クリスマス・キャノン -A Christmas Cannon-
スグル爺は、ぼ
っちであった。スグル爺は陰険で、自分勝手で、守銭奴の気質もあり、街中の嫌われ者……でさえなく、彼は誰の視界にも登場することなく金貨を数えていた。
唯一の友人である丸井は、七年前に死んだ。しかしスグル爺は、その葬儀に出るのも渋るほどの出不精であった。彼が通る道は、家と経営している事務所の間だけであり、そこから逸脱したところへ逸れることなどは、彼の足が許さなかったのだ。
雪が降りしきる。その晩はクリスマスイブであった。事務所で雇っている倉知透(くらち・とう)という男が、なにやらそわそわしている。スグル爺は倉知の様子に気づくことなく、ずっと金貨をいじっていたのだが、ついに倉知が切り出した。「スグルさん、明日、お休みをいただきたいのですが……」
この晩がクリスマスイブということは、明日はクリスマスということである。かの有名な性夜ではないか。おとなしく地味な男だと思っていたのに、この倉知なる男もまた、恋人とちちくりあって一日を浪費する魂胆なのであろう。「いえ、恋人ではなく妻です」そうかこいつは新婚だった。
スグル爺はひとり寂しい家に帰った。暗く冷たい家のなか、されどスグル爺はいやしい笑いで口の端をゆがめていた。あはは、あの倉知に、明後日の労働時間の倍増を約束付けてやったぞ。一日休むのであれば休んだ分を翌日に持ち込むのは当然のことである。
「スグルー爺」
その途端だった。不気味な声が玄関から聞こえたのは。
泥棒か! スグル爺の顔に緊張の色が現れた。しかし家のなかが暗かったのでその表情を見る者はひとりもいなかった。というか家には誰もいなかった。
「スグルージー」
スグル爺は、その声に聞き覚えがあることに気付く。この声は、そうだ……。
「丸井? 丸井なのか」
玄関先を見ると、そこには七年前に死んだはずの丸井がいた。しかし、七年前の姿と違い、顔は白く、透けて見え、影もなく、もはや彼が影のようなもので、ぼっちここに極めりの有様であった。
「スグル爺、おまえはこの私よりも悲惨な最期を遂げることとなるだろう」
おどろおどろしく、丸井が言う。声が奇怪なきしみを見せていた。
「いきなりなんだというんだ。おまえは死んだはずだ」
「そうだ。私は亡霊だ。私は悔恨を残している。もっと人付き合いを大切にして人生を過ごしてゆくべきだった。私の葬儀は悲惨なものだったのだぞ。共に事務所を立てた仲間は、ついぞ私を弔いに来ず、あまつさえ私の遺産をくすねていきおった」
丸井がじろりとスグル爺をにらむ。目玉が一部欠けていた。
「まあ良い。金はあの世へまでは持っていけないのだ。……今夜、おまえのところに三人の精霊が訪れるだろう。私はそれを伝えに来たのだ。死後の世界は苦しいぞ。このままではな。生きているうちに人脈を作っておかないと、あの世ではとかく生きづらいのだ。ぼっちは死んでもぼっちだったのだ」
それだけ言って、丸井は消えた。なんだったのだろう。幻影だろうか。それにしては良くできた幻影であった。まったく嫌なやつだ。死んでもまったく嫌なやつだ。
スグル爺は照明をつけようと思い立った。夜である。性なる夜であろうがなんだろうが、夜であることに変わりはない。窓の外は暗黒だ。真っ白な降り積もった雪が、暗闇に溶ける。
しかし妙なことがまた起こった。照明を灯すと、その照明が動き出したのだ。それは照明ではなく光っている頭部だった。
頭部がこちらを向く。スグル爺は飛び上った。それには顔もあったのだ。幼くも年老いた顔をしている、小柄の人間のようだった。
「おまえは誰だ。いったいどこから入った」
丸井の言葉を思い起こしながら、スグル爺は問いかける。光っている人間は、光を発し続けながら、
「私は友情の精霊さ」
と言った。
「面倒な質問は受け付けない。さあ、さっそく行こうじゃないか」
「どこに?」
「きみがぼっちでなかった時代にだよ」
精霊が手を差し伸べた。気づくと精霊の足は床についていなかった。まさか本当に精霊なのか、とスグル爺は思う。思うと同時に、スグル爺の足も床から離れていた。精霊が光り輝きながらスグル爺の腕をつかんだのだ。
窓がひとりでに開いた。冷たい風がなだれこんでくる。粉雪が舞った。精霊が窓から飛び出した。スグル爺の体がさらに持ち上がる。離せ、離せっ。スグル爺は喚くが、精霊は耳を傾けない。
スグル爺がぼっちでなかった時代――。友情の精霊は、確かにそう言った。スグル爺は喚きながら、考える。しかして自分に、ぼっちでなかった時代などあっただろうか?
