評点はつけていません。「待宵月」ってなんて読むの?「待いの宵月(まつ(これも「つ」か「ち」か定まっていない)よいのつき)」と言う日本語はたしかにある。「待宵月」は俳句の季語でもない。この解釈を読者に投げるのは、あまりに乱暴。「晩春の宵は恋思い」が問題で。「待宵月」旧暦8月14日の宵。よく季節感がわからない。旧暦の8月は新暦の秋のはず。一体、どの暦で書いているかが理解できない。だから、言葉遊びの側面がどうにも目立って。レギュレーションは満たしている。ただ、それを転がすことに成功しているとはいいづらい。視点が定まっていなくて、土台がぐらぐらしている。三人称と一人称の整理がなされていない。「俺」の「富士男」の視点と作者の視点か第三者の視点がこの程度の分量がごちゃごちゃ。