第8回 文藝マガジン文戯杯「旅」
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ひとと生きた鴉
みや鴉
投稿時刻 : 2019.07.08 01:23
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7 旅の終わりに

 それから、俺は来る日も来る日も、子猫のもとにポテトチプスを届け続けた。メス猫の旅はいつ果てるとも知れず、俺たちはただただ歩き続けた。
 あれ以来、メス猫も休むことを覚えたようだた。安全な寝床は、俺が探し回て見つけた。念には念を入れて、そのあたりで拾てきた木の枝や木の葉を、小さな鼓動を続けるメス猫の身体にかけてやる。匂いは、どうにもならないかもしれないが、せめて姿だけは、外敵から守てやる必要があたのだ。
 そのおかげだろうか。三年前、『彼女』がこの世を旅立た日が過ぎてもなお、メス猫は歩き続けることができたのだた。俺と君が出会て、もう二週間になるだろうか。俺たちはずいぶん、いろいろな話をした。もとも、それが対話になているかは、未だ以て不明であるが。『忘れそう』
 子猫は、なにかにせつかれるかのように、俺の匂いを嗅ぎ回り、そして体中を舐め回した。その都度、俺は悲痛な叫びをあげるのだが、いつまで経ても、子猫がそれを辞めることはなかた。
 俺はいつか、メス猫に聞いた。
『なぜ、匂いを嗅ぐ』
 それに対して、メス猫は非常に簡潔に応えた。
『知てる。あなたの匂い』
 俺には、ついぞメス猫が言おうとしている意味はわからずじまいであたが、とにかく人間の匂いが気になるのだろう、と勝手に解釈しておくことにした。
「みやさんが甘えてくるて珍しいね」
 不本意ではあるが、人間の匂いが好きだと言うのなら、俺はこうして、男の身体に身を寄せて、匂いを強めてやるほかなかた。男は、俺が甘えていると勘違いして、喉元や頭。身体を優しく撫でてくるが、正直なところ、とても心地の良い気分ではあるものの、俺は憮然とその行為を受け入れるしかなかたのである。
『違う匂い。でも、知てる』
 俺の身を挺した行為もあて、メス猫はますます激しく匂いを嗅ぎ回り、そして舐め回した。体中を這い回る痛みは別にしても、どうやらメス猫にとての最適解だたようで、俺はメス猫の旅路が有意義なものになると確信していた。
『あなたの匂い。忘れても思い出せる』
 子猫は時折、不思議な表情で俺を見るようになた。疑問を呈しているわけでもなければ、俺のなにかを不審がているわけでもなかた。俺は、メス猫のその顔が気になて、なんども問いかけたが、やはりその真意を知ることは、今後なさそうに思えた。
 あるとき、小休憩のため木陰で腰を下ろしていたとき、俺の翼の古傷に気づいたのだろう。メス猫が鼻先で俺の翼を優しく突く。
『痛かたね。ここ』
『彼女』があの日そうしたように、メス猫がまるで俺を労るかのように舐めた。心配されるのはそれほど悪き気はしない。相変わらず、メス猫の舌はざらついていたが、そのときばかりは文句のひとつ漏らさず、彼女のされるがままになることにしたのだた。
 そうして迎えたある日の晩。
 メス猫が不意に脚を止める。俺の身体を嗅ぎ回るのと同じくらい、激しく鼻先を動かして、懸命に周囲の匂いを嗅いでいる。
 実のところ、メス猫は特に根拠もなく歩いているものだと思ていた。が、どうやら、それは見当違いだたようで、彼女には彼女の、ちんとした道しるべに従た旅路だたようだ。
『近いのか?』
 これまで見せたことのない彼女の反応に、俺はこの旅の終わりを感じていた。気づけば、すでに春が夏に変わろうとしていた。じめじめと沸き返る空気と、照りつけてくる日射しは、まさにそのときを知らせようとしていた。
『たぶん』
 珍しく、俺の想像通りの返答だたに違いない。俺たちは、互いの対話に疑問を挟むことなく、周囲を見渡す。人間たちが無尽蔵に建て続けた、無機質な建造物がそそり立つ、その中心とも言える場所に俺たちはいた。
 鴉と子猫。その組み合わせは人間たちにとて、非常に奇異に見えるのだろう。四角い機械を俺たちに向けて、カシカシ音を立てている。あるいは、俺を子猫から引き離そうとして、手で追い払われたり、棒で突かれたりしたが、メス猫は体毛を逆立てにして、人間たちを威嚇してくれただけで、俺には十分だた。
 ほとぼりが冷めるまで、その場を離れて、上空から子猫の様子をうかがう。それでも、石を投げてくる輩もいたが、時間が経てば、やがて興味を失て、もしくは彼らには彼らにも行く場所がある。辛抱強くそれを待て、子猫の隣に戻れば良かた。
『ひどいね!』
 出会た頃よりも体躯が良くなたメス猫が、感情的にフーと声をあげる。
 所詮、人間は人間。鴉の天敵だ。そして、『彼女』のように辛抱強く、子猫に寄り添うことのできる人間は、この世にはただひとりしかいないのではないかと思えてくる。
 いや……男にも帰るべき場所があるわけだから、子猫にとて、あの男もほかの人間と変わらない存在であろう。当然だ。男にとても、このメス猫はなんのゆかりもない、ただの野良猫にしかすぎないのだから。
 そこで、俺はふと、この景色が見慣れたものであることに気づいた。ここは――
 男の部屋の近くじないか。
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