」と呻き声をあげながら冷たすぎる廊下に寝そべり、阿呆みたいにドアを右手で開け閉めする動作を延々と続けながら、「俺が悪いです俺が悪いです」と言いまくっていた。が、このような場合の対処法を俺は既に理解している。ハーブを吸い過ぎてしまったら、睡眠薬を飲めばいい。デパス辺りが良い。デパスは俺と相性がいいんだ。だから俺はそれを飲む、箱に入ってる分量を全て、そしてそのままぐっすりと28時間ぐらい眠っちまえば少しはマシになる。上手く眠りさえすれば絶望の波の一番高い所は過ぎ去って、起きた時には何とか立って歩けるレベルになる。女に電話をかけたり、ニコニコ動画を見たりできる。が、もちろん絶望の波は続くから、また死にたいだとか、今すぐ自分の首を絞めたいだとか、本当に生きているのが耐えられないくらい深い、常人には絶対にわからないだろう絶望が襲ってくるんだけれど、それでもトリップしている時や効果が切れた直後のあのヤバい感じよりかは幾分マシで、俺はだからデパスを服用して30時間ほど眠った。そうして時間をやり過ごし、脳みそを全部齧られたような気分で起き上がる。
 そう言えば昨日、恐らく俺が眠っている間、本当はバイトに行かなくてはいけなかったんだと思い出す。先輩に紹介してもらったセクキャバのキャッチの仕事で、もうこれでサボったのは二か月前の勤め始めから計十二回にも及ぶ。けれど、俺にとってセクキャバのバイトなんか本当はどうでもいいことで、店長や先輩が困ろうが俺は全く気にしない。だから、俺は自分の都合で勝手に休んでばかりいる。しかし先輩は俺が何をしようが、いつだって俺を赦す。あの人はヤバい事ばっかやっていて、俺が店をサボったくらいで怒りはしない。ただ俺の事をよく可愛がってくれて、いろいろなハーブやクスリを紹介してくれたり、仕事先を紹介してくれる。
 チラと目に入ったスマホの着信履歴を見ると、セクキャバの店長から十一件もの着信履歴が入っていた。俺は面倒だと思い、そのままスマホを放り投げた。が、放り投げてはみたものの、なんだか無性に誰かと居たいという感情が唐突に湧いてきて、以前キャバクラのスカウトをやっていた時に見つけた、何でも俺の言うことを聞いてくれる性欲が強い女を呼ぶことにした。トゥルルルルル、トゥルルルル、トゥルル、おかけになった電話番号は、電波の届かない場所に、ブツッ、なんで出ないんだよ、クソッタレ。俺は電話を床に叩きつけて、糞が、と罵る。すでにアイツの濡れた秘所に入れることを想像して、勃っているのに、俺は行き場のない攻撃性を抱えながら、理不尽さを噛みしめる。
 俺は吐き気と開放感を同時に抱えながら外に出た。そこら辺にいる女に痴漢しようとか、スタンガンで痺れさせて犯してやろうだとかって考えていたのは昔のことで、今はそんなことしない。すぐにやれる女がいるからだ。例えば街中を歩いている意志の弱そうな女に、キャッチのバイトで鍛えた押しの強さを発揮すれば意外と簡単にやれる。ただやれるだけ、その女に性欲を発散するだけ、俺にとっての女とはそういう存在で、もはや奴らには愛情なんて与えないし与えられないし、ただのオナホール的な商品価値しかない存在だ。
 俺は近くに住む、見た目は清純だが先輩に騙されてAVに出演してしまった女の元へ行くことを決める。そいつはAV出演によって己の変態性を開花させ、今では命令さえすれば俺の尻の穴まで綺麗に舐めてくれる。俺はその女が住むマンションまでの、十七分ほどの道のりを歩き始める。俺は歩くのが好きだ、特にクスリが抜けていく時などは歩くようにしている、何故かはうまく説明できないけれど、思考が次々と流れて止まらない時は歩くのが一番いいんだ。
 女のマンションが見えて来て、もうすぐ着くという時、路地を歩いていると前方から忌々しい高田が歩いてきた。金髪に今では流行らないような剃り込みを入れて、ジャージ姿で、何故かバットを持って歩いている。馬鹿の見本市にそのまま出展できそうな高田。どうして馬鹿は揃いも揃ってガムをくちゃくちゃと噛む習性があるのだろう。しかしいくら高田が馬鹿であっても、俺はこいつから五万円を借りてそのまま逃亡してしまっている。こいつが詐欺グループに居た時に、金持ちの親父を脅して百万円の収入を得たと自慢して来て、機嫌のいい高田からおこぼれを預かろうと、俺は口八丁でこいつから五万円を借りたのだ。それ以来、返す気もなく逃げていたのだが、まさかこんなところで再会してしまうとは!