その懸念は、次第に表出しだしてきた。精霊が顔をしかめ、冷や汗を垂らす。ついには顔を青ざめた。精霊はスグル爺をつれて時代を遡りながら、スグル爺の楽しかった友情の時代を探すのだが、ついに赤ん坊の時代にまで戻ってしまったのだ。
「ああ、なんということだ……」
精霊が言葉を漏らす。時間遡行を終え、スグル爺生誕のときで立ち止まる。もう帰るしか道はなかった。彼にぼっちでない時代などなかったのだ……。
しかし、その状況を打破したのは奇しくもスグル爺のほうだった。
「おお。そうか。私にもこんな時代があったのか!」
スグル爺は心にひろがる感慨を確かに感じ取った。
スグル爺は看護師とコミュニケーションをとっていたのだ。看護師が笑いかけると、スグル爺は大きく泣き出した。それは笑いかけられたことに対して泣くという、明らかな感情の応酬であり、健全なコミュニケーション、しかも心からの、なごやかな、ぼっちでない瞬間だったのだ。
スグル爺は揺籃のなかにいた。友情の精霊はどこかへ消えていた。スグル爺は彼が役目を果たしたのだと思った。実際には精霊は、自分の手に余る者から逃げたにすぎないが。
揺籃のなかに、二人目の精霊がでんと座っていた。今度は巨躯をした精霊だった。
「私は二千人以上の兄弟がいるが、会ったことはあるか」
と聞く。スグル爺は首を振った。
「そんなことはどうでもいいのだ。おまえなんぞに語る必要などない。沈黙は金だ」
大男は、愛の精霊だと名乗った。精霊の周りは、財宝の山や、見るも美味そうなご馳走が並んでいる。精霊はそれらを豪快に口に入れ、さらに巨躯を巨大にしていった。
「おまえが苛めているという、倉知透の様子を見せてやろう」
精霊はスグル爺を乗せたまま揺籃を飛ばし、現代の倉知宅へ向かった。倉知はスグル爺の事務所に勤めていることからも察することができるように、就職には恵まれなかった。落とされ、落とされ、落とされの就職活動。ひとつ次の卒業生と就活をともにせねばならない焦燥。そういった苦渋のなかで、ようやく雇われたのがスグル爺の事務所であった。彼にはつい最近まで女と時間をともにする時間などなく、そして仕事が決まった後であっても、スグル爺の酷使のためにろくな時間も作ることはできなかった――。
「ここだ……」
倉知宅に到着した。倉知の家を覗く。
やはりその光景は性なる夜そのものであった。
スグル爺がうなり声を上げる。
「なぜこんなものを見せるのだ!」
スグル爺は憤慨し、必死に光景から目を逸らす。彼はいまだD.T.であったので、この場面に免疫がなかった。
「ふぉっふぉっふぉ。天には栄光、地には平和だ」
愛の精霊の羽織っていたローブから、二人のこどもが飛び出てきて、走り去って行った。それを良い機会とばかりに、適当にはぐらかしながら彼らを追いかける。スグル爺から退却する。
精霊は走りながら倉知たちに思いを馳せる。倉知は精霊の目からも陰気な男だとばかり思われており、どうせ婚約したといってもお見合いやら出会い系やら、婚約者といえそう簡単に性夜を享受できる間柄ではないものだと思っていたのだ。だからスグル爺に、職場での酷使を思いとどまらせるためにここに連れてきたのだ。しかして実際はもういつ爆破されても不思議ではない愛のあふれようだった。
「なるほど幼馴染だったのか……」
巨躯が闇へと溶けていく。
最後に現れたのは黒の精霊だった。
「友情の精霊も、愛の精霊も、いつにも増してしょうもない失態が目につく。それはなぜか。今日が性夜であるからに他ならない。わかるか。ぼっちにはわかるまい。いや、ぼっちだからこそ、むしろわかるものでもあるかもしれない。さあ、わかるのならば言ってみよ」
スグル爺は、黒の精霊がなにを言っているのか理解できなかった。そもそも、黒の精霊、とはなんだ。友情ときて愛ときて、なぜここで黒となるのだ。
黒い布を纏った精霊は、まるで死神のようだった。
「わからないのならば、教えてやろう。精霊もまたぼっちなのだ。このような夜におまえのような残念なおいぼれの面倒を見てやらねばならない。しかも今年に至っては連休明けだ。そりゃあ疲れるし失敗もする。だから私は仕事をさっさと済ませてしまおうと考えた。ほら、私の仕事というものはおまえにぼっちであることを顧みさせ、あわよくばぼっちから脱却させる意志を植え付けることであった。しかしもはやそれが不可能であることは、前の二人の精霊が証明している。だからおまえには、これを授けようぞ。これこそおまえにふさわしい道具であるに違いない。そしてそれを用いてこの性なる夜に、盛大な花火を散らしてやるのだ。さあ、行け!」
とまあ、雄弁な黒の精霊は、スグル爺にキャノン砲を授けたわけである。
これが、後にぼっち聖戦と呼ばれるようになった悲劇がはじま