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お読みいただいた上にコメントまで、ありがとうございます。
未熟な修業中の身でありながら自作について語るのも僭越ですが、ご質問頂けたことに意を強くしていくつかお話させていただきます。
「物の見方の違い」は小説においてそれぞれの「個」を際立たせるための重要な要素ですが、特に男女によっても明らかな違いがあります。一般的に男性よりも女性の方が「関係性」への意識が敏感だと言われます。私もそう思いますが。たとえば「不倫」という状況があったとして、当事者になった場合、男性は「不倫」の事実(具体的には性行為)の有無にこだわりますが、女性は事実そのものよりもそれによって「関係」がどう変化するかの方により意識が向きます。
妻の「不倫」がばれた状況で、夫は不倫の事実に激怒して妻を責めるものの、妻はむしろ平然と事実を認めた上で「で、どうするの?このまま続ける?それとも別れる?」と言ったりします。夫からすれば何を開き直ってやがるんだとさらに逆上しますが、妻からすれば不倫の事実は何を言ってもいまさら動かしがたいわけで、その先をどうするの、と尋ねているわけです。妻にとってはいつまでも事実の部分にこだわっている夫が女々しく思えるでしょうし、夫にとっては事実について弁明もしない妻への憎悪を掻き立てられるでしょう。
おそらくこういった部分は理解し合えないのではないかと思います。その上で、それぞれの気持ちのありようをきちんと描くことで小説のリアリティが生まれると思います。法的措置が目的でもない限り女性は「事実」にこだわりませんし、もしやたらとこだわる女性を描いてしまえばどこか不自然な作品になってしまうと思います。
拙作の主人公が最後に変わってしまう部分ですが、手っ取り早いのは今まで誰とも付き合ったことのない女の子と恋愛関係になってみればお分かりいただけるのではないでしょうか(犯罪はまずいですが)。それまで思っていたこと、それまで生きていた関係性が不意に遠のく感覚は、体験してみれば意外と不思議ではなく受け容れられると思います。
いろいろなひとと喧嘩したり付き合ったり、友だちになったり別れたり、離れた位置からこちらを見つめているひとに話しかけたり、そんなこんなの中で「面白いなぁ」という気持ちを持ち続けることができれば、「人間なんてこんなものだ」という閉じた考えに引き籠らなければ(その方が楽ですからね)、食い違いや誤解も含めて「訳の分からない」モチーフがそこらじゅうに転がっているのに気づくのではないでしょうか。
ものを見る角度がオリジナリティだとすれば、角度は無限にありますから、オリジナリティもまた無限ということになります。そんなことを思いつつ、なかなか思い通りにはいかないまま、試行錯誤を重ねています。
お答えになったかどうか甚だ疑問ですが、そんな失敗の連続の上に書かれたものだとお思い頂ければ宜しいかと思います。
長文、失礼いたしました。