「おい。おまえ吉井だろ」
 高田が手に握っている金属バッドを地面に叩きながら俺を威圧する。こいつは漫画版ジャイアンでもリスペクトしているのか、高橋ヒロシの描く漫画にでも出演したいのか、当たり前のようにバッドを握っている。俺はハーブに犯されて空っぽになった脳みそで「いえ、人違いですけど」と言った。少し低めの声を意識して。元々俺の地声はキンキンするぐらい高い。しかし奴はそんなことでは騙されなかった。
「てめえ、俺の十万返せや」
 何でこいつの脳内では俺の借金が倍になっているんだ。まさかこいつが利子なんて言葉を知っている訳もなし、ただの馬鹿だから貸した金額さえも覚えていないんだろう。しかし俺がこうやって、いくら脳内で馬鹿にしたところで意味がない。奴がその暴力性にて優位に立ち、俺が窮地に立たされていることには変わりがない。
「いや、返しただろう」
 俺は真剣な表情でそう言ったが、その声は自分でもわかる程に震えていた。高田の持つバッドが、日の光を反射して俺の目に突き刺さっている。その感覚が痛い。逃げ出したい。
「あ?」
 奴は俺の胸ぐらを掴む。俺は阿呆みたいに「やめてください、やめてください、人が見てます」と言ったが、馬鹿の高田はそんな事を気にしない。思いっきりヘッドバッドをかましてくる。額に鈍い痛みを感じる。ああ、こうやって暴力を振るわれる瞬間に、しかし俺は確かに生きているという事を感じる、暴力の痛みこそが俺を育ててきた、俺は両親から暴力を振るわれ続けて来て、その痛みこそが確かに俺の存在を肯定してくれる、痛みは俺の日常だ。などと考えていると、
「今から銀行行って貯金を下ろさせるからな、それとお前の知っている女とやらせろ」
などといかにも命令し慣れた様子で俺に言ってきた。俺は途轍もなく嫌な気分だった、何で俺は自分をこんな場所まで追い込んだのだろう、俺は自分を恨み始めた、何故こんな最悪な状況になるまで放っておいたのだろう、俺は何もかもが嫌な気分になって、外を歩きながら感じていた解放感が一気に霧散するのを感じた。すると、「てめえ、何睨んでんだよ」と別に睨んでもいないのに高田が言ってきて、威圧するように腕を振り上げたのが見えたので、俺は何故か反射的に、足で蹴りあげた。
 するとそれが、見事に高田の股間にヒットしてしまった。無意識に狙ったのか、偶然なのか分からないが、そのおかげで俺の胸ぐらを掴む手が緩み、俺はそのまま高田の腹を蹴り上げて「死ねよ。詐欺しか出来ねえクズが、」と言いながら走って逃げる。俺は走る走る走る。そのまま街を駆け抜ける。高田から逃げなければいけない。逃げたって何一ついい事なんてないのに。しかし俺にはいつだって逃げる事しか出来ない。俺は常にいろいろなものから逃げ続けてきた。学校や両親や社会や、俺を縛りつけようとする様々なものから。そして俺は逃げ続けた先で、こうやって悪い物に依存しながら、救いもなく暮らしている。

 俺は激しく息をしながら、通りを駆け抜けていく。肺が締め付けられる感覚と、酸欠で頭がぼうっとする感覚を覚えながら、果たして俺はなんで走っているのだろう、なぜ逃げる人生を選び続けているのだろうと自問している。俺はどこからどこへ向かって走っているのか、それすらも自覚できてないが、しかしそんなことを考えるのは小説家や哲学者たちのすることで、今の俺には必要ない。俺はただ自分の人生を楽しく誤魔化す、即物的なものしか必要としてない。
