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3 君の目指す場所
ポテトチップスをたらふく食べて、でっぷりと太った腹を指先で突きながら、俺はまた空を飛んでいた。
鴉の生涯なぞ、子孫をもうけでもしなければ、獲物の狩りと睡眠で終わる。ただ惰性を貪るがごとく、空を飛ぶ鴉は俺ぐらいなものだろう。目の血走った同族たちを見ていると、それはそれで同情はするが、今さら彼らに混じって生きるつもりもなければ、彼らに『彼女』の恩恵を与えるつもりもなかった。俺と『彼女』と。そして、男との時間は、きっと彼らには理解できないだろう。ならば、その場に彼らを招き入れるのも妙な話だった。
それはともかくとして、いつもはなんの目的もない、なんとも虚しい滑空であったのだが、今日の俺には、ぼんやりとした目的があった。
そう遠くへは行ってはいまい。あの足取りだ。あの子猫は、まっすぐ歩き続けていた。普通なら、あちこち草むらに入り込んだり、木に登ったりして、ジグザグにゆくものだが、あの子猫にははっきりとした目的地があるように思えた。できることなら、それを知ってみたい気がしたのだ。もちろん、あのあと、無事に夜を明かせていれば、の話だが。
どこか、身の隠せるところを見つけられただろうか。人間に捕まってはいないだろうか。蛇や野犬に追い回されはしなかっただろうか。飯にありつくことはできたろうか。しまった。ポテトチップスを持って来てやればよかった。
俺はいつしか、子猫の心配ばかりをしていた。人間も同じだと思うが、やはり暇がなければ、他人。しかも、他族のことなど、気にも留めることはなかったであろう。どいつもこいつも、自分の生きることでいっぱいいっぱいだ。ギリギリ、自分たちのグループのことは心配しても、それ以上のことは、到底考えられはしない。
当然だ。今日、明日。生きていられる保証はどこにもないのだから。だから、こうして子猫を探して飛び回ることができるのも、暇を持て余している、衣食住が満たされた上流階級ゆえのことなのだ。
もしいるとしたら、この辺りなのだが。
俺は、子猫を探し求めて、周囲を飛び回る。身を隠しているのなら、飛んでいるだけでは、見つけることは至極、困難だ。身体を傾けて、高度を下げ、ちょうど良い高さの電柱のてっぺんに舞い降りる。
いつもよりも長く飛んでいたからか、息切れを感じる。子猫探しは、ここいらで休憩だ、とばかりに身体を沈めようとして、ぴくっと顔を上げる。
いた。
子猫は、昨日と同じように、ただただまっすぐ歩き続けている。昨日は、頭上から眺めていただけだったが、こうして近くで見ると、痩せ細ってあばらが浮き出ている。点々と、足跡のうえには小さな血だまりができていて、足裏はすでに擦り切れているようだ。それでも、子猫は顔を下ろすことなく、まっすぐ前を見て先を急いでいる。
そこまでしてまで行かなければならないところ。俺は、余計に気になって、電柱から飛び立つ。
警戒させないよう、近づく前になんどか、声をかけるが、どうやら耳に届いていないようだ。いや、歩くことに夢中で聞こえていないのかもしれない。仕方なく、俺は子猫より少し先のところに降りたって、距離が近づくのを待つ。
ここまで来て、ようやく子猫は俺の存在に気づいたのか、初めて歩みを止める。が、警戒した様子は見られない。むしろ、好奇心でいっぱいといった顔で、こちらを観察してくる。
人間飼いの猫だ。
俺は直感でそう思った。幼すぎて、鴉がどのようなものか知らない、というわけではないだろう。それならば、母猫が最初に教えることのひとつだろうし、周りの様子から自発的に学んでいる。ここまで、外敵に無邪気なれるのは、人間と暮らしていた経験があるからだ。
子猫は、首を傾げながらも少しずつ距離を詰めてくる。そこに、やはり警戒感といったものは見られなかった。
こんな無防備な様子で、よくここまで生きてこれたものだ。人間のもとから逃げてきたのか、それとも捨てられたのかはわからないが、運のいいやつだ。しかも――
丸みの強い身体つきや、野生のときの経験からすぐにわかった。こいつ、メス猫だ。だからどうだというわけではないが、俺は少々、紳士的なのだ。どう声をかけるべきか逡巡する。
やあ、メス猫。僕は、君の敵ではないよ。だから、安心して聞いてくれ。君は――
いやいや。どこの不審者だ。敵じゃないと言い張るやつほど、腹黒なやつはいない。それならば、いっそ直球で問うてみるべきだ。お前はどこに行くのだ、と。もっとも、鴉語が通じればの話ではあるが。
まとまらない。どうしたものか。
俺がうんうんと頭を捻っているうちに、メス猫は目の前にまで迫っていた。しばらく、向かい合って見つめ合う。そうして、口火を開いたのは意外にもメス猫のほうからだった。