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エピローグ
「みやさん! また、ユリコさんにポテチ食べさせたでしょ!」
そう騒ぐな。年寄りにがなり声は、朝っぱらから少々、つらいものだ。それに、俺が食べさせたのではない。自ら、袋に頭を突っ込んで貪り食っている場面を俺はついさっき見たのだ。
「猫に、こういうのはダメだからな。まったく……目を離したらすぐにこうなんだから……」
湿り気のあるティッシュで、メス猫の口の周りを吹きながら、男がブツブツと不平を言う。確かに、そいつにポテトチップスの味を覚えさせたのは俺の所業ではあるが、メス猫専用の餌まで用意されて、戸棚のポテトチップスを盗み食う真似を教えたつもりはない。
毎度毎度の騒々しさに、俺は少し嬉しく思った。
メス猫がここに居着いて、はや一ヶ月というところか。最初は、男もすぐにいなくなるだろうと踏んでいたようだが、ソファーの上に身を投げ出して寝ている姿を見て、飼うことを決めたようだ。
あれから『彼女』の声は聞かない。至って、普通のメス猫だ。そういえば、旅路をゆく彼女は、どこか急いでいた。足を怪我しても、空腹も耐え、疲労にも耐え、ただひたすら歩き続けていた。
あれは、『彼女』でいられる時間がなくなっていくという恐ろしさがあったのではないかと、俺は分析する。現に、今の彼女はただのメス猫だ。『彼女』でいられるうちに、もう一度、男に会いたい。そう考えれば、すべてに合点がいくのだ。
が、本人と対話ができない以上、どこまで行っても推論の域を出ない。『彼女』に呼びかけてみれど、相変わらずのミャアミャア声なのだから。
けれど、俺は信じたいのだ。命の不思議さを。
幸い、まだ俺はこうして息をして暮らしている。いつ、その日が来るのか、それは来てみなければわからない。それでも、もうしばらくだけ、この部屋で奇妙な同居人たちと暮らしていたいと思う。
俺は鴉。年老いた、けれど人生の大半を人間と生きた鴉。鴉史上初だろう。魂などという、人間の思想を信じる鴉は。
だが、それも悪くない。
俺は、静かに遠ざかる喧噪のなかで、そっと目を閉じた。『彼女』の声を聞きながら。
(了)
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