 そんなことを地を蹴る四分の八拍子のリズムで考えながら、俺は駅前の通りにある、ふと目に止まったスターバックス・コーヒーへと逃げ込んだ。何らかの象徴のようなスターバックス。日本人が守り続けてきたくだらない平和の象徴のようなスターバックス。アメリカの影響を象徴するようなスターバックス。芸術家気取りの馬鹿な女と、内気で自意識過剰な男がよく利用する、そんなイメージを持つスターバックス。いつだってカフェという場所は、自分を表現し、共有したいと思う奴らが集まっている。どこぞの写真家が言っていたが、カフェとは社交の場であり、常に他人へと向ける演技をする場なのだと言っていた。しかし俺に演技など出来ない、常に剥き出しの自分を曝け出し、素の感情だけを頼りに、惨めさをアピールすることしかできない。このカフェの中にいる全ての、親に甘えながら生きてきた連中は、俺のような惨めな奴がいるだなんて露にも思ってもいないだろう。俺はそう思って、なんだか悔しくなって、カフェにいる連中をことごとく、すれ違う連中を睨みつけて行ったが、しかし皆は俺を馬鹿にするように笑い、ただただそれは俺の惨めさを助長するばかりだった。
 高田から隠れるために仕方なくここに居座る事にした俺は、カウンターに立つエプロンの上からでもわかる胸の豊かな膨らみを見せる女に向かって、「コーヒー、ホットで」と言った。少し垢抜けないが化粧が抜群にうまいこの女は、「えっと、種類は?」と困ったようにため口で尋いてきやがった。俺はこの女を酒で昏倒させて、手錠をしながらその豊かな肉体に抱き着くようにして犯すところを想像しながら興奮し、胸に顔を埋めてべろべろと舐めまくるところを妄想しながら、「なに、どんな種類があんの?」と訊いた。甘えた声で喋る女は「こちらのメニューがございますので」と言い、少し急かすような顔で俺を見る。俺はよく解らなかったので、適当に、「チョコレート・オランジュ・モカ・フラペチーノ」という長ったらしいメニューを詳しく見もせず頼み、そうして出てきたなんだかパフェみたいな糞甘ったるい飲み物を持ちながら、空いている席へ着いた。入り口から一番遠い、照明が届ききっていない仄かに暗い席。
 俺はなんだかカウンターに立っていた女の事がやけに気にかかり、あの女とセックスしたら気持ちいいだろうなという事ばかりを考えて、バイト終わりを見計らって家まで尾けて、ナイフかなんかで襲っちまおうかなと考えながら、次々と膨らむ性欲に思考を任せていた。
「あの、ちょっと話を聞いてもらえませんか」
 俺がそんなエロい計画を練っていると、おどおどとした男の声が割り込んできた。それは確かに、この席に座る俺に向かって放たれているように感じた。俺は声のした方を振り向く。
「あっ、もしお時間があったら相談に乗って頂きたいことがあるんですけど」
 そこには挙動不審な男が座っていた。俺と視線が合うとすぐに目をぎょろつかせる。
俺の隣席に座っている男だ。眼鏡をかけ、髪は癖毛でぼさぼさ。時折、首をぴくっと痙攣させている。なんだか気味の悪い男だった。相談と言ったが、何だろう。宗教の勧誘やら、何かを売りつけようとしているのだろうか。
「宗教とか無理だから」
 きっぱりとそう言い、しつこく勧誘するのならば殴ってやろうと思った。
しかし男は「あっ、そういうのじゃないです。個人的な悩みを聴いてもらいたくって」と返した。
「はあ? 個人的な悩み?」
「はい……僕、友達がいないもんですから。誰にも相談できなくて。ずっと相談できそうな人を探していて。どうせだったら人が多く集まりそうなスタバの、その中で一番目立たない、今あなたのいる席に座った人に相談しようって決めていたんです」
 何だか本格的に気味の悪い奴だと思った。こんな気味の悪い男に頼られたところで嬉しくもなんともないが、しかしここで時間を潰さなくてはいけない都合もあったので、俺は頷いて男に話を促した。同時に、この男がどんな悩みを抱えているのかにも少し興味が湧いてきた。もし仮に変な話であったなら、殴ればいい。そうしてまた逃げ出せばいい。
