第17回 てきすとぽい杯〈GW特別編〉
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そうやって大人になっていく―丁稚安吉の場合
志菜
投稿時刻 : 2014.05.03 23:38 最終更新 : 2014.05.06 23:58
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- 2014/05/06 23:58:59
- 2014/05/06 23:44:52
- 2014/05/03 23:38:03
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 晩御飯の後、夜間の寺子屋へ向かおうと用意をしていた安吉に丁稚仲間が声を掛けた。
「安松、お前、呼ばれてるで」
 顔を上げると、階段口から先輩分である手代の顔がひいと覗いた。
「安松、お前に客人や。すぐ降りてこい」
 こんな自分に誰だろうといぶかりつつも、「へ」と返事を返して急いで狭い階段を駆け下りる。
 土間にいたのは、同じ長屋に住んでいた彦太の父親であた。彦太とはいつも遊ぶ中であたが、朝は早く帰りはいつも遅い左官職人である彦太の父親とはほとんど話したことがなく、安吉は戸惑いながらも頭を下げた。
 彦太の父親と話していた番頭が振り返る。四角いその顔に、気遣うような色が浮かんでいることに安吉は気付いた。
「来たか、安松。ええか、気を落ち着けて聞くんやで。お前のお袋さんが怪我をしたらしい。材木問屋の前を通とる時に、木材が倒れてきてその下敷きになたんやて。近くにおた人らが戸板に乗せて運んでくれはたらしいねんけど、どうもあんまりええことないらしい。このお人は同じ長屋のお方やろ? わざわざ知らせに来てくれはたんや」
 安吉はすと血が引くのを感じた。息を詰めながら、沈鬱な表情の彦太の父親の顔を見上げる。彦太の父親は小さく顎を引いて頷いた。
 安吉の肩に手をおきながら、番頭は言た。
「旦さんは寄合で出てはるけど、わてからちんと言うといたるから今夜は家に帰たらええ」
 声も出ぬままに、安吉は番頭に向かて深々と頭を下げた。

 提灯の灯りに照らされながら、安吉と彦太の父親は夜道を急いだ。長屋に辿り着いた時には四ツ時を少し回ていたが、安吉の家には数人がいるようであた。
「千五郎はん、安坊が帰てきたで」
 近所の女房の声に出迎えられて、安吉は押し出されるようにして家の中に入た。奥の板間に母親は寝かされており、その傍に父親の千五郎と医師らしき男が腰を下ろしていた。
 母親は薄い布団に寝かされて、目を閉じている。
「お、お父ちん、お母ちんは……
 震える声で言た安吉に、父親の代わりに医師が答えた。
「心配ない。ちと胸を強う打ただけや。二、三日横になてたら大丈夫やろ」
 唖然としながら父親の顔を見ると、困たように微笑みながら父親も頷く。
……と、うろたえてもうたわ。悪いな、お前まで帰てきてもろて。芳次郎はんも、わざわざ呼びに行てもろてすんまへんでした」
 安吉の後ろに立ていた彦太の父親を振り返ると、小さく微笑みながら頷き、手を上げて出て行た。
「す、すんまへんでした。ありがとうさんどした」
 安吉も彦太の父親の背中に頭を下げた。と、戸口から彦太がひいと顔を覗かせる。
「おかえり、安ちん。おばちん、たいしたことあらへんかて、良かたな」
 ようやく安吉はほとして、彦太に笑いかける。心配して集まてきていた長屋の連中たちも、皆、笑みを浮かべて自分の店に戻ていた。
 外に出た安吉は、それらの人々に頭を下げて見送た。
 安堵した途端に、安吉は先日からの懸念を思い出した。例の幽霊屋敷での一件である。
「お父ちん、ちと外に出てるわ。お母ちんが起きたら呼んでもろてええかな」
 頷くのを見届けて、彦太の肩を抱いて歩き出す。どぶ板の上を通て奥の井戸へと向かう。
「彦太、ちとええか。聞きたいことあるんやけど、最近、辰兄の様子、どないや?」
 真先におみよの様子を聞きたいところであるが、彦太相手に気恥ずかしい感じがして、安吉はあえて辰兄のことを尋ねた。彦太は首を傾げる。
「なんや最近は忙しいみたいで、ここにもあんまり戻てへんみたいやな。うちのお母ちんが賭場にでも入り浸てんちうかて言うてたけど」
「賭場……
 暗がりの中で、安吉は彦太の顔を見つめる。安吉より二つ年下だけで、そろそろ奉公話が持ち上がる頃であろうが、彦太はその辺りの七歳より幼く感じられる。安吉は辛坊強く尋ねた。
「わては、ここを出て行く時に言うたな? 辰兄に気をつけろて。おみよを頼むて。幽霊屋敷での事件を忘れたわけやないやろ?」
 叱られたと思たのか、彦太の声に拗ねるような響きが混じた。
「そやかて、わいもいろいろ忙しいし。そや、おみよ言うたら、この間、辰兄と話しとたで。何や、辰兄が熱心に色々言うとたみたいやた」
「あほか、お前は、わてはそれを言うとんじ。何を話しとてん」
 むとしたように黙り込んだ彦太に、安吉は声を潜めて言葉を続ける。
「あんな、ついこの前、偶然辰兄に会うたんじ。そのとき辰兄は近々、大金が手に入る当てが出来たと言うてた。幽霊屋敷での人さらいの中に辰兄がおたんやないかとわては思てる。お前、どう思う?」
「そんなん分かれへん、言うてるやろ。あん時かて逃げることに必死で後ろを振り返ることなんかできんかたし。……でも、辰兄がおたとは思えんのや。たまに顔合わせることあるけど、そんな風な感じないし。ふらふらしてるけど、前と変わらん感じで話し掛けてくれてる」
「お前なんかあしらうのわけないさかいな」
「安ちんは、分かるんか? 辰兄が何考えとるんか。ちと奉公出たから言うて偉そうに言うのやめてんか」
 とうとう彦太は本気で怒たらしい。両手をぴんと伸ばして突かかるように安吉に言た。
「辰兄をそんなに疑うんやたら、会うたときに聞いたらよかたやろ。自分ができへんこと、人に言わんといてんか」
 吐き出すように言うと、彦太は安吉を押し退けるようにして走り去た。 
 安吉は呆然と、その小さな背中を見送ることしか出来なかた。
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