第8回 文藝マガジン文戯杯「旅」
〔 作品1 〕» 2 
ひとと生きた鴉
みや鴉
投稿時刻 : 2019.07.08 01:23
字数 : 17362
5
投票しない
目次
 1 
 2 
 3 
 4 
 5 
 6 
 7 
 8 
 9 
 10 
全ページ一括表示
4 / 10
4 君の旅する理由

『あなただあれ?』
 残念ながら、俺には猫語が理解できないようだ。ただの鳴き声にしか聞こえぬ。が、人間と暮らしてきたというアドバンテージが俺にはある。視線。目の形。耳の向き。表情。ひとつひとつの仕草。それらすべてを加味した結果、どうやらこいつは、俺が誰なのかを聞いているようだた。だから、俺は返してやた。俺は鴉。人間飼いの鴉だ、と。
『わからない。だあれ?』
 言葉が通じないのは、メス猫も同じのようだ。先ほどと同じような疑問を口にした。気がする。もとも、こちらが敵ではないと思てくれたようだ。俺の周囲をぐるぐる回て、鼻先を突き出して、匂いを嗅いでくる。
『知てる。この匂い』
 鼻先の動きを止めて、おちん座り。ニオンとひと鳴き。匂いでなにか、気づいたことがあるようだたが、それがなんなのか、まではわからなかた。
『匂いが気になるのか?』
 俺は無駄だと思いつつも、紳士な俺は律儀に返事を返してしまう。その言葉に、メス猫はまた首を傾げる。だが、今度はさらに俺の身体に近寄て匂いの正体を突き止めようと、せわしなく鼻先を動かす。やがて、ざらりとした舌で舐めてくるものだから、俺は飛び上がて思わず、羽根をバサバサとする。
『いきなり、ひとを舐めるとはいい度胸だ、メス猫。いいか、覚えておけ。お前の舌は痛みが強い。舐める前に、一言告げるべきだぞ』
 いつもの癖で、つい饒舌に諭してしまう。鴉史上初だろう。猫を説教する鴉なぞ。人間と暮らし始めて、鴉史上初な出来事に遭遇することが多くて、それはそれで退屈しなくて済むが。
『知てる匂い。これ、なあに?』
 メス猫は、俺の説教はどこ吹く風。どこか嬉しそうな顔で匂いを嗅ぐ。懐かしがているような、それでいて安心するような。そんな匂いに感じているようだ。最初は、汗臭かたかとか、そちらのほうを気にしたのだが、『彼女』同様。男も綺麗好きなようで、週に1回は風呂というものに入れさせられる。初めて生ぬるい水をかけられたときには暴れてしまたが、男は幸運だ。すでに、俺は風呂というものに慣れていたのだから。
 つまり、俺の身体からは野生から遠ざかた匂いがぷんぷんしているわけだ。こいつも、人間飼いなら、風呂というものに入れられてたことはあるだろう。だから、懐かしくて安心する匂い。それは――
『人間の匂いがするだろ? お前もよく知ているはずだ』
 俺の言葉に、きとんとしてメス猫は目を丸くするが、ややあてなにかを理解したのか、ニオンと鳴いてまた歩き出す。その後ろ姿を、ピコピコと俺はついていく。端から見れば、子猫をつけ狙う嫌らしい鴉にしか見えないだろう。だが、今はそれで十分だ。外敵に狙われる確率はこれで下がるわけだから。
『お前。足、怪我しているだろ。そんなに急いでどこに行くんだ?』
 せこせこと前を歩く子猫に問うてみる。
『なんでついてくるの?』
 歩は止めず、メス猫がちらりとこちらを見て鳴く。不思議そうな表情だ。これは、話が終わたのにずとついてきている理由を聞いているのだろう。俺の明晰な推理が果たして、どこまで正解なのかはわからないが、とにもかくにもこうして奇妙な会話が成り立ている。俺はちと得意げな顔で、
『お前に聞きたいことがあるんだ。なあ、どこに行くつもりなんだ?』
 と、同じ疑問を口にする。なんども言ていれば、そのうちこいつも気づいてくれるんじないか。そういう淡い期待をこめて。
『わかんない。でも、あなたは話してくれる。えとね。行くところがあるの。どこかわかんないけど。変だよね? でもね。こちで合てると思うの』
 メス猫が珍しく、長く喋る。もしかすると、俺の疑問に見当がついて、正解を話してくれているのかもしれない。が、顔が見えない以上、推理することはできない。
 俺は、メス猫よりもさらに足早に横を通り過ぎて、振り向きざま、後ろ向きにピンピン跳ねながら、子猫の歩調に合わせる。これで、俺の明瞭な観察眼は世界一になる。
『すまない。もう一度、言てくれないか。お前のケツしか見えてなかたんだ』
 そう口にしてから、メスと交尾をしたがるオスのような言い方に、俺は苦笑いする。だが、ケツはケツだ。それ以上でもそれ以下でもない。メス猫は、俺の目を見つめながら、言葉の意味を探ている。しばらくして、またメス猫が口を開く。
『あのね。早く行かなき、なの。そうしないとね。忘れちう気がするから』
 メス猫がそう言たきり、俺がなんど話しかけても、取り合わなくなてしまた。
続きを読む »
« 読み返す