 男はこちらに身を乗り出しながら、視線を素早く彷徨わせ、俺にだけ聞こえるような小声で話し始めた。
「実は僕の女に、悪い男が付きまとっている様なんです」
「なんだよ。浮気の相談か」
 こんな男にも女がいるのだと不思議に思った。どうせこんな男を好きになる奴は、とにかく自信がない暗い女か、人とうまく付き合えないコミュ症のブスぐらいだろうと思った。
「浮気……そうですね。僕に内緒でその男を部屋に連れ込んで、あまつさえセックスまで始めるんです。本当、僕の気持ちなんて何も考えずに、僕と話している時はそんなそぶりも見せずに、隠してるのが余計に腹が立つんです」
 男はやけに鼻息を荒くしながら、自分で話していて興奮したのか、机を強く叩いた。周囲の客が迷惑そうにこちらを一瞥する。
「まあまあ、そんな興奮すんじゃねえよ。つうかさ、一応聞くけど証拠とかあるわけ? お前の妄想とかじゃないよね?」
「違いますよ。まあ、いきなり相談されて信じられないのも解りますけどね。証拠はきちっとあるんです。部屋に小型のカメラを仕込んでますから。それにばっちり浮気相手との情事が映ってるんです」
「へぇーそこまでするんだ。面白いな。何? お前とその女は結婚してるの? 一緒に住んでるって事? それによって問題の重さって変わるように思うんだけど」
「結婚はまだです。いずれ結婚しようとは思っているんですけどね。ちなみに住まいも別です。一緒に住もうって相談もしているんですけど、なかなか頷いてくれなくて。まあ浮気相手がいたんだからそりゃ拒みますよね。どんどん態度がよそよそしくなっていたのもそれが原因かもしれないな。朝のゴミ出しの時に声を掛けたら、いつもはおはようございますって返してくれるのに、最近じゃ声を掛けても、気味悪そうにこっちを見るだけなんですよ。スキンシップのために体に触っても、いきなりヒステリックに叫ばれて、警察呼びますよ、とか怒鳴られたり。恥ずかしがっているのか、人目のある場所でイチャイチャするのが恥ずかしいのか、最近は本当に冷たいんですよ、態度が。まあ、倦怠期ってやつですかね。だから、ちょっとお仕置きと言うか、なんでそんなに機嫌が悪いのか、僕に相談してくれないのかと思って、彼女を監視することにしたんです。彼女が仕事に出かけている間に郵便受けに入れてあった合鍵を使って部屋に忍び込んで、トイレとリビングと風呂場に隠しカメラを仕掛けたんですよ。美紀がどんな排泄をするのか。美紀が体のどこを最初に洗うのか。美紀がどんなものを食べ、どんなテレビ番組を見ているのか。どんな下着を持っているのか。調べようとしたんです。あっ、美紀っていうのが僕の彼女なんですけど。で、監視し始めてから二週間くらいが経ったとき、美紀が僕に内緒で、部屋に男を連れ来んだんです。あっ、その映像ね、今タブレットに入れてあるんですけど、見ます?」
 俺は、この男は何を言っているんだろうと思いながら、顔を見返した。男はとても無邪気で楽しそうな表情を浮かべ、タブレットPCを取り出した。どう考えても、この男はただの頭のおかしいストーカー男で、勝手に脳内でその女と付き合っているという設定を作り、それに取り憑かれて、理不尽な怒りを抱えているだけに思えた。
 だがしかし、俺はなんだかこの男の事が放っておけないような気がした。こいつは確かにヤバい感じの奴だが、しかし俺以外に、この男の話をまともに聴いてくれる奴なんか、少なくともこの町にはいないんじゃないだろうか。そう思うと、この男の話を真剣に聞いてやってもいい気がした。何故だか分からないが、そんな責任感のようなものが、珍しく俺の中に生まれてきたのだ。
「これです」
