てきすとぽい
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第25回 てきすとぽい杯〈てきすとぽい始動3周年記念〉
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東風吹かば
(
みお
)
投稿時刻 : 2015.02.14 23:39
字数 : 3143
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東風吹かば
みお
貴方をお慕い申し上げているのです。
と、疲れた顔に笑みを浮かべて女は言
っ
た。美しい黒の瞳にす
っ
と引かれた紅の線。笑うと、その線が美しく曲線を描くのが、夜の闇にもよくわかる。
いや、月の美しい夜だから余計に美しさが際立つのかもしれない。
それは銀色の月がしらじらと輝く、早春の宵。
春に吹く風に似た、一瞬の逢瀬の物語である。
私は不遇である。いや、不運である。ある日、聞き覚えもない罪を被せられ、都を追われ辺境にやられた。
すべては政敵の成した罠。路傍の石よと小馬鹿にさえしていたその男達に私はあ
っ
さりと足下をすくわれた。
それはまだ春も始まらない、冬の寒さを引きずる頃。情けなくも馬上の人とな
っ
た私は月を見上げて幾度か泣いた。
私の流刑地は遙か南である。南に進むごとに月はますます美しくなるようだ。道に咲く花も色が濃くなり、人の顔もどこか変わ
っ
た。
辿りつくころ、そこには春がある。暖かな春である。都の春を思い、私はまた泣いた。
その夜に、佳人の訪問を受けたのである。
「さて、まずは話を聞きまし
ょ
う。こちらへ」
門に立ち尽くす女を見て、私は柔らかく微笑んでみせる。なんと美しい佳人であろうか。
美しい打ち掛けはす
っ
かり泥に汚れていたが、美しい梅の図が目を引いた。襟元に覗く布は早春の緑の色だ。雅な人である。
色白のこの女が今にも死にそうな声をあげ、我が屋敷を訪れたのは宵闇の頃。
この地には美しい女に化けて男を食う物の怪も多いと聞く。さて美しい女こそ疑
っ
てかからねばならん。
刀を手に門へと向か
っ
た私だが、女を見てす
っ
かり毒気が抜かれた。
目の前の女は手に数珠を握りしめ、祈るように私を見上げるのである。
「いえ、再会できただけで私はもう幸福であるのです」
女が目深にかぶる笠には同行二人の文字が刻まれている。その文字も砂にまみれ、風に褪せ、闇にも分かるほどに汚れているのである。
死の覚悟をして私に会いに来たのであろう。私は自然と背が伸びた。
私は女を何人も知
っ
ている。抱いた女の数も多い。遊んだ数も多い。都を去る際に、多くの女に歌も文も残した。いずれも未練を残す文字を残した。
しかし、これほど美しい人は知らない。まるで闇夜に映える花のごとく、匂い立つほどに美しい人である。
「何をお
っ
し
ゃ
る。あなたほど美しい人であれば、一度出会えれば二度と忘れるはずもない。失礼だが、覚えが
……
」
「ひどい人」
女はほほ、と笑
っ
た。ちらりと見えた歯は白く小さく、愛らしい。
首筋はぞ
っ
とするほどに白く、かかる黒い髪が春風のような音を立てた。
「あれほど、美しい美しいと私をご寵愛くださり、都を出る時には歌まで残してくださ
っ
たくせに」
果たして、これほど美しい人が供も連れず都からこの辺境の地まで、辿りつけるのか。
不意に浮かんだ疑問に私の背が凍る。
はたして、手ひどく捨てた女の怨霊か、都に残した女の生き霊か。
震える私に気づいたか、女が手を差し出す。
思わず掴んだその手は、細く、そして冷たか
っ
た。
彼女の細い指は、私以上に震えているのである。
「でも私は貴方を
……
お慕い申し上げ
……
ここまで」
「具合が悪いのか」
……
私の中から恐怖が消えた。たとえ怨霊であろうと生き霊であろうと、これほどに私を思う女である。何が恐ろしいものか。
不意に風が吹いた。早春の風は湿り気を帯びて冷たい。
女の体に風が吹き付け、着物の裾が揺れる。甘い香りとともに、女の素足が見える。
その足は哀れなほどに、血にまみれている。
「ああ。足がこれほどまでに
……
どこから歩いて来た。すぐに、手当を。いい薬があるのだ、寝床も用意させよう」
「ほら、お優しくていら
っ
し
ゃ
る」
