第8回 文藝マガジン文戯杯「旅」
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ひとと生きた鴉
みや鴉
投稿時刻 : 2019.07.08 01:23
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5 君にあげられるもの

「みやさん、今日は遅かたね」
 俺が部屋に戻た頃には、周囲はどぷりと闇に浸かていた。メス猫のことは気にはなるものの、俺は『彼女』に必ず帰ると約束している。それはつまり、男に顔を見せるということだ。『彼女』が遺した男のもとに戻るということは、『彼女』との約束を守るということ。少なくとも俺はそう解釈していた。
 男は、俺が外で遊びほうけていたと思ているのだろう。俺が催促するより早く、ポテトチプスの袋に手をかける。そう、それだ。それがほしい。今すぐ出せ。
 ポテトチプスの味を思い出して、俺は思わず舌鼓を打てしまう。が、はと忘れそうになていたことを思い出して、俺はただでさえ男前な顔をさらにキリとさせる。
「はいはい、お腹空いたて顔だ。ハハハ」
 そんな俺の真面目な決意をちともわかてくれないようだ。俺は、少し苛立てポテトチプスの袋をくちばしで突く。
「待て待て。今、開けるから」
 微妙に、男との対話がすれ違ている気がして、俺の明晰な頭脳も疑いたくなる。男は、『彼女』と同じ仕草でポテトチプスの封を切る。いや、この場合は、男と同じ仕草で『彼女』が開けていたのかもしれないが。なにせ、『彼女』の愛した男なのだから。
 封の切られたポテトチプスの袋から、目には見えぬ、馨しい香りが立ちこめ、俺は男が手に取るのも待てず、顔を突込んで一枚、一枚拾い上げては丸呑みする。
 うめ
「本当に、ポテチ好きだよね、みやさんは」
 そう言て、男は寂しそうに目を伏せる。『彼女』がポテトチプスを備蓄していたことを思い出したのか。そういう顔をしている。この男は、『彼女』のこととなると、やはりダメな人間だ。だが、当たり前だ。『彼女』が男を愛したと同様、男もまた『彼女』を愛していたのだから。それだけ、深い愛情が心の奥底まで根づいているのだろう。
 俺は、男のセンチメンタルには取り合わず、むしむしとポテトチプスを貪る。なにか、大事なことを忘れている気がするが、今はこれを完食するほうが先だ。考え事は、空腹を満たしてからだ。腹減りは、思考に多大な影響を与える。明晰な頭脳をフルに活用するには、まずは食うことだ。食う。食らう。食べる鴉。
 そうして、そろそろ袋の中身が空になりそうになたとき、俺は唐突にメス猫の顔を思い出して、口に取たポテトチプスを落としてしまう。危ない。危うく、ポテトチプスの魔力にやれてしまうところだた。
「あれ、みやさん。もういいの? 珍しいなあ」
 食べるのを辞めた俺を見て、袋のなかに目を落として、男が驚いた顔をする。うるさい。好きで残しているわけではない。俺だて、あともう少し味わていたかた。だが、今は思い出した使命に、俺はぐと本能を理性で押さえ込む。
 数枚のポテトチプスを口に丁寧に咥え込んで、窓のほうに向かう。そんな俺の後ろを、男がついてきて、
「今日は珍しいことがあるね。こんな時間に、みやさんが散歩とはね。よしよし、開けてあげよう」
 口の塞がている俺のために、男が窓を開ける。夜の冷気が部屋になだれ込んで、男がくしみをする。外にいるときのおやつとでも思われていそうだが、いい加減、俺の背負ている使命というやつをわかてほしいものだ。
「まだ寒いから、風邪ひかないようにね。鍵は開けておくから、ちんと帰てくるんだよ」
 もちろんだ。俺は帰る。お前のもとに。ひいては、『彼女』のもとに。安心しろ。俺は、俺の命がある限り、お前のそばを離れない。『彼女』がお前にしたように、俺はこの部屋にいると決めた。
 しかし、その対価には当然のことだが、ポテトチプスが必要だ。棚に仕舞われた残数を目でアピールする。男も、それについてはわかたようだ。頷きを返してくる。
 俺は、それを見届けて、夜の冷え切た空気のなかに身体を放り出した。
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