 男が再生した動画を俺は見る。画質は荒いが、しかし顔の表情などは何となく確認できる。女は、俺の予想よりも遥かに美人だった。体のラインが浮き出る灰色のタートルネックセーターに赤色のフレアスカートを穿き、黒タイツで足を覆っている。茶髪に染めた髪をポニーテールに縛り上げ、綺麗な輪郭を晒している。もろに俺の好みのタイプだった。と言うよりも、男ならば誰でもそそられるような、自分の物にしたいと願うような、そんな魅力的な女だった。
 女はテレビを付けながら雑誌を読んでいる。が、数秒経つとチャイムが鳴り、玄関へと向かった。そして男を連れて部屋に戻ってくる。
「こいつが例の男です」
 男は怒りを含んだ声で言う。カメラの仕掛け位置が悪いのか、ちょうど後姿ばかりが映るので顔は確認できない。が、なんだか妙にチャラそうな男だと思った。殴れば頭を下げて許しを請いそうな雰囲気を持ち合わせている。
「こいつが邪魔って事?」
 俺は男にそう訊いた。画面の中では、男が服を着たままの女の胸を揉んだり色々な場所にキスしたりしている。女は軽く抵抗しているが本気で嫌そうなそぶりは見せない。やがて体の力を抜いて、男の為すがままになる。俺はその動画を見ながら、なんだか怒りのような感情が湧くのを感じる。何故こんな美しい女が、俺の元にやって来ずに、こんなチャラそうな男に奪われているのだ。俺は、隣の男の気持ちが少しだけわかるような気がした。男という生き物にとって、狙っている女を奪われるのは、相当な絶望感と、そして屈辱を感じる事なんだ。だから俺は画面の中の男に対して、怒りを感じて止まらなかった。
「はい」
 隣席の男が言った。
「じゃあ殺そうぜ」
「はい?」
 男は少し驚いたような顔でこちらを見た。
「お前は頭で考えて行動に移せない馬鹿だ。邪魔だったらこいつを殺せばいいんだ。そんで女も力づくで犯せ。お前はただ何もできずに、うだうだと文句ばっか垂れてる馬鹿だ。男だったら、自分で何もかも勝ち取れよ。それが昔からの、男と言う生き物だろう。原始時代からの」
 俺は自分でも何を言っているのか分からないが、男を焚き付けてている事だけは理解できた。
「そ、そうですよね!」
 男は妙に嬉しそうな表情で、俺の変な言葉に賛同を示していた。
「確かにあなたに言われて目が覚めました。僕はただ彼女のことばかりを責めて、自分で彼女を守ってあげられなかったんだ。そうだ、男は行動ですよね。あなたの言う通りだ!」
 そうして男は妙に自信を得た様子で立ちあがった。
「今から男を殺しに行こうと思います。」
 俺の肩を叩きながら、男は「うしっ」と気合を入れた。
「あっ、そうだ。もし良かったらついてきてくれませんか。僕、ナイフ持ってるんですよ。それ、一本あげますから、もし何かあった時の為に。別に見届けてくれるだけでいいんです。僕が男を殺すのを、しっかりと見届けてください。僕の人生で一番大切な時間を」
 悦びに体中を震わせながら男は言う。俺は頷いてやる。
「殺せ。誰もが吐き気を催すように殺せ」
 俺は男を焚き付ける。男は俺の言葉に励まされるように、両手をきつく握り、それから鞄を漁って、折り畳み式のナイフを俺に手渡した。
「それ。持っていてください。何と言うか、僕の決意の表明と、そして証明の為に」
 男は「よっしゃあ!」と店中に響く大声で叫び、気合を入れるために両頬をパシッと叩く。俺は何故だかその行為に自分の心も震えるような感じになって、今から人を殺す男を見届けるるのだ、と少しだけ興奮を感じるのだった。
「おい、てめえ、見つけたぞ!」
 とそのタイミングで店の入り口から高田の恐ろしい声が響いてきた。途端に俺の興奮は掻き消え、心臓を握られたような恐ろしさを感じる。