女はもう息も絶え絶えに、私の胸にしなだれる。
「愛して、おります」
「し
っ
かりしろ」
「東風の吹く前に、出会えてよか
っ
た
……
貴方、私を見つめ私に触れて、私を抱きしめ私を撫で、お
っ
し
ゃ
っ
たではありませんか。東風が吹いて春が来る頃」
女の声は、どこか私の声に似ている。
「主がいなくとも、花を付けよ、匂いを起こせよと」
それはかつて私が都で詠んだ歌に似ていた。そうだ、それもこんな美しい夜であ
っ
た。
「しかし香
っ
てくださる主のない都で、花を咲かせてなんとしまし
ょ
う。匂いを起こしてなんとしまし
ょ
う。東の風で、主に届くはずもない、この距離で」
「嗚呼」
ため息が喉の奥から漏れる。息を吸い込めば、甘い香りが鼻をつく。
「おまえは」
それは梅の花の香りである。甘い香りが私の全身を包み込む。
どうしようもなく、私はただ女を抱きしめた。
「ああ。もう目がかすんで参りました。足ももう動かなくなりました。主よ、どうぞお離れください」
女は名残を惜しむように背に腕を回したあと、そ
っ
と私の胸を押す。
「さようなら。なんとも幸せな、生き様でありました」
とん。と軽くつかれてたたらを踏む。東から風が強く吹き付けて、女の体を揺らす。途端、女の体が変化した。
……
細い腕がねじくれ細い枝と化す。それは天を求めるよう高く高く伸ばされた。柳のように細い腰は同じくねじくれ古ぼけた幹となり、髪は緑の葉とな
っ
た。
お慕いを。と呟いた赤い唇と目元の紅は紅梅と化し、白い頬は白梅と化す。
東風の吹き終わる一瞬で、女は古ぼけた梅の木と化していた。
「おまえは」
今が盛りと、花は咲く。古いが美しい花を咲かせる梅の木であ
っ
た。
紅梅と白梅を咲かせる、珍しい梅の木であ
っ
た。
都にある頃、庭に咲くこの花を私は愛でた。都を去る際、この梅とともに行けないことを泣くほどに悔やんだ。
せめて都の地で花を咲かせよ、私がおらずとも匂いで満たしておくれと願
っ
て去
っ
た。
都に残した私の佳人である。
しかし今、木は限界を迎えていた。人と化したことが罪であ
っ
たのか私を愛したことが罪であ
っ
たのか、神ではない私には分からない。
ただ、最後を誇るかのごとく、枝には満開の可憐な花が揺れる。おそらく、もう来年からこの木は花を付けまい。
丸い花が綻ぶように、女が笑うがごとく開く、香を立てる。
「おまえは、私を追
っ
て、来たのだなあ」
乾いた枝を抱きしめて私は泣いた。その体に、花はちらちらと舞い落ちる。
それは一瞬の逢瀬である。
そして、何年もの時が経
っ
た。
「花も付けない木など、早く切ればいいものを」
近侍は皮肉を込めて庭を見る。それを私は笑顔で止めた。
「いいんだ」
それは東風の風がそろそろ吹こうかという季節。
私はもう、立ち上がることもできず、ただ庭を眺めるのが毎日の楽しみである。
「冷えます。閉めさせますか」
「いいんだ。もう少し、花を眺めていよう」
「花など
……
」
近侍は言いよどみ、やがて口を閉ざして去
っ
た。
一人きりになると、途端に音が減る。
ただ私の喉に走る不快な音と、心の臓がはじけるような音。そして風に梅の枝がきしむ音だけが耳に届くばかり。
「そろそろ春だなあ」
庭にあるのは、ただ一本きりの梅の木である。
ただし、その梅の木はもう花を付けない。立ち枯れたように、ただ茶色の塊とな
っ
てそこにある。
しかし枝だけはし
っ
かと天を指している。それはまるで、仏を拝むその手の形に似ている。
「おまえも今日は泣いている」
枝に夜の霜が浮かんでいる。まるでそれは涙のごとく幾筋も枝を垂れる。
私の両の目からも、熱い涙が転がり落ちた。
「あの日も、こんな夜だ
っ
た」
天には美しい春の月。
「そうだな。東風が吹けば
……
」
苦しくなる胸と都への郷愁も恨みも、東風が蕩けさすに違い無い。
そうなれば、胸の奥に残る思いはただ一つ。
「今度は私が、おまえに思いを届けよう」
手に掴む、数珠はかつての女の置き土産。
梅の枝のごとく天に伸ばした腕に数珠が鳴る。
やがて、気の早い東風が数珠をならす。そのとき、私は確かに懐かしくも甘い香りと、かの佳人の姿を見た。
しかしその光景も、ただ月の明かりが見つめるのみである。
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