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6 俺は君と旅する
ポテトチップスを口に結わえて、俺は夜の空を飛ぶ。あれから、メス猫はちゃんと寝床を見つけただろうか。さっき、別れた場所まで戻ってくるが、メス猫の姿はない。周囲を飛び回ってみるものの、それらしい影は見えない。
メス猫はもはや限界のようだった。足取りはどんどん悪く、なんども地面に倒れ込みながら、脚を引きずるようにして、先に進もうとしていた。あの様子では、飯どころか、ろくに睡眠も取ってはいないだろう。いつから、ああしているのかはわからないが、このままでは行き倒れがいいところだ。
草むらや木の上をあちこち。けれど、メス猫の姿はやはりなかった。もう、ほかの動物にやられたか。俺は最悪な想像をしてかぶりを振って、その衝撃で一枚、ポテトチップスを飲み込んでしまう。
『うめぇ!』
バカか。俺は。
口に咥えているポテトチップスを地面に落として、数を数える。残り三枚。ポテトチップスはたしかに美味だ。だが、俺はいつでも食うことができる。むしろ、すでにたらふく食った。これは、メス猫のぶんだ。
もう誤飲してしまわないように、慎重にポテトチップスを咥え直して、メス猫の行きそうなところを考える。あの感じでは、どんな身体になろうと、目的地に向かって歩き続けるだろう。だとすれば――
俺は、最後に別れた場所にもう一度戻って、そこからまっすぐピョコピョコ歩き始める。この暗闇だ。どれだけ、鴉が闇夜に慣れていようと、あの小さな体躯は空の上からでは見落としてしまう。ならば、俺も歩こう。君と同じように。歩は、鳥の俺のほうが早いほど、疲弊していた。いつもの二倍速で追いかければ、すぐに追いつくだろう。
メス猫が歩いたであろう道を、俺は歩く。姿はないけれども、まるで君と旅をしているようだ。目的地は、俺にはわからない。もしかすると、メス猫ですらその場所をわかっていないのかもしれない。
果てのない旅。もし、メス猫が行き倒れになったら。そのときは、男の部屋に連れていってやろう。あいつは、人間の匂いを求めていた。きっと気に入るだろう。快適な部屋と、外敵の心配のない安らぎ。それに、鴉を飼い慣らした『彼女』の遺した男だ。暖かく迎えてくれる。
そうなのだ。行き場のない俺たちにも居場所はあるのだ。探し求めれば、必ず。それまで、諦めてはいけない。心が折れても、なんどもトライするのだ。そうして、たどり着いた場所は、楽園に等しい。
いや。
俺は、ふっと笑いをこぼす。そんなことは、子猫といえど、わかっているだろう。だから、歩き続けているのだ。この先の見えない旅路を。
普段、これだけ長く地面を歩くことはなかった。土。アスファルト。足元はいくつも姿を変え、その都度、脳天に響き渡ってくる。それは、あいつも同じだ。俺は諦めない。あいつを見つけて、目指すその最果てを見届けるまでは。
どれぐらい時間が経ったであろう。どれだけの決意と根性を以てしてでも、疲労というものはいきなり襲ってくる。できれば、もうこれ以上、歩きたくはない。俺はついに真夜中の街の外れで、脚を止めてしまう。これだけ歩いても見つからなかったのだ。もう、メス猫も歩くのを辞めて、どこか草陰でこれまでの疲労に眠っている頃だろう。ならば、明るくなってからもう一度――
ぐるぐると決意と諦めが頭のなかを回り始めた頃、俺はもう見慣れた身体を見つけて、老体に鞭を打って駆け寄る。
『おい、大丈夫か』
口に大切な食料を咥えていたのも忘れて、俺は口を開いてしまう。メス猫は、精も根も尽きたとばかりにぐったりと地面に倒れ込み、か細い声で呼び続けている。母猫だろうか。それとも兄弟猫。あるいは、元いた場所の飼い主に向かってだろうか。俺には、その言葉がまるで、謝罪のように聞こえた気がして、なおのこと、メス猫の身体をくちばしで揺さぶる。
『あれ……帰ってきたんだ……』
ふと生気の灯った目で、俺を見上げて、思わず安堵のため息をつく。
『だから、休息を取れと言ったんだ。急いでいる理由はわからないが、死んでしまったらなにもかも、終わりだぞ』
『彼女』の柔らかな笑顔を思い出して、俺はぐっと喉元に力を入れる。
『とにかく、これを食え。美味いぞ。疲れたときには、これだ。ポテトチップスというらしい。人間の最大の発明だ』
地面に落としてしまったポテトチップスを一枚、一枚拾い上げて、メス猫の鼻先に置いてやる。
『これ、なあに』
鼻先でポテトチップスを突いて、匂いを嗅ぐ。どうやら、それが食い物だとはわかっていないようだ。仕方ない。実演してみせるか。
俺は、一枚をくちばしで半分に割って、子猫に見せつけるようにして、ポテトチップスの破片を飲み込む。そして、大げさに、
『うめぇ!』
と、翼を広げてみせる。もちろん、それは本音であったのだが。
『食べ物? 美味しい?』
俺の演技がかった仕草に、しかし疲れていることも忘れて、子猫が不思議そうに俺を見つめる。俺は、大きく頷いて、くちばしでポテトチップスの破片を押しやる。
子猫は、なんどか鼻先で突いて躊躇ったあと、思い切ってポテトチップスの端をむしゃむしゃと食べ始める。
『わあ。美味しいね、これ!』
どうやら、俺の気持ちは通じたようだ。嘘のように、子猫はポテトチップスを食べ始め、あっという間に平らげてしまう。
『もう全部食べちゃった。でも、美味しかった。ありがと』
子猫が、お礼のつもりか、身体を起こして、俺の腹を舌でまさぐる。
『おい、やめろ! 痛い! 痛いって! 言っただろ……お前の舌は痛いんだって! 痛ァッ!!!!』
俺の悲痛の叫びは、しかし無情にも夜の闇に消えていくのだった。