5 / 10
5 君にあげられるもの
「みやさん、今日は遅かったね」
俺が部屋に戻った頃には、周囲はどっぷりと闇に浸かっていた。メス猫のことは気にはなるものの、俺は『彼女』に必ず帰ると約束している。それはつまり、男に顔を見せるということだ。『彼女』が遺した男のもとに戻るということは、『彼女』との約束を守るということ。少なくとも俺はそう解釈していた。
男は、俺が外で遊びほうけていたと思っているのだろう。俺が催促するより早く、ポテトチップスの袋に手をかける。そう、それだ。それがほしい。今すぐ出せ。
ポテトチップスの味を思い出して、俺は思わず舌鼓を打ってしまう。が、はっと忘れそうになっていたことを思い出して、俺はただでさえ男前な顔をさらにキリッとさせる。
「はいはい、お腹空いたって顔だ。ハハハ」
そんな俺の真面目な決意をちっともわかってくれないようだ。俺は、少し苛立ってポテトチップスの袋をくちばしで突く。
「待って待って。今、開けるから」
微妙に、男との対話がすれ違っている気がして、俺の明晰な頭脳も疑いたくなる。男は、『彼女』と同じ仕草でポテトチップスの封を切る。いや、この場合は、男と同じ仕草で『彼女』が開けていたのかもしれないが。なにせ、『彼女』の愛した男なのだから。
封の切られたポテトチップスの袋から、目には見えぬ、馨しい香りが立ちこめ、俺は男が手に取るのも待てず、顔を突っ込んで一枚、一枚拾い上げては丸呑みする。
うめぇ!
「本当に、ポテチ好きだよね、みやさんは」
そう言って、男は寂しそうに目を伏せる。『彼女』がポテトチップスを備蓄していたことを思い出したのか。そういう顔をしている。この男は、『彼女』のこととなると、やはりダメな人間だ。だが、当たり前だ。『彼女』が男を愛したと同様、男もまた『彼女』を愛していたのだから。それだけ、深い愛情が心の奥底まで根づいているのだろう。
俺は、男のセンチメンタルには取り合わず、むしゃむしゃとポテトチップスを貪る。なにか、大事なことを忘れている気がするが、今はこれを完食するほうが先だ。考え事は、空腹を満たしてからだ。腹減りは、思考に多大な影響を与える。明晰な頭脳をフルに活用するには、まずは食うことだ。食う。食らう。食べる鴉。
そうして、そろそろ袋の中身が空になりそうになったとき、俺は唐突にメス猫の顔を思い出して、口に取ったポテトチップスを落としてしまう。危ない。危うく、ポテトチップスの魔力にやれてしまうところだった。
「あれ、みやさん。もういいの? 珍しいなあ」
食べるのを辞めた俺を見て、袋のなかに目を落として、男が驚いた顔をする。うるさい。好きで残しているわけではない。俺だって、あともう少し味わっていたかった。だが、今は思い出した使命に、俺はぐっと本能を理性で押さえ込む。
数枚のポテトチップスを口に丁寧に咥え込んで、窓のほうに向かう。そんな俺の後ろを、男がついてきて、
「今日は珍しいことがあるね。こんな時間に、みやさんが散歩とはね。よしよし、開けてあげよう」
口の塞がっている俺のために、男が窓を開ける。夜の冷気が部屋になだれ込んで、男がくしゃみをする。外にいるときのおやつとでも思われていそうだが、いい加減、俺の背負っている使命というやつをわかってほしいものだ。
「まだ寒いから、風邪ひかないようにね。鍵は開けておくから、ちゃんと帰ってくるんだよ」
もちろんだ。俺は帰る。お前のもとに。ひいては、『彼女』のもとに。安心しろ。俺は、俺の命がある限り、お前のそばを離れない。『彼女』がお前にしたように、俺はこの部屋にいると決めた。
しかし、その対価には当然のことだが、ポテトチップスが必要だ。棚に仕舞われた残数を目でアピールする。男も、それについてはわかったようだ。頷きを返してくる。
俺は、それを見届けて、夜の冷え切った空気のなかに身体を放り出した。