 高田は周りの目を気にすることもなく、こちらへ力強く歩み寄り、俺たちの目の前に立った。
「てめえ、殺す」
 まるで言語能力の低い巨人のように、高田は低い声で俺を脅した。そしてバッドを思いっきり振りかぶる。俺はここで最悪にひどいことが起きるのを感じる。もう再起不能なくらいにボコボコにされて、まともに生きていけないくらいに壊される予感を感じる。しかし、高田がバッドを振り上げた瞬間、隣の男が、わけのわからない呻き声と共に大声で叫び始めた。
「てめえ、邪魔してんじゃねえぞ。せっかく気合い入れて、今から殺しに行こうと思ってたのによお。何でいっつもいっつも俺の人生には邪魔ばっか入んだよ! 美樹を寝取らせたのもお前なんだろ! 俺の人生をこんなにも不幸にしたのもお前なんだろ! あああああ、ふざけんじゃねえよ!」
 男は錯乱しながら、あちこちを蹴り飛ばす。
「俺の邪魔ばっかすんあよ!」
 男は叫ぶ。高田も呆気にとられ、男の方に注目する。
 俺はこの隙に逃げようかと思うのだが動けない。今や、このスタバは異様な雰囲気に包まれている。参事が起こりそうな予感だけが蠢く。
「なんで俺の人生を皆で壊すんだよ!」
 異様に瞳孔が開いた目で、男はナイフを手に走り出す。俺はその瞬間に目を閉じる。
 悲鳴だけが俺の感覚に突き刺さる。
 目を開けると、ナイフは、高田の腹部に深く突き刺さっている。それはまるで現実感がなかった。悪寒だけが、敏感になった肌全体を引っ掻き続けている。
 男は何度も何度も高田の体を突き刺す。高田は手を震わせ床に倒れている。周囲の悲鳴が俺らを突き刺す。血はリアルさを失って床を汚す。男は高田の右目を手掴みで引き抜いて「糞が」と叫んでいた。
「簡単に死んでんじゃねえよ」
 青ざめた表情で、男は下を向きながら体を震わせた。男の言葉と共に、店内はなぜか静まり返る。自分が発言したら、その瞬間に刺されてしまうとでもいうように。俺も異様な空気に飲まれていた。こいつは必ずまた誰かを殺すだろう、と思った。
 その時、静まり返った店内に、先ほど男が流していた動画の音声が響く。
『あっ……あっ……ん』
 女の喘ぎ声。俺は視線だけをそちらに向ける。画面の中では、大きく足を開いた女に、男が覆い被さり、動いている。
 画面に映るのは、近くのセクキャバに勤める安永美紀と、ゆるみきった顔をしている俺だ。俺は口を半開きにしながら、気持ちいい、と呟き、安永美紀に抱き着く。
 どうして俺は今まで忘れていたんだ! 糞野郎が! 薬のせいで頭が緩みきっている。俺が自分でこの危険地帯に巻きまれに行ってるのに、一番に気が付くべきだったんだ。
 しかし何故、男の方も俺に気づかなかったのだろう。画質が悪い所為かもしれなかった。が、しかし男は画面を見、それから俺の方を見つめている。情事にふける俺らしき人物と安永美紀を。そして「おい」と俺に向かって言う。男も気づいた事を悟る。
「これ、お前じゃねえのかよ」
 男は静まり返った店内に響く声で、言った。
 もう逃げ場はどこにもなかった。俺の手にはただただ、頼りないナイフが握られている。俺はここにいる全員を今から殺さなければならない。今すぐにここにいる全員を皆殺しにしなければならない。それから俺は誰も知らない場所へと逃げ続けなければならない。
 俺は大勢が見ている中、男の問いかけを無視して、ポケットに入ったMDMAという麻薬を口に含む。俺の人生を壊そうとする全てのクズどもを皆殺しにして、この糞みたいな場所を血の海にして、俺は本当の自由を得なければいけない。俺をこんなに不幸にする世界を、俺は自分の手ですべて壊していかなければいけないのだ。
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