スカーフェイス
河川敷近くに複数の警察車両が駐車し、振興住宅地の牧歌的な風景を脅かしている。制服警官が立ち働く中、覆いをした担架が運ばれていた。シー
トのふくらみは大人だとすれば、かなり小柄である。では、子供だろうか。規制線の周囲に集まった住民たちは水難事故の顛末を噂する。
これが小学生、山形敏夫の夏季休暇に起こった災難の発端だった。
「……嫌だ」
隣り合って歩いていた敏夫の母親が歩みを止める。敏夫は母親の視線を追った。商店街の人波を割るようにして進む男の姿が見える。『ゴローさん』だった。
『ゴローさん』は、トタン屋根の家に父親と二人で住んでいる。家の周囲で畑仕事をしている年老いた父親を敏夫はよく目にしていた。
母親は敏夫をともない、雑貨屋の店先に避難する。酔漢特有の臭いが店内にまで流れてきた。ガラス戸越しに敏夫は通りをうかがう。『ゴローさん』は丸坊主に頭を刈り、たっぷり贅肉のついた大きな体へ薄汚れたコートを引っかけていた。顔を流れる汗の間に、こめかみから顎にかけて醜い傷痕が走っている。
「あれで大変な地主なんだ。駅のほうにも土地を持ってる」
雑貨屋の店主の話に母親は相槌を打っていた。
二週間としないうちに河川敷は平静を取り戻していた。しかし、敏夫と彼の級友は、この騒動に興味津々である。殺人事件と決めつけ、実況見分と称して川の周辺を歩きまわった。
「死んだの二年下の女子だって」
多賀谷浩は、わけ知り顔である。
「敏夫の家。この近くだろ? なんか知らねえ」
知らないと答えるのも業腹だった。敏夫は考えを巡らせる。
「……実は俺。犯人を見たんだ」
敏夫は夏休みに入ってから、ある悪夢に悩まされていた。誰かに打ち明けたかったが、臆病だと思われるのは癪である。
「マジで?」
そこで敏夫は、事件の話に混ぜて憂さを晴らそうと画策した。
「うん。前の日の夜、便所に起きたんだけど、そしたら子供をおぶった男が庭の垣根のところを歩いてたんだ」
「子供って女?」
「ワンピースだったから女だと思う」
川波を下に道路橋を渡る。
「顔は? どんなヤツだった?」
「はじめは、暗くてよく見えなかったけど、街灯の下へ来たとき」
「見たのか!」
大声に驚き、敏夫と浩は振りむいた。ポロシャツを着た中年の男が、緊張した面持ちで近づいてくる。
「見たのか? 顔を!」
男に肩を掴まれ、敏夫は小さく悲鳴をあげた。浩は逃げようかと迷っている顔である。
「……夢だから。ちゃんとは見てないけど。……顔に大きな傷が。……傷が光ってて」
答えを聞いた男は長いため息を吐いた。敏夫の肩から手を離す。
「夢? きみは何を言ってるんだ? ……人が死んだんだよ。少しは考えてくれ」
男に謝罪を投げつけ、敏夫と浩はかけ出した。敏夫は次の週の登校日になるまで、男の素性を知らずにいたのだった。
登校日当日、敏夫はひさしぶりに早起きを強いられた。暑気で食欲はない。朝食の皿を緩慢につつきながら、居間のテレビを見るともなしに眺めていた。
『……過失致死と死体遺棄の疑いで』
見覚えのある風景をバックに連行される被疑者が大写しになる。
「おじさん?」
敏夫に食ってかかってきた中年の男だ。男は泣いている。不定形な曲線が男の目から顎を汚していた。顔に残る涙の筋は、薄暗い街灯の下であれば、傷痕と違えたかもしれない。
『長女の首を絞め殺害、……川へ死体を投下』
光る涙は、まるで男の罪状のようだった。(了)
【次のお題】『禍を転じて福となす』